第二十六話:魔術院の茶会
魔術院の西棟、温室回廊で開かれた茶会は、僕が想像していたよりもずっと優雅だった。
高い硝子天井から午前の日の光が落ち、鉢植えの月桂樹の葉に細い影を作る。卓布は淡い銀灰色で、菓子皿にはガレットや砂糖漬けの柑橘、薄く焼いた香草入りのビスケットがこれでもかと並んでいる。銀の茶器は磨き上げられ、触れるのが怖いくらい薄いカップには、琥珀色の香り豊かな茶が波紋を作り揺れていた。
ただし、優雅な場所にはそれだけ裏に大きな予算が存在する。
【魔術院演武場 白線用魔石粉】
【支出予定額 金貨四百五十枚】
【月次補充 五十袋】
この支出予定表さえ見なければ、欠席する理由はいくらでも作れた。母上の見舞い、資料整理、体調不良。どれも古今東西合法的で効率的な引き籠り手段である。
ところが、支出予定表を見てしまった。
金貨四百五十枚である。月次補充が五十袋なら、一袋あたり金貨九枚。いくら貴重な魔石の粉が含まれているとは言え、踏めば消える白線の粉にしてはいささか高すぎる単価である。普通の白線用石灰なら、一袋で金貨一枚もしない。
そんなこんなで、僕は引き籠りたい気持ちとは裏腹な礼装で、この温室回廊に立っている。
深紺の上着に銀糸の飾り紐、袖口は硬いし、襟は首に当たって擦れて痛い。引き籠りが着ていい服ではない。そもそも、引き籠り用の礼装というものは存在しない。あるならそれはジャージ素材だ。残念ながらこの世界ではまだそんな素材に巡り会えていない。
エスメラルダもいつもの鎧ではなく、礼装用の騎士服だった。黒に近い深緑の上着に、磨かれた肩当てだけを付けている。だが、いつもの剣は腰に差していた。礼装でも剣は必ず持つ。そこは少し安心した。
エリーゼは白い襟のついた淡い桃色のドレスを着て、焼き菓子の紙箱を両手で抱えていた。カリナがその傍に立つ。いつものメイド服なのだが、よく見るとキラキラと輝いていた。素材が豪華だった。
「エリーゼ様。ここが魔術院です。白い粉や光る石を見つけても、勝手に触れてはいけませんよ」
「どうして?」
「魔術の道具は、触るだけで危ないものがございます」
「じゃあ、さわらない」
「はい。足で踏んでもいけません」
「わかった。ふまない」
カリナは腰をかがめ、エリーゼの頭のリボンを直した。結び目が妙にきつそうだった。注意したそばから壁に飾られた魔晶灯に手を伸ばそうとしたからかもしれない。
「殿下、彼はあのままでよろしいのですか?」
エスメラルダが尋ねた。見ると、支出予定表の控えを抱えたエルヴィスが、少し離れた窓際の柱の陰に隠れるようにして立っていた。
「ああ。『私は招待されるような身分ではございません。書記官は壁のシミに徹します』とかなんとか言ってた。まあ、気持ちはわからんでもないから、彼の気が済むようにしましょう」
僕だって場違いだと思っているから、茶会を楽しめなどとは口が裂けても言えない。
回廊には、魔術院の教授や後援の貴族、今年の本試験で有望とされた若者とその親族、商会の代理人たちが集まっていた。皆柔らかく笑い、角砂糖をカップに落とす音まで上品に聞こえる。だが、彼らの口から聞こえてくる言葉の端々は決して甘いものではなかった。
「今年は地方推薦の数が多いそうですわね」
「ええ。五歳を過ぎて魔力の兆しが出た子は、身分を問わず適性試験を受けられますから」
「ですけど、そこから帝都の本試験に残るのはごく一握りでしょう?」
「入ってからも大変ですよ。毎年数百人が受験しますが、帝国所属の魔術師として任官できる者はほんの数パーセントですから」
ユリウスからの招待状には第一皇子、第四皇子と第五皇子も招待していると書いてあった。だが、見たところ第一皇子ルドルフの姿はない。北方軍務で欠席だと、近くの貴族が小声で話しているのが聞こえた。第四皇子ルーカスと第五皇子レオンの姿も見えない。まあ、彼らが来るとは到底思えないが。
「ヴィルヘルム」
回廊の奥から、澄んだ声がした。
声の方を見ると、フローラ第二皇女がこちらに気づいていた。薄青のドレスに、白い手袋。その手には、小さな花束があった。正妃の娘で、ルドルフ第一皇子の下の妹だ。僕にとっては腹違いの姉で、同じ宮で育ったわけではないが、もちろん顔を知らない相手ではない。
その隣にはレイチェル第五皇女もいた。ユリウスと同じ第二妃の子で、魔術院の茶会では、当たり前だが僕よりずっとこの場に馴染んでいた。
呼ばれた以上、行かないわけにはいかない。
僕はため息を隠しつつエリーゼの手を引き、フローラとレイチェルのもとへ向かった。茶会の端で気配を消しやり過ごす予定は、ものの数分で破綻した。
「ごきげんよう、フローラ姉上。レイチェル姉上」
「ごきげんよう、ヴィルヘルム。こんな場所で会うなんて珍しいわね」
「ユリウス兄上の予算表に導かれました」
「予算表?」
フローラは目を丸くする。
「姉上、その花は?」
僕は話を変えようと、フローラが持つ花束に視線を移す。
「婚約祝いよ」
答えたのは、レイチェルだった。
「アニャスタ王国のロイディ王太子殿下とのご婚約祝い。今朝、温室から私自ら剪定したのよ」
「それは存じず申し訳ございません。何か祝い物を持って来るべきでした。まずはご婚約おめでとうございます、フローラ姉上」
「変な気遣いはよして。つい先日決まったばかりだから、知らないのも無理ないわ。まだお会いした回数より、届いた書類の枚数の方が多いくらいなんだから」
「皇女の婚約って、恋文より先に契約書が来るんですね」
レイチェルが感心したように言った。
「ええ。しかも恋文よりぶ厚い」
フローラがげんなりしたように言った。
「厚い恋文なら素敵ですけれど、ぶ厚い契約書は読むのも大変そうね」
レイチェルが柔らかく笑った。皇女の婚約とは、僕が思っているよりも手続きが面倒そうだ。それもそうか。このクラスの婚約は恋愛沙汰というよりも、ほぼ外交である。
フローラは花束を手近にいた侍女に預けると、エリーゼの前で腰をかがめた。
「エリーゼも、よく来たわね」
フローラが微笑むと、エリーゼがドレスの端を両手で持ち軽く頭を下げた。
「フローラお姉さま、とってもきれい」
エリーゼがフローラを見上げる。その瞳はきらきらと輝いていた。
「ありがとう。あなたのドレスも、よく似合っているわ」
「え? そう?」
エリーゼが顔を綻ばせる。
「その笑顔も素敵」
エリーゼは嬉しそうに笑ったあと、僕を見上げた。
「でも、お兄さまの、かおはかたい」
「それはこの礼服の襟が硬いからです」
嘘ではない。だが、全てではない。
「でも、本当に珍しいわね。あなたが茶会に来るなんて。第三皇子宮にも、毎年招待状は届いていたはずでしょう?」
傍らで僕たちのやりとりを見ていたレイチェルが言った。
「開封確認だけは毎年してましたよ」
「今年はユリウス兄上の直接の招きだったから断れなかったの?」
「それもありますね」
「嘘おっしゃい。他の皇子だっていつもみんなガン無視じゃない。何か面白いものに釣られたんでしょ?」
第五皇女は勘が鋭い。
「レイチェル、その言い方は少し傷つくなぁ。ま、釣った覚えはあるけど」
背後からやけに明るい声がした。




