第五十五話:夜会って怖いですね
夜会が終わるころには、僕の頬に笑顔の形がこびりついていた。
広間を出て廊下に向かうと、エルヴィスが待機していた。手には小さな控え帳があった。顔色は少し悪いが、きちんと立っている。彼も成長している。
「今夜、殿下に直接挨拶された方の名を控えております」
「ありがとう。怖いくらい、仕事が早いですね」
「怖い夜会でしたので」
エルヴィスは苦笑いを浮かべながら、控え帳を開いた。
【第一皇子:ルドルフ殿下】
【第一皇子婚約者:アナスタシア・トゥクナルハ家令嬢】
【宰相:ワイドアウト】
【カルカウディア商業連邦外交官:ルシルギル・マルベル】
【トゥクナルハ家次男:タイザン・トゥクナルハ】
【ムーンライズ家長男:スパイク・ムーンライズ】
【グラナルディス教国:王弟オブラディン公】
【第四皇子ルーカス殿下】
【第五皇子レオン殿下】
並んだ名前を見ているだけで、胃が痛くなる。
「多いですね」
「まあ、夜会ですので」
「夜会って怖いですね」
「何を今さら」
エルヴィスはまあ苦笑いを浮かべていた。
ほんの数時間の出来事なのに、一週間以上経っているような感覚に陥っていた。
エスメラルダが、控え帳を横から見る。
「名前を控えて、どうするおつもりですか?」
エルヴィスにもエスメラルダにも、もちろんカリナにも、処刑台の夢の話はしていない。僕が黒幕を探しているという話もしていない。
話して協力してもらうことも考えたが、そのためには前世の記憶があることを話さなければならない。そうなると正直、信じてもらう自信がない。
それ以上に、巻き込むことで彼女たちまでいらぬ危険に晒してしまうのではないか。そんな想像が脳裏をよぎり、結局話せずにいた。
「まあ、監査局として人間関係を構築する必要があると思ったまでです。忘れっぽいので」
「誰が敵で誰が味方なのか、整理するおつもりですか?」
勘が良すぎて、時々この護衛騎士が怖くなる。僕はただ、笑ってやりすごす。
誰が敵なのか。誰が味方なのか。
あるいは、敵と味方という分け方自体、間違っているのか。
帳簿なら借方と貸方に分けられる。だが人間は、そう単純には区分できない。
「殿下」
カリナが、小さな紙片を差し出した。
「控室で侍女たちが、妙な話を聞いたそうです」
「妙な話?」
僕は手渡された紙片を見た。
【不正処分の返納金は、近日中に帝国宰相府特別調整金へ集約予定】
夜会の匂いが、急に紙と金属の匂いへ変わった気がした。
「カリナ、どこでこれを?」
「侍女室の控え室です。各宮の侍女が集まると、不穏な空気を共有しあうのが常でして」
「怖い場所ですね、侍女室は」
「殿下の監査局ほどではございませんよ」
僕は反論できなかった。
「殿下、返納金と言うのは?」
聞いたのはエスメラルダだった。
「返納金と言うのは、要するに不正で抜かれた金を取り戻して、元の場所に戻すためのお金です。払いすぎた代金とか差し押さえた資産とか、ですね」
「なるほど。それを宰相府が取りまとめる、ということですね」
さすがエスメラルダ。理解が早い。
「エルヴィス」
僕は傍に立つエルヴィスを呼んだ。
「明朝、裁定の写しを全て出しておいてください。処分内容ではなく、返納金の行を見たいので」
「返納金、ですか」
「はい。どこから戻って、どこへ入ったのか。そこを確認します」
エルヴィスの顔が、さらに少し青くなった。
「帝国宰相府の特別調整金の確認をするのなら、原簿が必要になります」
「でしょうね」
「明日、宰相府へ行かれるおつもりですか?」
行きたくない。
声に出すと負けた気がするので、僕は黙って控え帳を閉じた。
◇ ◇ ◇
【大広間脇の噂話】
「聞いたか? マチルダ第三皇女殿下の披露夜会に、第三皇子が出席されたらしいぞ」
「珍しいな。貴族の集まりには顔を出さないお人だと聞いていたのだが」
「何のために夜会へ出たんだ?」
「決まってるだろ。次の獲物を探すためだ」
「獲物?」
「第三皇子が帳簿を確認した時、だいたい誰かの悪事がバレる」
「怖いことを言うな」
「今回は夜会だぞ。あの方は、笑顔で挨拶しながら相手の懐を見ていたに違いない」
「祝いの席でか?」
「祝いの席だからだよ。みんな、油断しているから懐がのぞきやすい」
「その隙をついているのか。恐ろしいな」
「しかも、誰とも踊らずに帰ったらしいぞ」
「そこはただ帰りたかっただけなんじゃないか?」
「甘いな。黒幕は自ら踊らずに、相手を踊らせるんだよ」
◇ ◇ ◇
第三皇子宮へ戻ると、エリーゼはもう眠っていた。
少しだけ安心した。起きて待っていたら、嬉しいのと申し訳ないのとで、僕の中の何かがまた削れるところだった。
だが、机の上には小さな紙が置かれていた。
【お兄さまは、どこにいってもかならずかえってくる】
朝と同じ文言だった。少し右肩上がりで、線が震えている。僕は礼服の内ポケットから、折り畳んだ紙を取り出した。同じ言葉が二枚になった。
「増えましたね」
エスメラルダが言った。
「縁起物だと思うことにします」
「では、大切に保管してください」
僕は二枚の紙を重ね、机の引き出しに入れた。鍵をかける前に、もう一度だけ文字を見る。
かならずかえってくる。
そのためにも、しばらくの間は引き籠もっている暇はなさそうだ。




