第四十九話:早くこっちに来い、でしょうね
「父です」
「ああ、あれが」
帝国騎士団長クラウドか。父のそばにずっといるのは見知っていたが、意識してみていなかった。騎士団長であり、皇帝親衛隊十騎の一人。
「似てますね」
「どこがですか」
「雰囲気というか、そこにいるだけで周りの人に威圧感を与えるところが」
僕の言葉に、エスメラルダは何も答えなかった。少し不服そうだった。
その近くには、ルドルフ第一皇子もいた。黒い軍礼服を身に纏い、背筋を伸ばして立っている。婚礼の場だというのに、彼の周囲はどこか軍隊じみた緊張感が漂っていた。その背後にはハンスを筆頭に、第一皇子の護衛騎士が並んでいる。
仮に暗殺者がこの広間に紛れ込んでいたとしても、皇帝と第一皇子を討ち取るのは至難の技だろう。それぞれの護衛が間近で彼らを守っている。不可能と断言してもいいだろう。
だが、ルドルフの隣だけは違った。一際目を引く美女が立っているのだ。ルドルフの黒い軍礼服とは対照的な淡いパステルブルーの礼装、首元の大きな宝石よりも、大きな瞳の方が目立つ。微笑んでいるのに涼しげな目元は、ルドルフの威圧感を中和して有り余る慈悲に満ちていた。
「あの人は?」
「第一皇子殿下のご婚約者、アナスタシア様でございます」
僕が尋ねると、カリナが即答した。確か婚約お披露目会の招待状は来ていたが、腹痛を理由に欠席していたことを思い出す。
「トゥクナルハ家の?」
「はい。帝国一の資産家の令嬢でございます。二十一歳で、フローラ第二皇女殿下と同い年ですね」
フローラと同い年と聞いて驚いた。ルドルフの隣にいるせいか、年齢よりずっと落ち着いて見えたからだ。その時、不意にルドルフと目が合った。
視線を外したい。今すぐ外したい。
だがルドルフは、僕に向かって短く顎を動かした。来い、という命令だろう。
「あれはどういう意味だと思います?」
僕は隣に立つエスメラルダに尋ねた。
「早くこっちに来い、でしょうね」
やはり、彼女の目から見てもそうか。
「行かないとだめでしょうか」
「だめでしょうね」
エスメラルダが即答する。僕は諦めて兄の元へ歩き出した。
「兄上」
「顔色が悪いな」
挨拶より先に、顔色を診断された。
「すみません。僕は夜会が得意ではないので」
「克服しろ」
「努力します」
「意気込みは聞いてない。命令だ」
なんか、これまでの関係性がリセットされてない? ルドルフの愛馬を救い心の距離が縮まったと思ったのが、僕の認識違いだったようだ。
「第三皇子殿下。お初にお目にかかります。ルドルフ様と婚約させていただいております、アナスタシア・トゥクナルハと申します」
綺麗な声だった。トゥクナルハ家の令嬢が、僕に向かって静かで優雅な一礼をした。
「こちらこそ。ご挨拶できておらず、大変申し訳ございません。弟のヴィルヘルムです」
僕も彼女に合わせ、静かに一礼をする。背後のエスメラルダ、カリナも頭を下げた。
「今夜は皆様、殿下のお話ばかりですよ。ルドルフ様の愛馬、カスケードを救ったとか」
「私の話題でお耳汚しをしてしまい、大変申し訳ございません」
「何をおっしゃるの。あなたのおかげで、ルドルフ様はずっと上機嫌なのよ。本当、これまで見たこともないくらい。ほら、今日だって」
アナスタシアがルドルフを一瞥する。上機嫌とは真逆の、とても険しい顔をしている。
「ね」
いやいや、ね、と可愛く言われましても。どこからどう見ても、いつもの怖い顔した兄上なのですが。
「余計なことを言うな」
ルドルフが低い声で言った。僕は正直ちびりそうになる。
「あら。ただのご挨拶ですわ」
アナスタシアはルドルフの威圧には動じず、これまた優雅に微笑んだ。まったく、この皇子にしてこの婚約者ありだ。第一皇子の隣に立つ人は、やはり並の心臓では務まらないようだ。
父上は、遠い上座から一度だけ僕を見た。だが何の合図を出すこともなく、すぐに視線を逸らした。
呼ばれずにほっとした。助かった。
「殿下。皇帝陛下にご挨拶なされなくてよろしいのですか?」
父の視線に気づいたエスメラルダが僕に耳打ちする。
「いや、大丈夫です」
「ですが」
「今、視線で挨拶できたので」
何か言いた気なエスメラルダを、僕は笑顔で制する。権力者に挨拶するのは殊の外疲れることを、もっと理解して欲しい。親子だから余計に、気を使うのだ。
納得したのか、エスメラルダは渋々頷いた。
「第三皇子殿下」
背後から声が聞こえた。僕は笑顔のまま振り返り、そのまま固まってしまった。
灰色の礼装を纏った宰相、ワイドアウトがそこにいた。




