第三十三話:体調不良
魔術院備品庫は、演武場の奥にある黒い扉の向こうだった。
扉には三つの鍵穴があり、魔術院用度係と第二皇子宮、備品庫番がそれぞれ一本ずつ鍵を差す。さっき第二皇子宮で受け取った鍵も、そのうちの一本だ。面倒だが、悪くない。高価な備品の流出を防ぐには、人間の善意に訴えるより鍵の数を増やした方が早くて確実だ。
問題は、鍵を分けても管理しても、記録をごまかされたら意味がないことだ。
備品庫番の老女が、震える手で台帳を差し出した。背は低く動きは遅いが、その二つの瞳はよく動いていた。
「どうだい、ミーラ」
僕は貸出控えと返却台帳を机の上に並べると、ユリウスがその老女に尋ねた。
「小型結界石十二個、返却済みと記録されています」
「返却済み?」
老女ミーラは魔術院備品庫の返却台帳を開きながら言った。
その貸出先欄には「ムーンライズ牧場 試験厩」、欄外補記には「貴族院裏分厩」とあった。名義は牧場、実際の場所は貴族院裏。これは貸出控えと一緒だ。返却日欄には三日前の日付が入っていた。返却確認者欄には魔術院用度係ジンマン会計官の印がある。これは返却台帳と同じである。
ということは、小型結界石は返却されているということになる。
「どうやら、取り越し苦労だったようだね」
ミーラが開いた備品庫の台帳を見ながら、ユリウスが言った。
「まだそうとは限りません。現物はありますか?」
「ございます」
僕は返却確認者が気になっていた。魔術院用度係ジンマン。昨日、僕たちに膝をついた人物だ
ミーラは棚の奥から、黒い布に包まれた石を一つずつ、丁寧に運んだ。全部で十二個だった。掌に乗るほどの大きさで、表面には青い線が刻まれている。神々しさすらあった。
「兄上、これが小型結界石ですか?」
「形はね」
ユリウスは一つ手に取り、指先で軽く叩いた。こん、と乾いた音がした。次に彼は懐から細い銀の棒を取り出し、石の刻線に触れさせる。だが、なにも起こらなかった。
「中身がない」
「中身?」
「結界石は、芯に高度な魔晶が入っている。この外側の石はただの殻でしかない」
「というと?」
「これは殻だけの結界石だ」
エルヴィスが、返却台帳を押さえたまま小さく息を呑んだ。
「空、ということですか?」
「空です。外側だけを返したようだね」
「返却済みにするための殻、ですね」
帳簿の上では戻ってきた。だが実際に戻ってきたのは、効力のない石の外側だけだ。僕は十二個の石を一列に並べる。
「個体を管理するためのものは何かありますか?」
「以前は裏側に個体番号を刻んでいたのですが」
僕は返却済み小型結界石を持ち上げ、裏側を見る。刻印が刻まれていた。どれも同じだったが、番号らしきものはない。貸出控えにも記載されていなかった。
「今は?」
「用度係の指示で削られました。管理上混乱するからない方がいい、と」
番号を消す。実に嫌な行為だ。管理できていたものを、うやむやにするに等しい行為だ。だが確かに、結界石の底をよく見ると数字を雑に消したあとが見受けられた。
「番号を消すと、貸した石と返却された石が同じか分からなくなりませんか?」
実際、今起こっている事象だ。
「はい」
「なぜ、止めなかったのですか」
言ってから、少しきつい聞き方になってしまったなと反省する。
ミーラは唇を引き結んだあと、言った。
「止めました。ですが、第二皇子宮の承認があるから、と」
「今回の返却処理をした三日前です。ミーラさんがこの備品庫で応対されたのですか?」
「私はその日、ここにいませんでした」
「珍しいね。皆勤賞のミーラが」
ユリウスが言った。
「三日前の朝、自宅で小火騒ぎがございまして。家の側壁が焦げ、近所に迷惑をかけてしまいました。不審火だそうで、警備部で捜査が行われました。その日と翌日はお休みをいただき、昨日の午後にここに戻った時には、返却台帳に補助紙が挟まれておりました」
「補助紙?」
「通常の頁ではなく、あとから綴じ込む紙でございます。返却済みの記録、魔術院用度係の印、第二皇子宮の事務副印など、必要な項目はすべて満たしておりました。現物も棚の奥に、黒布で包まれた状態で返却されておりました」
ミーラは棚の方を見た。
「私が不在の間に処理されたものですので、返却物の確認を申し出ました。ですが用度係からは『第二皇子宮承認:検査済み』として、却下されました。仕方ないのですが、戻ってきたその場でそれを覆すには、私の方で根拠が足りずそのまま放置してしまっておりました」
ユリウスの笑みがそこで消えた。周囲の温度が一、二度下がったような気がした。僕は返却台帳をめくる。承認欄には、確かに第二皇子宮の印が押されていた。青色の小さな印だ。
「これは兄上の印ですか?」
「第二皇子宮の事務副印だね。僕の主印ではない」
「管理者は?」
ユリウスは答えず、後ろを見た。ノア・キサラギが一歩前に出る。
「第二皇子宮事務取次、ルーベン・サージェントが管理しております」
「その方は?」
「出仕簿上は、昨日より体調不良として出仕しておりません」
出た。体調不良。
不正の現場で急に体調が悪くなる人間は多い。前世でも、決算前に連絡がつかなくなった担当者の机から、未処理の伝票が束で出てきたことがある。彼はそのまま会社を辞めてしまった。
「逃げましたね」
僕が言うと、ユリウスは肩をすくめた。
「逃げたなら逃げたでいいよ別に。追う楽しみが増えるだけだ」
その言葉とは裏腹に、ユリウスの表情に笑みはなかった。




