表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
5/13

第五話:エスメラルダの要望

 帝室会計監査局は、宮廷の北棟三階にあった。


 正確にはまだ監査局ではない。古い本棚と割れた椅子、誰が置いたのか分からない趣味の悪い大きな壺が三つ並ぶ、元資料室である。窓は縦に細く日当たりが悪い。床には埃が積もり、隅には蜘蛛の巣が張り巡らされていた。


「ここが、監査局……」


 エスメラルダが室内を見回した。顔には出していないが、失望の色が瞳に出ていた。


 彼女は僕の監視役から護衛になった、少し変わった女騎士だ。メイド長のカリナによると彼女はなんと帝国騎士団長の娘らしく、母君は南方の出らしい(よく見たら彼女の履歴書にも書かれていた)。それを聞いてから、宮廷で少し目立つその黒に近い深緑の髪と陽に焼けやすい肌の理由がわかった気がした。


 本人に出自の話をする勇気はまだない。


「立派な、お部屋ですね」

 エスメラルダが真顔で言った。


「今、僕への気遣いで自分の価値基準を曲げましたね」

「……丈夫そうな壁ですよ」

「褒めるところが壁しかないですからね」


 中央には机が一つだけあった。脚が一本短いのか、手を置くとがたん、と傾いた。

 僕はその机にエリーゼの缶を置いた。置いた途端、缶がすーっと机を滑る。


「まず、壊れていない机が必要ですね」

「はい」

「それに椅子と書類棚、帳簿を保管する鍵付きの箱もいるな。あと、埃を取る布巾も」

「武器棚も必要ですね」

 部屋の片隅を見て、エスメラルダがつぶやいた。


「武器棚?」

「大剣、片手剣、手斧、ランス、ガンランス、ハンマー、太刀、双剣、チャアク、スラアク……」

「要りませんよ」

 なんだその物騒な武器の数々は。


「護衛用です」

「その腰に差した剣で十分でしょう」

「予備は必要です」

「予備にしては豊富すぎます。戦争でもするつもりですか?」

 冗談のつもりで言ったのだが、エスメラルダは真顔でじっと僕を見つめるだけだった。


 とりあえず武器棚の件は却下して、僕は監査局の初年度予算案を開く。


 金貨一万七千七百七十七枚。


 昨日も見た数字なのに、朝の光で見ると余計に胃に悪かった。七が多い。多すぎる。金額の端まで自信満々に七で埋める人間は、だいたい帳簿で嘘をついている。


 僕は備品購入の頁を開いた。


 【監査局 開設備品一式 金貨二千七百七十七枚】


「高い」


 高すぎる。この世界に転生してしばらく経ち、貨幣の価値もだいぶリアルに感じられるようになった。この世界の金貨一枚は、僕がいた世界でいうところの一万円と同じくらいの価値だ。


 つまり、二名の監査局の開設備品だけで二千七百七十七万円ということになる。


「備品一式には何が含まれているのですか?」

 エスメラルダが帳簿を覗き込みながら言った。


「この予算案によると、机が十二脚に椅子が十二脚、棚六台と帳簿箱八つ、それに黒インク三十瓶と羽ペン百本、加えて監査局印つき封蝋、あとは来客用の銀盆、ですね」

「細かいですね」

「まあ、銀盆はいりませんね。来客準備をすると、人が来てしまいます」


 人が来る職場は引き籠りに向いていない。

 まあ、職場という言葉からしてもう向いていないのだが。


 僕は添付された見積書を三枚、斜めになった机の上に並べた。商会名は三枚とも違う。だが金額が似ていた。いや、似ているどころではない。机一脚の単価、輸送費、組立手数料、最後の端数まで綺麗に同じだった。


「殿下。同じ値なら、どこを選んでもよいのではないですか?」

 エスメラルダが見積もり書を見ながら言った。


「逆ですよ。別々の見積もりがここまで同じなら、見積もりを取る意味がありません。これはもう、誰かが先に答えを配っています」

「と言いますと?」

 エスメラルダが首を傾げる。


「談合です」

 前世の言葉がつい口から溢れた。


「だんご?」

「団子ではありません。談合です。商会同士、あるいは発注側と商会が先に価格や受注先を決め、見積もりだけが競争しているように見せることです」

 いや、これは競争すらしていない。僕が知る談合よりもかなり悪質だ。


「それは悪いことなのですか?」

「かなり悪いです。相見積もりは条件を比べるために取るものです。先に答え合わせを済ませていたら、それはただの儀式です」

 ひょっとするとどの商会に発注しても、発注されなかった商会に対して談合金が発生している可能性だってある。いや、確実にそういう座組だろう。


 僕は一枚目の見積書の余白を指でなぞった。よく見ると、机の寸法欄に小さな書き間違いを発見した。


 【奥行二尺八寸】の八が、六に直されていた。二枚目も、三枚目も同じだ。癖のある訂正線まで同じ角度だった。三つの商会の見積もりが、書き損じまで同じ。


「写しですか?」

「たぶん、元は一枚ですね」


 エスメラルダが目を細める。僕も、呆れて何も言えなくなった。


 僕は椅子に腰を下ろしかけた。がたん、と机より大きな音がして、椅子が後ろにずれた。体勢を崩しかけたところを、エスメラルダが片手で背もたれを押さえた。


「危ないです」

「ありがとうございます。危うく椅子で怪我をするところでした」

「椅子で負傷は避けたいです」

「日常に紛れた敵ほど厄介です」


 毎日使うものほど、嘘が混ざると長く効く。


 僕は備品台帳の束をめくった。新設部署への備品購入には、まず帝室倉庫の返納品を確認する規則がある。前世で言うなら、遊休資産の確認だ。使える机が倉庫に眠っているなら、新品を買う前にそちらを使うべきだ。


 ところが帝室倉庫の返納品を記載しているはずの添付資料には、返納品なし、とだけ書かれていた。


「返納品なしって、そんなことあり得ますか?」

「なさそうには見えませんが」


 エスメラルダが部屋の隅を見た。古い本棚の下から、古ぼけた木札が半分だけ出ている。

 僕はしゃがんで、それを引き抜いた。


 【水路改修局 備品番号二十九】


  木札には薄い墨で、備品番号が書かれていた。


「水路改修局?」

「東方の湖から伸びる水路を改修していた部署ですね。三年前に作業は完了し、もう解体したと聞きましたが」

 エスメラルダが言った。


「この、水路改修局の台帳はありますか?」

「確認してきます」

 エスメラルダはそう言って、五分後にはその写しを持って現れた。優秀すぎるだろ。


 手渡された水路改修局の備品一覧には、机十二脚、椅子十四脚、棚七台とある。


「帝室倉庫の帳簿室で借りてきたのですが、同時に面白いことがわかりました。この部屋は資料室になる前、水路改修局の事務所だったようです」

「え?」


 返納品はなしと書かれていたが、元水路改修局だったこの部屋にあるのは、机一脚に椅子一脚、本棚一台と変な壺が三つだ。


「うーん」


 僕は傾いた机の上の蜂蜜菓子の缶を見た。


 一、お兄さまは同じものを二回買わない


 エリーゼが書いた幼い字を思い出す。会計規則より、至極当然な真理だった。


「エスメラルダ」

「はい」

「今から帝室倉庫へ行きます」

 僕は椅子から立ち上がる。エスメラルダが頷いた。


「承知しました。走って行きますか? 全力で走れば、二分で着きますが」

「そこまではしません」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
どう見ても職歴ハンターさんじゃないと出てこない武器種があるんじゃが
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ