第五十九話:頼んでませんけど
「頼んでませんけど」
「はい。こちらは殿下からのお申し出ではなく、過去の支出を整理した結果の返納になります。こちらが移送の書類です」
差し出された紙には、次のように書かれていた。
【帝国宰相府特別調整金:第二八一号】
【名目:過年度支出補填分】
【受領:第三皇子宮】
【金額:金貨六千八百枚】
【運送:トゥクナルハ運輸】
「第三皇子宮に届ける物を、なぜ監査局に運んできたのですか?」
「先ほど第三皇子宮に伺ったのですが、殿下はこちらにおいでになっていると言われました。ここで受領のご確認をいただき次第、宮の方にお運びいたします」
朝一で届けるつもりだったのだろう。入れ違いになったようだ。だが、一つ解せないことがある。
「どうして、タイザン殿がここに?」
「はい。こちらの輸送は当家で引き受けておりますので!」
タイザンは大きな声で返すと、革の書類入れから一枚の紙を取り出した。
「貴重品の運送事業も当家で携わらせていただくことになりまして! 実は今回、その最初の案件でございまして、きちんと取引が円滑に行われるのか、この目で見届けたいと思い馳せ参じました。貴重品を当家が責任を持って指定のお相手まで届ける事業でございます。途中で事故や紛失があれば、当家が補償する契約になっております」
なるほど。そういうことか。
「では、この金貨はトゥクナルハ家からのお金ではないんですね」
「はい。金は帝国のものです。当家は運び賃をいただいて運ぶのみです。届け先と、補償する範囲はこちらの輸送保証書に記載がございます」
前世でいう貴重品輸送サービスだろう。通常の運送よりも値は張るが、確実に相手に届く安心が売りというわけだ。
「それで、タイザン殿自らが直接立ち会われているんですか?」
「はい。こういった返納金の輸送を、今後まとめて当家で引き受けたいと考えております。その最初の案件ですので!」
タイザンは胸を張ったあと、少しだけ声を落とした。
「まあ、事業の全てを見ることは不可能ですが、最初の一件は必ず自分の目で確認するようにしております」
なるほど。帝国一の資産家の次男でも、商売の種は自分で蒔き、育てるというところか。
「今日は会計官のブルーノさんと一緒に来られたのですか?」
「はい。会計室で運搬が開始される時から、同行しております」
ブルーノはタイザンが書類をしまうのを待ってから、受領書を差し出した。
「それでは殿下。こちらにご署名をお願いいたします」
「うちが、何の費用を立て替えたんですか?」
「返納金の内訳に関しては、現在整理中でございます」
「それは妙ですね。誰に、いつ払った金かも分からないのに、返す額だけが決まっているというのですか?」
「総額は会計室で確認しております。詳しい記録は、後ほどお届けいたしますので」
引っかかる。僕は受領書を読み直した。金貨六千八百枚を、第三皇子宮が立て替えた費用の返金として受け取る。下段にはそう書かれていた。
「エルヴィス。うちで何か支払いを立て替えたという記録は残っていますか?」
「いえ、先ほどから調べていますが、私の扱った書類には立て替えの形跡はございません。念の為、侍女室の帳面も確認いたします」
そう言ってエルヴィスは、カリナを呼びに第三皇子宮に向かった。
「もらえるのならもらっておけばいいと思うのですが、何か問題でもあるのでしょうか?」
受領書を横から見たエスメラルダが言った。
「大問題です。これを受け取って署名をすると、金貨六千八百枚を手に入れられますが、同時に我々が過去に金貨六千八百枚を何かに支払ったことまで認めることになります」
「それの何が問題なのですか?」
「実際に払っていればいいのですが、今確認したところ支払った形跡がない。つまり、払ってもいない金を返してもらったことになります」
「あ」
そこまで言って、エスメラルダはようやく気づいたようだ。
「そうです。この金を受け取ったあと、元の支払いを証明しろと言われてもこちらに出せる物証がないんです。最悪、僕が架空の請求をして、公金をちょろまかしたと糾弾されても、なんの文句もいえません」
そう、僕が引っかかっていたのはまさにそこだった。
以前の僕は、知らない支出が積み上がり、浪費している状態だった。今度は知らない収入が僕の懐に入ろうとしている。
「ということで、何に対しての立替金なのかを確認するまでは、僕の方で署名することはできません」
僕が受領書を返すと、ブルーノは廊下の時計を見た。十一時だった。
「それは困りました。本日正午に、会計室で返納金の移送結果を取りまとめなければなりません。それまでに受領いただけなければ、こちらの金貨箱は金庫に戻さなければなりません」
「それであれば、きちんと返納金の内訳を揃えてからでお願いします」
「かしこまりました。今回は受取先都合による差戻しとして、宰相府に報告いたします」
僕はその言い方に、また引っかかりを覚えた。
「いやいや、それはこちらの都合ではありません。そちらの説明が足りないから、受け取らないんですよ」
受け取らないというより、受け取れないという言い方の方が近いかもしれない。
「そうは申されましても、差戻し理由の記載は、所定の様式に従っておりますので」
ブルーノは受領書を鞄へ戻しかけた。
詳細不明の金はそのまま返せば万事解決すると思ったのだが、このままではこの金が第三皇子宮に運び込まれる根拠も経緯もわからずじまいだ。しかも、相手方には僕が受け取りを断ったという報告だけが残ってしまう。後ろめたさがあるから返納金を受け取らなかったと誰かに証言されたら、僕の方ではそれを覆す論も証拠も持ち合わせない。
返納金を持ってきた。それを受け取らずに返した。その記録自体が、罠の可能性がある。
「色々な悪事の形があるものですな」
「本当に。長生きはするものですね」
ルーカスとレオンの背後に立つグレゴリオスとヒビキがお互いに顔を見合わせながら言った。どうやらあの二人も感づいたようだ。
「殿下?」
エスメラルダが僕の異変に気づいたようだ。
行くも地獄、戻るも地獄。
暑くもないのに、僕のこめかみを一筋の冷や汗が伝った。




