第六話:けちな人としてごうかく
帝室倉庫は北棟の裏手にあった。
天井の高い石造りの倉庫で、古い旗や壊れた燭台、式典用の椅子に季節外れの絨毯と、様々な備品が妙な秩序で積まれていた。埃と油と、乾いた木材の入り混じった嫌な匂いが鼻についた。定期的に換気した方がいい。
倉庫番の男は、僕の顔を見るなり背筋を伸ばした。
「第三皇子殿下。監査局の備品でしたら、もう御用商会へ発注の手筈が」
「まだ発注していませんよ」
「ですが、見積書が……」
「見積書は発注書ではありません」
前世でも混同する人が多かった。見積もりを取っただけなのに、いつの間にか買うことが決まっている。恐ろしい。見積もりの意味をわかっているのか? 買うことを判断するために、見積もりを取るのだ。人より書類が先走る、悪しき習慣である。
「水路改修局の返納品を見せてください」
僕の言葉で、倉庫番の額に汗が滲み出た。
固まる倉庫番に、エスメラルダが一歩、僕の横に出た。剣の柄に手はかけていない。ただ立っているだけだ。だが相応の迫力があった。倉庫番はさらに目を泳がせた。
「あ、あれはですね、傷みが激しく、監査局で使うにはお粗末かと」
「見てから決めます」
僕は笑顔で返した。
案内された倉庫奥の区画には、布をかぶせられた机が並んでいた。
布を取ると、大量の埃が舞った。咳き込みながら埃が落ち着くのを待つ。現れたのは普通の机だ。だが天板は厚く、脚も悪くない。少なくとも、監査局に置かれたものよりも状態は良さそうだ。
僕はしゃがみ込み、机の裏を覗く。
削り跡があった。おそらく、備品番号を消した跡だ。だが作業が雑なのか、削りきれなかった黒い墨が木目の奥に残っている。
「布巾を濡らしてきてください」
「え?」
「あと、薄い紙と木炭もお願いします」
倉庫番は目を瞬かせるだけだった。エスメラルダが視線を向けると、すぐに事務室へと走った。
エスメラルダに机を天地逆にしてもらい、僕は倉庫番が持ってきた濡れ布巾で机の裏を丁寧に磨いた。薄紙をその削り跡に当て木炭で紙を軽くこすると、文字が浮かび上がった。
【水路改修局 二十九】
「こちらの机は水路改修局のものですね。返納品なし、ではありませんね」
「殿下、それはその……倉庫台帳では、廃棄予定に」
倉庫番がこめかみを掻いた。
「廃棄予定品を、新品として御用達の商会から買い戻す予定でしたか?」
倉庫番の指が、こめかみで止まった。
その反応で十分だった。
机十二脚。椅子十四脚。棚七台。
水路改修局の返納品を一度「廃棄」として帳簿から消し、御用達の商会が磨き直して「新品」として監査局に納める。金貨二千七百七十七枚もかかるものではない。実際に必要なのは、修繕費と運搬費だけだ。
「修繕費はいくらですか?」
「え」
「脚の補強、鍵の付け替え、天板の磨き直し。相見積もりの取り直しを依頼します。少なくとも三つの業者に依頼してください。あと、倉庫台帳の訂正もお願いします。こちらはなるはやで」
「な、なるはや?」
「なるべく早く」
倉庫番が膝をついた。
「も、申し訳ございません。私は、上から言われただけで……」
「上とは?」
エスメラルダが口を挟む。倉庫番が息を呑んだ。
「宰相府の、帝室物資備品管理局から……」
また宰相府か。
僕は思わず天井を見上げた。面倒だ。実に面倒だ。
「殿下」
エスメラルダが低い声で呼んだ。
「今、怒っていますか?」
「怒ってませんよ」
「机を叩きそうな顔をしていました」
「叩きませんよ。備品なんですから」
彼女が正しいのはわかっていた。僕は少しだけ怒っていた。
処刑台の夢はまだ怖い。宰相府の影も怖い。こんなのはまだ、氷山の一角だろう。
だが、まだ使える机をいったん廃棄に回し、商会を通して新品として買い直させる。そんな手口を、新設されたばかりの監査局にまで持ち込む神経が気に入らなかった。
◇ ◇ ◇
【帝室倉庫前の噂話】
「聞いたか? 第三皇子殿下、監査局の机を買う前に、倉庫まで見に行ったらしいぞ」
「机の裏の削り跡から、廃棄品の横流しを見つけたとか」
「怖いな。廃棄された机まで目を光らせているのか?」
「そういえばうちの部署の椅子もいくつか、ガタが来てたな」
「交換要請出したか?」
「いや、怖くて出してない」
「怖いって、何が?」
「だって、第三皇子が来るかもしれないだろ。相見積もりとったか? って」
◇ ◇ ◇
その日の夕方、監査局に水路改修局で使われていた机や椅子、棚が運び込まれた。
机と椅子は二脚ずつ、僕とエスメラルダが使う分で比較的状態の良いものを選んだ。天板の傷は多少残ってはいるものの、帳簿を書くには十分だった。棚も状態がいいものを三台、壁際に並べた。残りは修繕してからと倉庫番には話したが、その見積もりが上がってくるのがいつになるかわからない。冷静に考えれば机と椅子は十二セットもいらない。棚も、書類が増えてから考えればいい。
結局、かかった金額は運搬費と掃除用の布巾のみで、節約額は金貨二千七百七十二枚。今考えると、金貨五枚でも高かったかもしれないと少し後悔しているが、運搬業者がすごく丁寧な仕事をしてくれたので、まあよしとしよう。
僕は新しい台帳に、その数字を書き込んだ。高い見積もりは忘れない。だが、削った予算も忘れない方がいい。落ち込んだ時に見返すと、少しだけ気分が楽になる。
「お兄さま!」
開け放した扉から、エリーゼが顔を出した。侍女が後ろで慌てている。ここは監査局であって遊び場ではないのだが、まだ看板も出ていないので反論が難しい。
「つくえ、買ったの?」
「買わなかった。古い机を使うことにした」
「けちだね」
「節約家と言いなさい」
エリーゼは僕の机に置かれた蜂蜜菓子の缶を見つけ、ぱっと笑った。
「あ、使ってる」
「ペン立てとしてね」
缶の中には羽ペンが三本と木炭が一欠片、それに折れた封蝋が入っている。お菓子はない。
エリーゼは少しだけ中を覗き、真剣な顔になった。
「お兄さま、おかしを入れるばしょがないよ」
「監査局にお菓子は……」
僕が言い切る前に、エスメラルダが机の端に小さな紙包みを置いた。
「休憩用です」
紙包みの中には、小さな蜂蜜菓子が二つ入っていた。エリーゼが一つを取り、もう一つを僕の前に置く。
「経費ですか?」
「私費です」
妹はエスメラルダに「ありがとう!」と元気のよいお辞儀をすると、早速蜂蜜菓子を口に入れる。礼儀がよくていい子だ。我が妹ながら誇らしい。
「お兄さま、今日はつくえに勝ったね」
「勝ったというより、買わずに済んだだけだよ」
「同じつくえ、二回買わなかった?」
僕は少しだけ黙った。
「……そうですね。二回買わなかった」
「じゃあ、けちな人としてごうかく」
合格したらしい。
父上より先に、妹から評価を受けた。
勝ちたくて勝ったわけではないんだけど。
ただ、買う前に見に行っただけだ。
僕は蜂蜜菓子を口に入れた。甘くて歯にくっつくが、とても美味しい。
扉がノックされ、メイド長のカリナが書類の束を持って入ってきた。
「殿下。帝室物資備品管理局より、訂正済みの倉庫台帳の写しをお預かりしました。それと、薬草備蓄庫からも確認依頼が一件」
「薬草備蓄庫?」
母上の薬湯の匂いをふと思い出した。
書類の一枚目を見る。支出予定額の末尾に、また七が並んでいた。
金貨二千七百七十七枚。
「お兄さま?」
エリーゼが蜂蜜菓子を噛んだまま、僕の顔を見上げた。
「こわいかお」
「え?」
「お兄さま、こわいかおで笑ってる」
そうか。僕はいま、笑っていたのか。
母上も使う薬草にまで不正経理の匂いを感じた僕は、怒りを通り越して笑っていたのだ。
はたから見たら僕は、不敵な笑みを浮かべた悪役皇子に見えるのかもしれない。




