第二十七話:第二皇子ユリウス
振り向くと、銀灰色の髪をゆるく結んだ青年が、細身のカップを片手に立っていた。第二皇子ユリウスだった。
「釣った自覚はあるんですね」
「その言い方も良くない。効果的な招待状と言ってほしいなぁ」
僕の言葉に、ユリウスは唇を少しだけ尖らせた。
「けど、本当に来たんだ。ヴィル」
「呼んでおいてそれはないでしょう」
「冗談だよ。君が来たのはすぐにわかった。魔術院の教授たちが浮き足だっていたからね」
僕が首を傾げると、ユリウスが微笑んだ。
「どうやら予算を減らされるのではないかと、戦々恐々らしい」
「人のことをなんだと思ってるんですか」
「さあ、直接彼らに聞いてみたら?」
ユリウスが背後に視線を移した。見ると魔術院の教授らしき集団がこちらに気付き、あからさまに視線を外された。いつの間にか回廊の中心にいて、茶会の注目を集めていた。
「予算の一部を先に見せたのはそちらですよ」
「あれを送れば、君が来ると思ってた」
「悪質ですね」
「でも、こうやって来てくれた」
ユリウスはそう言って微笑んだあと、エリーゼの前で膝を折り、目線を合わせた。
「ごきげんよう。小さな姫君」
ユリウスの挨拶に、エリーゼがまたドレスの端を両手で持ち応えた。
「どうだい、魔術院は楽しいかい?」
「まじゅついんって、まほうの学校?」
「学校でもあり、役所でもあり、軍の倉庫番でもあるね」
「そうこばん?」
「橋を守る結界石や鉱山を調査する魔術具、魔力を吸収する白線も魔術院で管理してる。魔術は一見華やかに見えるけど、それに紐づく道具はきちんと管理しておかないと国が傾く恐れもある」
「たいへんなんだ」
「そう、すごく大変」
「じゃあ、まじゅつしの人はえらい?」
「そうだね。偉い人もいるし、変わった人もいる。それはどこも同じだね」
ユリウスが僕を見ながら言った。
「エリーゼもまじゅつしになれる?」
「適性があれば。検査は受けてるんだっけ?」
ユリウスが僕を見た。僕は全く知らないので、そばにいたカリナに視線で尋ねる。カリナは短く首を横に振る。
「じゃあ、ちょっと受けてみる? ひょっとしたら、僕より才能あるかも」
「それはないでしょう」
ユリウスの言葉に、レイチェルが口を挟んだ。
「ユリウス兄上は別格よ。十歳で高等結界式を解いて、十二歳で演武場の魔力制御試験を満点で抜けたの。この魔術院の若者たちにとって、ユリウス兄上は目標であり超えられない壁そのものなのよ」
「レイチェル、その話は恥ずかしいから半分でいい」
「では半分にいたします。ユリウス兄上は、帝国の魔術行政を次のステップに押し進める希望の光です」
「それで半分なの?」
ユリウスは困ったように笑っていたが、いつの間にか集まっていた周囲の教授たちは、誰も否定しなかった。それどころか、
「ユリウス様が研究されている結界網の拡張がこのまま進めば、西方との魔術協定も現実味を帯びますな」
「ええ。我々の悲願である、魔術大国との魔術留学制度も必ずや整えられましょう」
「楽しみですな。ユリウス殿下の御代には……」
そこで言葉が止まった。
どうやらそこまで迂闊な発言をする人たちではないらしい。ユリウスに期待しているのは火を見るよりも明らかだが、誰も彼のことを「次の皇帝」とは明言しない。
後継者争いの一端を垣間見た気がした。
第一皇子ルドルフが軍と秩序の象徴なら、第二皇子ユリウスは魔術と外交の象徴だろう。少なくとも周囲の人間がそう見ているであろうことは、こっち方面に勘が鈍い僕でもわかった。
この場にいる人間の多くは、第一皇子と第二皇子のどちらにつくかを見定めている。どちらにつくのが、自分の利益につながるか。品定めだ。ただ、第三皇子である僕がここにいるだけで、おそらく余計な意味がついてしまう。こちらが意図しなくても、僕が茶菓子を一つ取るだけで、どこかの派閥への挨拶だと捉えられかねない。
今、それがないのはおそらくエスメラルダのおかげだ。彼女が僕に近寄って来そうな貴族を敏感に察知し、僕とその人物の間に立つ。彼女がピンポイントで殺気を放つ。それだけで大抵の者は萎縮する。だが、それも万能ではない。
できれば、今すぐ帰りたい。
だが、回廊の中央に置かれた小卓の上には、例の支出予定表が載っていた。菓子皿の隣に、妙に黒々とした文字で。置いたのはユリウスだ。実に嫌な置き方をする。
「お兄さま、これ、まほうのせんのこと?」
エリーゼが支出予定表を覗き込んだ。
宮廷というものは、どうして何でも綺麗な名目に包んで持ってくるのだろう。粉砂糖なら歓迎する。支出予定表つきの高すぎる魔石粉は、できれば遠慮したい。
「魔術院で使っている白線です。ここでは主に演武場で使っているようです。魔法陣の境界に沿って引いて、暴走した魔力を吸う粉が、その白線に混ぜてあるらしい」
「ふんだら、だめ?」
「だめです」
「ふんだら消えるから?」
「はい。白線なので」
エリーゼは真剣な顔になった。
「しょうもうひん?」
「はい。一度魔力を吸ったら使えなくなります」
「じゃあ、高いともったいないね」
僕より先に、エリーゼが結論を出した。
「そうですね。必ずしも高いものが悪いというわけではないですが、踏まれたら消える白線に高い金を払うなら、その効果が本物かどうかを見定めないといけません」
「左様です」
見ると、エスメラルダが僕の半歩後ろでうなずいていた。
「では、演武場へ行かれますか?」
「行きたくありません」
「すでに回廊までは来ております」
「茶会に参加したままです」
「殿下はそれでいいのですか?」
「それでいいとはどういうことですか?」
「その言葉の意味そのままです。不正な支出は見過ごせないお方です」
「その評価は不本意ですね」
心から放っておいて欲しい。
言い返せなかった。
「ご令嬢の言うとおりだ。せっかくここまで来たんだから、わが魔術院が誇る演武場も見ていくといい」
ユリウスは茶会の客に軽く手を振り、先に回廊の奥へと歩き出した。気軽な足取りだった。
これから弟を自分の領分へ連れ込む人間の足取りとしては、あまりにも軽く見えた。
いつの間にか、逃げ道がなくなっていた。
魔術院の演武場は、宮廷西棟の奥にあった。
床は黒い石で敷き詰められ、四隅には背の高い黒曜石の柱が立っている。天井は高く、窓にはぶ厚い擦りガラスがはめられていた。場内の空気は湿り気があり、例えるなら湿った金属の匂いがした。魔力が濃い場所特有の匂いだ。
カリナはエリーゼの少し前に立ち、妹の肩に手を伸ばしていた。魔術院の演武場は、文字通り魔術の演武を行う場だ。本来なら七歳の子供を連れてくるような場所ではない。だが、ついてきてしまったものはしょうがない、危ないものから子供を守るのは大人の役目だ。
演武場の中央に、白い線で円が描かれていた。
外周と内周の大小二つの円が描かれ、その外周の内側には魔術射撃用の位置取り線があり、内周の内側には剣術用の直線が引かれていた。線だけを見ると、なかなか立派である。近くで見ると、白い粉の中に細かな光の粒が混じっているのがわかる。これが魔石の粉だろう。
ただし、白線は踏めば消える。
白線の内側でユリウスが細身の剣を構えた。
銀灰色の髪を後ろでゆるく結び、長い指に黒い手袋をはめている。剣身には薄く青い魔力が走っていた。




