第二十八話:本題に入ろう
改めて近くで見るユリウスは、茶会の回廊にいた時より少し危うく見えた。
その正面に、別の細身の騎士が剣を構える。同じ黒い手袋をして、ユリウスと対峙する。だがその視線は演武場全域、柱と窓、そして僕たちの立ち位置を見ているようでもあった。
「あの騎士は?」
僕は隣に立つエスメラルダに尋ねる。
「第二皇子護衛隊隊長のノア・キサラギ卿です。茶会では壁際で第二皇子を見守っておられました」
「え? そうなの?」
気づかなかった。
「あと四人ほど、この演武場を取り囲んで第二皇子を護衛しているようです」
「あと四人?」
「第二皇子殿下には五人の精鋭護衛がついています。魔術院や外交の場に出入りされるため、対魔術と暗器への警戒が強いのかと」
僕は周囲を見渡した。魔術院の教授らの姿はあるものの、騎士らしき姿は見えない。
ユリウスは飄々としているようで、意外と苦労も多いようだ。
不意に、ユリウスが指先をあげた。
それを合図に、演武場の四隅に立っていた教授たちが一斉に杖を掲げはじめる。すると黒曜石の柱から淡い青色のベールが伸び、外周円の周りを囲いはじめた。
「これは?」
「防護結界ですね」
エスメラルダが言った。彼女は半歩前に出て、僕たちと演武場の間に立った。
「防護結界?」
「魔術院では、演武に見学者がいる際は必ず張る決まりです」
「エリーゼ様、こちらへ」
カリナが妹を抱き寄せる。
突然、ユリウスとノアの演武が始まった。お互いに魔術を剣に乗せ、その剣で相手に切り掛かる。目にも止まらぬ速さでお互いに剣を振り、避けを繰り返す。時折指先から魔術で光を飛ばすも、それを剣でいなし、反撃する。魔術で火花が発生し、その度に白線が光る。それでも御しきれない魔力の光が、演武場内で花火のように飛び散った。だがそれらは全て、事前に張られた防護結界に触れると淡く光って消えた。
そんな攻防が三分ほど続いたあと、いつの間にか二人は内周円の内側に立ち、互いに礼をした。内側の白線は、すでに消えかかっている。
「さらに腕を上げたようだね」
「殿下の方こそ。付いていくので精一杯でした」
ユリウスとノアが笑顔で語り合う。
「いきなり、はじめないでください」
僕が抗議すると、背後でエリーゼを抱えたカリナが大きく頷いた。エリーゼは驚いているのか、口をぽかんと開けたまま瞬きすらしない。
「ごめんごめん。この演武場でどういうことをやってるのか、実際に見せた方が早いと思って。もちろん、そっちに被害が及ばないよう最小限に力を抑えてたから」
今ので最小限? 僕はユリウスの言葉を信じられず、目を細めた。
ユリウスは僕たちの方に向くと、剣をノアに預けた。
外周の白線はわずかに残っているが、内周の線はほぼ全て消えていた。ユリウスが指示を出すと、魔術院の用度係が数名、白線を引き始める。
「今さらで申し訳ないのだが、君の護衛はもしやクラウド騎士団長のご令嬢では?」
ユリウスが、エスメラルダの正面に立って言った。エスメラルダが頷くと
「どうりで。我々に向けたその鋭い眼光で気付いた。そうか、君があの……」
ユリウスが言いかけて止めた。かと思うと、片膝をつきエスメラルダの手を取った。手袋越しに手の甲へ軽くくちづけをした。
流れるような美しい所作だった。自然な流れすぎていて、止める隙がなかった。
「第二皇子殿下。私は護衛任務中です」
「職務に忠実な女性は美しいね。ヴィルは良い護衛を得たね」
「職務に忠実すぎて、たまに僕に厳しく当たりますが」
「主人に忠言する部下は貴重だよ。なあ、ノア」
「必要であればいくらでも忠言いたしますが、よろしいのですか?」
「まあ、なければ無理に言う必要もないけど」
ユリウスはノアの言葉にたじろぎながら、今度はエリーゼの前で膝をついた。
「怖がらせてすまなかったね」
「すごかった。ユリウスお兄さま、すごかった」
七歳児の語彙で精一杯の賛辞を送っていた。いや、僕でもその程度の表現しかできなかっただろう。
「まほうのせん、きえちゃった」
「ああ。けど、ほら、もう元通りだよ」
魔術院の用度係たちはすでに白線を引き終えていた。エリーゼは体を左右に動かし、白線を眺めていた。エリーゼの背丈では、演武場の白線円を見るのは難しいのかもしれない。
ユリウスが僕を見た。許可を求めているらしいことがわかった。軽薄そうに見えて、そこは踏み越えないらしい。できればエスメラルダの時も欲しかった。
僕が渋々頷くと、ユリウスはエリーゼを両脇から抱え、ふわりと持ち上げた。
「たかい!」
「白線は見える?」
「見える! きれいなまんまる!」
エリーゼは喜びの声を上げた。ユリウスはそのまま外周円を越え内周円に入り、円の中央に立ってゆっくりとエリーゼを抱えたまま回った。
ユリウスは女性や子供を喜ばせることが好きなのか、それともまったく意識していないのか。どちらにしろ、ルドルフ第一皇子とはまるで違う。だがどちらにも言えることがある。それは人を惹きつける魅力が、どちらにも備わっているということだ。
ユリウスはエリーゼを丁寧に白線の外へ下ろし、ようやく僕の元に来た。
「では、本題に入ろう」
「茶会は餌だと認めるんですね」
「予算表の方が餌だよ。君にとってはね」
言い返したかったが、ちょうどいい言葉が出てこなかった。
ユリウスはノアから剣を受け取り、剣先を床の白線へ向けた。
「この線はただの目印じゃない。魔法陣の境界に沿って白線を引き、砕いた魔石粉に少し魔力を付与しておく。魔術が暴走した時に、余分な魔力を線が吸う仕組みだ」
「本当に効くのですか?」
「本物ならね」
ユリウスは白線の途切れた箇所を、剣先で軽く示した。
「最近、小さな暴走が増えている。大事故ではないけれど、床に焦げ跡が残る程度にはね。魔術師は自分の制御不足だと思いたがるし、用度係は使った後の粉だから劣化して当然だと言う。どちらも言い分は正しいから、余計に面倒なんだ」
ユリウスが剣を軽く振ると、青い火花のような魔力が白線へ落ちた。白線は一瞬だけ青白く光った。だが、火花を飲み込みきれず、細い火の端が黒い床へ散った。焦げた砂糖に似た匂いがあたりに充満し、線の一部がぷつりと途切れた。
カリナの傍らで見ていたエリーゼが、目を丸くした。
「せんが、まほうをたべた?」
「魔力を吸ったんです」
「おなかいっぱいになった?」
「いえ。食べきれなかったようですね」
ユリウスは、ほらね、という顔で肩をすくめた。
「これが厄介なんだ。暴走した魔力を吸った後の粉は性質が変わる。演習後に調べても、最初から薄かったのか、きちんと働いて薄くなったのか、言い争いになる」
「それに、強すぎる魔力だと効いているのかどうかすらわからない」
僕は先ほど見たユリウスとノアの演武を思い出していた。あのレベルの演武であれば、今の白線では受け止めきれない。
ユリウスが目を閉じ、軽く頷いた。
「だから僕を呼んだのですか?」
「僕の感覚では、今の推理だけだと支払いを止める理由として弱い。未使用の納入品と契約書を並べれば、君ならうまく理由をつけられるんじゃないかと思ってね」
さらりと言う。
だが、言っていることは嫌になるほど現実的だった。使った後に分からなくなるものは、使う前を押さえるしかない。魔術の話をしているようで、実は証拠の残し方の話になっていた。
この人は面倒だ。笑顔で僕の逃げ道を塞ぐ。
「ジンマン会計官」
「は、はい」
演武場の端に、魔術院の会計官が立っていた。黒い魔術着に銀の飾り紐を肩からぶら下げている。ジンマンと呼ばれた会計官は大事そうに書類を胸に抱えていた。
「白線用魔石粉の仕様書をこちらに」
会計官はすぐには動かなかった。
エスメラルダが一歩だけ前に出た。そして、腰に差した剣の柄に手をかける。それだけでジンマンは慌てて仕様書を差し出した。
僕は受け取った仕様書を開いた。




