第二十五話:お兄さまが、かえるところ
昼になっても、僕たちの箱庭造りは終わらなかった。
僕は倉庫の屋根を作り、その角度を直していた。雨水が溜まるとまずい。最悪雨漏りする可能性だってある。いや、これは箱庭だから雨は降らないのだが、屋根の勾配が悪い倉庫は現実でもよろしくない。
箱庭造りに没頭しているのは僕だけではなかった。エスメラルダは小さい門の横に、さらに小さな詰所を作っていた。
「詰所まで作る必要ありますか?」
「門を守る者にも、休憩する場所は必要です」
「優しいですね」
「雨に濡れ風に凍えた兵士は、判断力が鈍ってしまいます。それではいい警護ができません」
「理由がかなり実務的でしたね」
カリナは机の反対側で、余った古布を小さく畳んでいた。箱庭用の丘に使うもの、道に使うもの、廃棄するものを分けているらしい。仕事が細かく丁寧だ。
「その布はどうするつもり?」
「こちらはまだ使えます。これは糊を含みすぎたため、仕方ありませんが廃棄いたします。こちらはエリーゼ様の工作箱へ」
「分類が完璧ですね」
「後片付けまでが工作でございますので。ね、エリーゼ様」
エリーゼは箱庭造りに没頭して返事をしない。だが僕にはわかる。都合の悪いことなので、聞こえないふりをしたのだ。
僕は笑いそうになりながら、屋根の角度を直した。その瞬間、お腹のなる音が部屋中に響いた。
急に部屋が静かになる。
「殿下」
カリナが静かに言った。
「昼食のお時間でございます」
「もうそんな時間ですか?」
「一時間ほど前から、そんな時間でございます」
「かなり前ですね」
「はい」
カリナが扉を開けると、扉の向こうに盆を持ったメイドたちが並んで待っていた。盆の上には薄く切ったパンとスモークされた鶏肉、野菜のスープに小さなプリンが置かれていた。
「作業中でも召し上がれるよう、軽めにしてございます」
「助かります」
すでに準備していたのか。本当にカリナは仕事ができる。
「ただし、箱庭の上では食べないでくださいませ」
「分かっています」
「殿下は、考え事をされると手元が疎かになりますので」
「僕、まるで信用されてないね」
「過去の実績に基づいているまでです」
僕は反論できなかった。
エリーゼは自分のプリンを見て、それから箱庭の倉庫を見た。
「プリンは、かわかさない?」
「乾いたら美味しくないよ」
僕は至極当たり前のことを言った。
「じゃあ、すぐ食べる」
「正しい判断です」
カリナが大きく頷いた。
妹は満足そうにプリンを食べた。
その幸せそうな顔を見ていると、少しだけ肩の力が抜ける。軍糧庫の湿った匂いも、オーバールック橋の足元の冷たさも、まるで別世界の出来事のように思えた。
エリーゼは、箱庭の端に小さな厚紙を置いた。
そこには丸い字で、【お兄さまのおへや】と書かれている。
「これは?」
「お兄さまが、かえるところ」
妹がさらりと言った。僕は箱庭の縁を指でなぞる。
この箱庭の中の橋なら指先で直せる。倉の入口も、麦袋の位置も、門番の立つ場所も、ほんの少し手を動かせば済む。
現実も、こんな風に簡単に調整できたらいいのに、と一瞬だけ思った。
◇ ◇ ◇
【第三侍女室の噂話】
「ねえ、聞きました? 殿下がカリナ様を監査局に引き抜こうとしたんですって」
「聞いた聞いた。あれ、スカウトというより、ほとんど告白じゃない?」
「それは違うでしょう。仕事ができるからじゃないの?」
「でも殿下って、カリナ様のこと好きそうじゃない?」
「仕事ができる女性に弱いだけじゃないの?」
「それを言うなら、エスメラルダ様はどうなるのよ」
「あの方、殿下の箱庭に小さいご自分を置かれたらしいわよ」
「あら、それは大胆ね。どこに置いたの?」
「門の横」
「門の横?」
「殿下の横に立つってことでしょ?」
「「「きゃあっ!」」」
「しーっ! 声が大きい」
「でも、殿下もまんざらじゃなかったらしいわよ」
「じゃあ、本命はエスメラルダ様?」
「え、でも待って。第三皇子殿下って、許嫁いますよね」
「「「えっ?」」」
「どなた?」
「えーと、確か隣国の……あ、誰か来た」
「「「ちょっと待って! 一番大事なとこでしょっ!」」」
◇ ◇ ◇
「これは何ですか?」
昼食後、箱庭の中を見たら白い線が引かれていた。
「ここからはいったらだめ、っていうせんだよ」
「線?」
エリーゼは割れた白い皿の欠片を小さく砕き、橋の手前にぱらぱらと並べた。粉というには粗いが、箱庭の黒い木板の上では、白い境界線に見えなくもなかった。
「なんでここを越えたらダメなの?」
「はしがこわれてるかもしれないから」
「なるほど。安全のために侵入禁止の線を引いたのですね」
「うん。けど、ふまれたらきえちゃう」
「まあ確かに、消えちゃいますね」
エリーゼは当然のように言った。
「では、私が線を踏み越える者を止めます」
エスメラルダが小さい門の前に、小さいエスメラルダを置き直した。
「守るものが多いですね」
「殿下の仕事が広がれば、必然的にそうなります」
いつの間にか責任の所在が僕になったので、背筋が伸びた。
やはり箱庭は危険だ。楽しいだけでなく、どんどん仕事の形に似てくる。
「殿下」
エルヴィスが慌てて部屋に戻ってきた。青銀色の封蝋のついた封書を持っていた。
僕はそれを見た瞬間、この幸せな時間が終わりを告げたことを悟る。この封蝋は……。
「第二皇子宮からです」
エルヴィスが封書を僕に手渡した。中には茶会の招待状と、支出予定表の写しが一枚入っていた。
【魔術院演武場 白線用魔石粉】
【支出予定額 金貨四百五十枚】
白線。
僕は箱庭の橋の手前に引かれた、白い線を見た。
「お兄さま、なんてかいてあるの?」
「魔術院の白線の帳簿ですね」
「まほうのせん?」
「……たぶん、そうです」
「ふんだら、だめ?」
「それを確かめてくれ、ってことだと思います」
「だれから?」
僕は深く息を吐き、第二皇子宮からの支出予定表を眺める。
「ユリウス、第二皇子からです」




