第三十話:ただのけちな人
「……ムーンライズ鉱材商会の納入担当です。見本は本物だから、問題ないと。中身は実地で消耗するものだから、あとで混ざって分からなくなる、消耗品だから、これくらいの品質で問題ない、と」
「消耗品で分からなくなるから、ごまかせると思ったわけですね」
僕は即答した。
「書類上で無理くり帳尻を合わせようとしても、困るのは現場です」
そう言ってから、前世の会議室みたいな言い方をしている自分が少し嫌になった。だが、ここは会議室よりきな臭い。咳が出そうだ。
エスメラルダは床の白線を見て、それから倉庫の袋へ視線を移した。
「殿下。この線は、どこまで伸びているのでしょうか?」
「少なくとも、この魔術院からムーンライズ鉱材商会という悪徳商会までは伸びていますね」
「そこで止まっているといいのですが」
エスメラルダは、嫌なことを言う。
◇ ◇ ◇
処理の方法は大きく分けて三つ。
今月納入分の白線用魔石粉は、全袋を未使用品として再検品。白晶魔石粉の配合が仕様に満たない袋は支払い停止。すでに使った分については、封印見本と納品時検収記録を突き合わせ、過去三か月分まで差額返還を求める。
それとは別に、演武場の安全のため、正規品の白線用魔石粉を緊急手配した。ここは削らない。削った分だけ、誰かの怪我につながる恐れがあるからだ。
最後に、そもそもの魔術院用度係の検収手順を変えた。
見本だけ見て印を押すのは禁止。封印見本、未開封袋、実地反応の三点確認を必須とした。実際、かなり面倒だ。だが、面倒を省いた結果が今の状態だ。
ユリウスは演武場の黒い床にしゃがみ、指先で新しい線を一本引いた。
今度は、本物の封印見本から少量だけ取った粉だ。
彼が青い魔力を落とすと、白線は淡く光り、魔力を吸ってから静かに薄くなった。魔術院の助教たちが小さくざわめく中で、ジンマン会計官はもう顔を上げなかった。
「これで学生たちにも説明がつく」
ユリウスが言った。
「説明が必要ですか?」
「魔術師は目に見えない力を扱うからね。だからこそ、見える線が本物かどうかはとても大切なことだ」
「経費にも同じことが言えますね」
「君は夢がないな」
「夢はベッドで見たいです」
ユリウスが少し笑った。
「ヴィルヘルム」
「はい」
「君は、北方の橋を落とさなかったそうだな」
「僕ではなく、北方軍と職人のおかげです」
「軍糧庫の麦の不正も突き止めた」
「乾いていなかっただけです」
「この魔術院の白線まで見分けた」
「これは、ただ高すぎただけですよ」
ユリウスは、剣を鞘へ収めた。
「君の目的はなんだ? 君も皇帝の座を狙っているのか?」
「僕はただ、金の流れを見てるだけです」
「金の流れ?」
「はい。僕と母上とエリーゼが、誰かの帳尻合わせに使われるのを避けたいだけです」
本当の気持ちで言えば、処刑台に続く道を回避したい。それだけだ。
「物騒なことを言うね」
ユリウスが微笑むも僕が真顔だったので、ユリウスも真顔になる。
ユリウスなりの揺さぶりなのかもしれない。確かに僕だって、僕みたいな皇子がいたら疑うだろう。第一皇子の橋と軍糧に関わり、今度は第二皇子の魔術院にのこのこやって来た。はたから見れば、わざわざ火種を拾って持ち歩いているようなものだ。
しかし実態は違う。
僕は処刑台を回避して、部屋に引き籠もっていたいだけである。
「では、ひとつ忠告しておく」
ユリウスの声が少しだけ低くなった。
「魔術院の予算に手を入れると、僕の派閥に喧嘩を売ったと思う輩が出てくる」
「僕は正直、派閥なんてどうでもいいです。派閥より費目の方が気になります」
前世でもそうだった。派閥だ学閥だ、部署だあの役員の筋だなんだと、みんな何かの傘に寄りたがる。だが請求書に書かれているのはそんな派閥なんかではない。何を買ったか、いくら払うか、誰が承認したか。それだけだ。
僕はそこを見ている。できれば、自室の机の上だけで見ていたい。
「君は、そう言うだろうね」
ユリウスは白線を見下ろした。
「だが、周囲はそう見ていない」
分かりたくないが、分かっている。
エスメラルダが僕の横に立った。ただ立っただけではない。白線の外側、僕と魔術院の人間の間に、きっちり半歩分の壁を作る位置だった。彼女はこういう距離の取り方がうまい。エリーゼも駆け寄ってくる。
「お兄さまは、ただのけちな人です」
妹が言った。
演武場が、妙な沈黙に包まれた。魔術院の用度係や教授らがぽかんと口を開けている。
「エリーゼ」
「だって、ほんとうなんだもん」
「ここではもう少し言い方を考えてよ」
「だって、けちはいいことだよね? うそつきより」
ユリウスは目を丸くし、それから肩を震わせた。
「なるほど。僕の弟は、けちな人か」
「兄上、そこだけ拾わないでください」
第二皇子は笑っていたが、魔術院の者たちは笑えずにいた。
勘違いが、また変な形で大きくなった気がする。
◇ ◇ ◇
【魔術院回廊の噂話】
「聞いたか。魔術院のあの白線、本物は見本だけだったらしいぞ」
「見本だけ?」
「検品する見本には高い白晶魔石粉が使われてたんだが、実際に倉庫へ積まれた袋は、安い白砕石粉まじりだったんだと」
「ひどいな。数もちょろまかしてたのか?」
「いや、数はぴったり。だから帳簿だけ見れば、何もおかしいところはなかった」
「どうやって分かったんだ?」
「仕様書、封印見本、納品袋を並べて、第二皇子に魔力を使わせて試したらしい」
「魔術で暴いた、ってことか?」
「いや、帳簿で逃げ道を無くしたのが先だな」
「第一皇子の橋と軍糧の次は、第二皇子の魔術院か」
「どちらの派閥にも寄らぬ、ということか?」
「一体どういうお方なんだ? 第三皇子は。本当の狙いは何なんだ?」
「わからん。ただ、妹君である第六皇女によると、『ただのけちな人』らしいぞ」
「なるほど。そうやって我々魔術師をも煙に巻くつもりだな、この黒幕殿は」
◇ ◇ ◇
夕方、監査局へ戻るころには、僕の袖口はうっすら白くなっていた。
なぜかユリウスまでついてきていた。魔術院の管轄だから結果を見届ける、という理由らしい。もっともらしいが、僕は本音は別にあると踏んでいる。ただの暇つぶしだ。
だが、第二皇子本人が第三皇子宮の監査局まで来るとなると、周囲はただの暇つぶしとは受け取らない。
廊下ですれ違ったメイドが一人、ユリウスの姿を見た途端に盆を抱えたまま固まった。別のメイドは慌てて来客用の椅子を監査局に運び込み、エルヴィスは自分の席を譲ろうとして、机の上の書類を盛大に床にぶちまけた。カリナは一瞬で監査局の茶器の数を増やし、エリーゼの菓子皿を来客用の見栄えのいい皿と入れ替えた。
エスメラルダは扉と窓を見たあと、ユリウスの背後へ視線を向けた。おそらくは、第二皇子の護衛がどこにいるかを確認しているのだろう。残念ながら、僕には誰の姿も見えない。
「そんなに構えなくていいよ。仕事の続きを見に来ただけだから」
ユリウスは空いている椅子に当然のように腰を下ろした。
「その仕事の続きは、ここじゃなくてもできますよね? 結果はあとで報告しますから」
「いやー。ここで直接見た方が、面白そうじゃない?」
ユリウスが爽やかな笑みを浮かべる。
「ただの暇つぶしですか?」
思わず言葉に出てしまった。
「暇つぶしで済めばいいね」
ユリウスはからりと笑う。本人は軽いのだが、周りが重たい。変な噂が立たなければいいのだが、そう思うだけで、今から胃がきりきり痛くなる。
「殿下」
エルヴィスが、粉で白く汚れた薄い貸出控えを差し出した。
「魔石粉の差額をどこに請求するかを調べるためにムーンライズ鉱材商会の関連事業者登録を確認していたのですが、そこにこんな貸出控えが綴じ込まれていました」
【魔術院備品貸出】
【小型結界石 十二個】
【貸出先 ムーンライズ牧場 試験厩】
小型結界石?
返却予定日は十日前だった。
エスメラルダが用紙を見て、目を細める。
「返却印はなさそうですね。少なくとも、この控えには」
エリーゼが不安そうに僕の袖を握った。
「どうしたの?」
「小型結界石っていうものが十二個、魔術院から牧場の厩に貸し出されてるみたいなんだ。だけど、それが返却予定日を過ぎてるのに返されてないみたい」
「その石、かえってこないの?」
「帳簿上では、ね」
「なくなっちゃったのかな?」
「そこまでわからないですね」
僕がその控えを机の上に置いた。すぐさまそれを、ユリウスが指でつまむ。
「これは僕の管轄だね」
ユリウスは微かに笑っているようだった。
「楽しそうに言わないでください」
「楽しくはないよ。ただ、僕の魔術院の備品が勝手に使われているのだとしたら、話は少し変わってくる」
この件はもう終わりにしたい、という気持ちが喉元まで上がってきた。
だが、これを終わりにするためには、魔術院から牧場に貸し出されたこの十二個の結界石がどこへ行ったのかを、確かめなければならないようだ。




