第三十二話:もう事件でしょ
借りた物を返さない人間は、たいてい何かを溜め込んでいる。前世でも、貸出用の備品を返却しないまま異動した人間がいた。調べたら自席の引き出しに入れたままで、本人は返したつもりだったという。あれは地味に困る。だが、この帝国の魔術院で同じことをやられると、地味では済まされない。
「整理します。まず、本当に小型結界石は返却されているのか、確認する必要があります。あと気になるのは、小型結界石が十二個あることです。その数も確認する必要があります」
返却印が一つ足りないだけなら、小さな事務ミスで済むかもしれない。だが貸出先がムーンライズ牧場で、品物が結界石なら話は別だ。小さな貸出控えの端をめくったら、下から別の帳簿が出てくる。そういう嫌な予感がした。
「第二皇子殿下」
エスメラルダが静かに言った。
「その結界石は、簡易の防護幕ということでしたが、武器にもなりえますか?」
「いい質問だね。答えは、使い方による。さっき言ったみたいに人を守る壁にもなるし、同時に、人を閉じ込める檻にもなりえる」
「なるほど。想像通り強力ですね。それであれば尚更、返却確認は厳密に行うべきだと思います」
「いいね。騎士の目だ」
ユリウスはにこりと笑った。
「だから、君たちが見つけてくれて助かった」
「助かった?」
「魔術院の中だけで騒ぐと、身内の失点になる。だが監査局が見つけたならば、これは帝室会計の問題になる」
笑顔のまま、こちらに面倒な荷物を背負わせる。
「僕を盾にしようとしていませんか?」
「盾にするつもりなら、僕はここに来ないよ。君が見つけ、僕が認める。二人で解決する。そんな形にしたい」
「面倒ごとを二人で分ける、ということですね」
「責任を二人で分担する、という言い方の方が好きかな」
ユリウスは軽い口調で言った。だが、彼の発言は僕の逃げ道を塞ぐのに充分なものだった。
出発の気配を察したのか、エリーゼが箱庭の小石を握ったまま顔を上げた。
「エリーゼもいく」
「だめです」
カリナが即答した。
「まだ、どこにいくか言ってないよ」
「魔術院備品庫ですよね? あそこは高価な魔石や危ない道具を扱っている場所です。エリーゼ様が見学するような場所ではございません」
「まじゅついんびひんこ」
エリーゼは聞き慣れない言葉を、ひらがなに直すように繰り返した。カリナがそっとエリーゼの後ろに回る。
「エリーゼ様は、ルナフレア様のお部屋でお待ちくださいませ。殿下がお戻りになられたら、石のお話を聞かせていただきましょう」
妹は少し不満そうだったが、母の名を出され渋々頷き、最後には箱庭の門の横へ小石を戻した。
◇ ◇ ◇
魔術院にある備品庫へ向かう前に、僕たちは第二皇子宮へ立ち寄った。
備品庫の鍵は三本に分けられていて、そのうち一本を第二皇子宮が管理しているからだ。高価な魔道具を扱う場所なので、鍵を一人に預けない。理屈としては正しい。だからこそ、誰がどの鍵を使ったかの記録が重要になる。
第二皇子宮の中庭では、また茶会が開かれていた。
白い卓布に薄い硝子の茶器が飾られ、菓子皿には小さな果実のタルトが並び、貴族令嬢たちが穏やかな笑みを浮かべ談笑していた。その中心に、レイチェル第五皇女がいた。淡い水色のドレスは彼女によく似合っていて、銀の髪飾りが皇女としての格をさらに上げているようにも見えた。昨日の茶会でも見た、柔らかく笑う皇女だ。僕らの姿を見かけたレイチェルが貴族令嬢に目配せをした後、近寄ってきた。
「最近よく来るわね、ヴィルヘルム第三皇子」
レイチェルがよそよそしく言った。
「第二皇子宮では、毎日茶会を開いているのですか?」
「第三皇子宮では開いてないの?」
「人を呼ぶようにはできていないので」
何度かカリナに「帝国内の貴族との交流を深めるためにお茶会を開きませんか」と打診されたことがある。だが母上の容体を口実に断り続けていた。
「何よそれ。ま、エリーゼちゃんはまだ小さいからね」
「どういう意味ですか?」
「茶会も皇女の仕事なの。そのうち、エリーゼちゃんが大きくなったらあなたの宮でも考えないとね」
「考えたくないですね」
僕が言うと、レイチェルは困ったように笑った。茶会を楽しむ貴族令嬢たちに視線を移す。
「笑ってお茶を注いでいるだけに見えるでしょう。でも、誰を同じ卓につけるか、誰の話を誰に聞かせるかで、翌日の帝国中の廊下の空気が変わるのよ。姉はこういう場があまりお好きではないし、妹はまだ幼いでしょう。気づくと、私が呼ばれているの」
「大変ですね」
「ええ。でも、私にとっては帳簿を見るよりこっちの方が合ってるわ」
僕は反論しなかった。人には適性というものがある。
「レイチェル、すまない。今日は長居できない」
ユリウスが言った。
「でしょうね。兄上が紅茶のカップを所望しないなんて、よほどのことですもの」
「そんなに分かりやすいかな」
「とても」
レイチェル第五皇女は、ユリウスの背後に立つノア卿をちらりと見た。その背後には、エスメラルダとエルヴィスもいる。
「何か事件でもあったの?」
「事件になるかどうかを見に行くところだよ」
「普段のんびり屋の兄上がノア卿を連れて早歩きしている時点で、もう事件でしょ」
第二皇子宮の華やかな茶会の横を、僕たちは通り抜ける。タルトの甘い匂いがした。できれば残りたかった。何も考えず、のんびりと優雅な午後の茶会に耽りたい。そんな時が、いつか来るのだろうか。




