第四十一話:同感だ
ムーンライズ厩舎は、貴族院の裏手にあった。西郊にあるムーンライズ牧場の分厩で、表向きは貴族院関係者の私用馬を預かる場所らしい。道中の馬車でユリウスが教えてくれた。
軍馬厩より明るく、壁は白く塗られ、窓には飾り格子がついている。馬房の前には、銀色の名札まで掛かっていた。
「エルヴィス、君はこの厩舎の帳簿を手配してくれ。馬の管理台帳と請求の控えが欲しい。預かってる馬名とその費用くらいは残しているはずだから」
僕がそう指示すると、エルヴィスは「すぐに用意します」と貴族院に向かった。貴族院の裏庭にいた人々は、僕たちを見るなり会話を止めた。
無理もない。先頭にルドルフ第一皇子、その背後にはハンスを含む七人の騎士。少し離れてユリウス、その斜め後ろにノア。姿の見えない第二皇子の護衛たちも、たぶん人垣の中に紛れている。さらに僕とエスメラルダである。馬を見に来た人数ではない。小さな戦争が厩舎の前で始まろうとしている、と言っても、結構みんな信じるかもしれない。
「兄上って、歩幅が広いですね。歩くの早いなぁ」
ユリウスがのんびりとした様子で言った。
「黙って歩け」
ルドルフが短く諌める。
「怒ってますか?」
「愚問だ」
「兄上は本当、正直ですね。羨ましいなぁ」
「黙って歩けと言っている」
「はいはい。愚弟は黙ってお供しますよ」
第一皇子の歩みは重くも早く、第二皇子は軽やかだ。僕はどちらに合わせるべきか最初悩んだが、好きなようにやることにした。僕は僕だ。二人の真似はできない。そんな思考に至ったのは、おそらくは敵だと思っていた二人と今、僕が同じ方向を向いているからだろう。敵対すると恐ろしいが、こうやって同じ目的に突き進む仲間となると、これほど心強い人たちはいない。その心の余裕に気づき、僕は大きく深呼吸をする。
案内に出てきた男は、第一皇子の姿を見ても笑顔だった。
「バーランドです。この貴族院の厩舎管理を任されている男爵です」
僕の隣でエスメラルダが耳打ちをする。
「これはこれは、第一皇子殿下。何かお探しでございましょうか?」
「カスケード号を出せ」
ルドルフ第一皇子が短く言うと、男爵の笑みが少しだけ固まった。
「恐れながら、そのような馬は、こちらには……」
「全馬房を開けろ」
「こちらは貴族院関係者の私用馬を預かる分厩でございまして、殿下が乗っておられる軍馬は……」
「二度言わせるな」
男爵は返事に詰まったもののルドルフの雰囲気に気圧され、脇に立つ厩務員に合図を出した。
手前から順に馬房が開けられた。栗毛の馬、白い斑のある馬、年老いた荷馬、黒鹿毛の若い馬……。全部で九頭の馬がいたが、青灰色の馬はいなかった。
「こちらで全てでございます」
男爵はそう言って、また笑おうとした。
ハンスが奥の壁に手のひらをつけ、目を細める。
「どうかしましたか?」
僕が尋ねると、ハンスが首を傾げた。
「おかしい」
「何がですか?」
「何か違和感を覚えます」
「違和感、ですか? どんな違和感です?」
僕が再び尋ねるも、ハンスは首を傾げるだけだ。
「匂いでしょうか?」
僕の隣に立つエスメラルダが言った。
「匂い?」
「ここに来ると、急に馬の匂いが薄くなりました」
エスメラルダも壁に触れる。僕も鼻を利かせてみるも、違いがわからない。
「魔力の流れを感じます」
ノアも壁に触れながら言った。
「魔力の流れ?」
「はい。微かにではありますが、何か大きな力を隠しているような」
「大きな力?」
僕も壁に触れてみる。だが、どこからどう見てもただ厩舎の壁だ。壁には干し草と空の飼葉桶が吊るされている。壁を指先で叩くと、コンコンと乾いた音が響いた。
「殿下」
ノアが壁から離れ、口元に指を当てていたユリウスのそばに歩み寄る。
「許す」
ユリウスが即答した。
次の瞬間、振り返ったノアが剣を抜き身構える。細い剣身に青白い魔力が走った。壁際に立つハンスとエスメラルダが同時に身構えた。
ノアは剣を右手で持ったまま振りかぶると、それを二人に向かって思い切り投げつけた。青白い剣はものすごい速さで二人の頭上を越えた先にある天井の梁に突き刺さった。
ばちばち、と梁に刺さった剣から乾いた音が聞こえた。梁をよく見ると、その周りの空気が水面のように揺れた。
「これは……」
僕が驚いていると、ハンスとエスメラルダが剣を抜いた。二人の剣先を、壁に突き刺す。すると、剣先が壁の中に音もなく入った。
「あれだ」
ノアが駆け出し跳ねる。天井の梁に突き刺さった剣を抜き、そのまま梁から垂れていた細い鎖を撫で斬った。雷のような音が、厩舎の奥で弾けた。黒い鎖に繋がれた何かが落ちた。それが床に当たる直前、エスメラルダがそれを受け止める。
エスメラルダの手にあるのは、見覚えのある物だった。
「こんなところで使われていたか」
ユリウスが言った。その声には、いつもの軽さはなかった。
魔術院の小型結界石だ。
ばちばちと音がした後、先ほどまでただの壁だった景色が大きく歪む。飼葉桶と干し草も消えた。目の前に突如として、奥に続く馬房が現れた。
「こんな使い方もあるんですね」
エスメラルダが、手に持った結界石をユリウスに手渡しながら言った。
「使い方次第ではね。病馬の隔離にも使えるし、こうやって結界を張ることもできる」
「この馬を隠すために使った」
僕が思ったことが口に出てしまった。
「まあ、そういうことだね」
「それにしても、目隠しってレベルじゃないですよ。少なくとも、壁は本物でした」
「壁も桶も干し草も、結界石の力だよ。この建物の奥行きすら変えてる」
「凄すぎます」
「だから、盗んで使ったんだろうね」
ユリウスが笑った。だが、その目は全く笑っていない。
「僕の結界石で、兄上の馬を隠していたわけだ」
奥の馬房から、蹄の音がした。
「カスケード」
ルドルフが前に出る。
そこにいたのは、青灰色の馬だった。額に白い星形の模様がある、少し痩せた馬だ。毛並みはぱっと見でも良くないが、その目にはありありとした生命がみなぎっていた。
「カスケード」
ルドルフの声色が変わった。
馬が耳を動かした。ルドルフが舌を鳴らすと、カスケードと呼ばれた馬は鼻先を伸ばし、鉄格子越しに第一皇子の手袋へ触れた。
誰も何も発しなかった。僕は帳簿を閉じ、ユリウスも口を閉じた。ルドルフの肩が落ちた。怒りが消えたのではなく、安堵が優ったのだと、その背中が物語っていた。
その背後で、ハンスが顔色ひとつ変えずに立っていた。ただ、その右手だけが強く握られた。
しばらくして、ルドルフが男爵を見た。
「カスケードについて、簡潔に説明しろ」
「こ、この馬は、グレイフォール号といいまして……」
「額を見ろ。白い星形の模様がある」
「似た紋では……」
「俺の合図に返した。もうこれ以上、隠し立てをするな」
ルドルフがぎろりと睨むと、男爵の顔が真っ青になった。
「殿下」
エルヴィスが胸に書類の束を抱えて現れた。僕はその中から、このムーンライズ厩舎の管理台帳と請求控えを抜き出し、男爵に向ける。
「まず、こちらの記録です。ムーンライズ厩舎では、グレイフォール号という馬を預かっていることになっています。預かり費と飼養費の請求がその証拠です」
「は、はい。当厩舎では、その名でこの馬をお預かりしております」
「次に軍馬厩の台帳です。カスケード号は処分済みのはずなのに、その後も特別飼葉代と馬房清掃費が出ています」
「恐れながら殿下、軍馬厩の台帳までは当方では承知しておりません」
「最後に処分記録です。焼却費と石灰消毒費も支払済みです。このグレイフォール号という馬がカスケード号と同一の馬だった場合、どういうことになっているのか、理解できますか?」
僕の問いに、男爵の口が止まった。
「そう。同じ馬を三つの書類で別々に扱っていることになります。処分した馬として焼却費と消毒費を取り、軍馬として飼養費を取り続け、ここでは別名の私用馬として預かり費まで取っている。これはもう、偶然で片づけるわけにはいきません。金の流れが整いすぎている」
僕は言いながら込み上がる怒りを抑えるべく一度呼吸を整えたあと続ける。
「経理としては、欲張りすぎです」
ルドルフが僕を見た。
「経理としては、なのか?」
「人としては、愚かとしか言いようがない」
「魔術を扱うものとしても、最低だね」
ユリウスが続けた。その声は軽いが、纏う雰囲気はいつものユリウスのそれとは別物だった。
「馬疫隔離の名目で本物の結界石をここに持ち込んだ。病を恐れる者は隔離記録を深く覗こうとはしない。よく考えたものだよ。よく考えて、考えうる限り最低の使い方をした」
ノアが男爵の横に移動した。男爵は逃げ出そうにも身動きが取れない位置だった。エスメラルダが、男爵から目を離さずに言った。
「この馬は、兵が命を預ける相手です。それを、飼葉代や預かり費を引き出すための財布にしている。到底、許される行為ではありません」
エスメラルダの芯が通った声に、男爵はようやく視線を下げた。ルドルフが頷く。
「同感だ」




