第三十四話:僕も舐められたものだね
小型結界石は、もともと十二個で一組だという。
ひとつ欠けるだけでも結界は極端に弱くなる。十二個すべて殻だけの中身無しの状態であれば、それはただの石でしかない。
ユリウスは備品庫の床にその石を並べ、十二個の石で円を作った。彼が軽く指を鳴らすと、囲まれた石同士が薄い青色の光で繋がる。だが、光は半周もしないうちに消え、備品庫の床には、ただの円形の石だけが残った。
「これを学生の実習で使っていたら、どうなりますか?」
「確実に事故になるね」
ユリウスは淡々と言った。
「防げると思った魔術がそのまま直撃する。炎系なら火傷、雷系なら感電、重力系なら笑えない結果だろうね」
「笑う前提で話をしないでください」
「はは。そうだね」
ユリウスは笑い声を上げたが、その顔に笑みはない。
備品庫の番人であるミーラが、床に並んだ白い石を見て唇を噛んだ。
「殿下」
エルヴィスが返却台帳の端を指した。
「この返却済みの行、よく見るとここだけインクが新しいです」
エルヴィスの指先の文字を見る。確かに、返却済みの項目だけ色が少しだけ強い。
「昨日か一昨日か。ただ少なくとも、返却予定日に書いたものではありませんね」
「返却予定日を過ぎてから、慌てて返却済みにした?」
ユリウスが言った。僕とエルヴィスは頷いた。
「でも現物は殻だけ」
「はい」
エルヴィスの声が少し震えていた。
彼はこういう帳簿の嘘を見ると、怒りよりも先に顔色が悪くなる癖がある。
やはり、これは何か仕掛けがありそうだ。
「殿下。実は、小型結界石の番号表が削られる前に写しを取っていました。小型結界石は、この魔術院で二組ありました。一組はここ魔術院備品庫のもの、もう一組は第二皇子宮の私的実験室へ移したものでございます」
ミーラが番号表の写しを僕に手渡した。そこには魔術院備品庫の結界石の番号と、第二皇子宮の私的実験室へ移した結界石の番号が分けて写されていた。備品庫のものはα1、α2、α3……、私的実験室の方はβ1、β2、β3……と記載されていた。
僕は慌てて床に置かれた結界石の底を見る。どれかに削り残しがあったはずだ。
「あ」
「どうした?」
僕が声を上げると、ユリウスが近寄ってきた。
「番号の削り残しです。これ、αじゃないですよね?」
僕がいうと、ユリウスが頷いた。
「これはβだな」
「βということは、私的実験室のものということですか?」
エスメラルダが言った。
削り残しは二つあり、両方ともβの右端がうっすらと残っていた。僕は思わずミーラを見た。
管理番号は削除されていたが、その前にその控えを取って置くとは、すばらしい。僕は思わずその場で拍手をしてしまった。
「ミーラ備品庫番」
僕はミーラと手を取り、その瞳をまじまじと見つめた。
「は、はあ」
「監査局に来ませんか?」
「殿下」
驚くミーラの側で、エスメラルダが嗜める。
「あいにくと、数字ばかりの帳簿を見るには老眼が進みすぎております」
ミーラは深々と頭を下げて言った。断り方がしっかりしている。余計に欲しくなる。
「殿下。有能な人を見つけたからといって、すぐに引き抜かないでください」
エスメラルダがため息をつく。
「おいおい、勝手な引き抜きはよしてくれ。ミーラはうちの貴重な人材なんだ。彼女がいなかったら、貴重な魔術道具の管理がままならなくなる」
ユリウスが真剣な表情で言った。ミーラの頬が少し赤らんでいるようにも見えた。
「少なくとも、この石はこの備品庫のものではなさそうですね」
エルヴィスが結界石と写しを見比べながら言った。
「ああ、これは僕の実験室の石だね。だがあれは芯を抜いて廃棄する予定だったものだ。確か、廃棄のため保管箱に入れていたと思う」
「使える石を盗んだわけではないということですか?」
「中の魔晶は次の結界石を作るため、工房に保管してある。こっちは明確に僕の主印がなければ動かせないからね。持ち出されたのは、廃棄待ちの殻だけだよ」
ユリウスは楽しそうではなかった。
「本物の結界石は貴族院裏の厩舎で今も使い続けられている。備品庫の方を返却済みにするために、廃棄予定の殻を利用した。そういうことですね」
僕が言うと、ユリウスはしばらくの間、じっと石を見下ろしたまま動かなかった。僕が口を開きかけた時、ユリウスが顔を上げた。
「ヴィルヘルム」
「はい」
「僕も舐められたものだね」
その声はいつも通り柔らかかった。だが、備品庫にいた魔術師たちが一斉に半歩後ろに後ずさった。
「僕の宮も、犯人にうまく使われたわけだ」
ユリウスの指が、石の上で止まった。
第二皇子宮の副印。第二皇子の実験室にあった殻だけの石。魔術院の貸出控え。「ムーンライズ牧場 試験厩」という貸出先欄と、貴族院裏分厩という欄外補記。
机の上に並べた紙で、全体が線になりつつあった。これは、魔術院の白線事件より、よほどたちが悪い。
「殿下」
エスメラルダが、備品庫の扉の方を見た。
「人の気配が減りました」
「え?」
「廊下にいた者が一人、逃げたようです」
ユリウスのそばにいたノア・キサラギが動いた。音がしなかった。
黒い騎士は、次の瞬間には扉の外へ消えていた。同時に、廊下に控えていた別の護衛が扉の内側に入り、ユリウスの斜め後ろに立つ。追う者と守る者が、何も言わずに入れ替わった。
「速いですね」
「ノアは追うのが得意なんだ」
「護衛隊長が持ち場を離れてもいいんですか?」
優秀すぎるので、あえて意地悪な質問を投げかける。
「問題ないよ。彼らは僕の指示を待たなくてもその時の最善を自分たちで考え動ける。そう訓練している」
ユリウスの笑みは戻っていた。だが、目の奥は笑っていなかった。




