第二十四話:少しだけ。のはずだった
少しだけ。のはずだった。
まず、古布を丸めて低い丘を作る。上から乾いた苔を薄く貼り、小石を並べて谷を作る。橋は短い木片を二本渡して、その上に薄い板切れを置いた。オーバールック橋のつもりだ。
「お兄さま、これは、はし?」
「はい。ただ、この幅だと荷馬車が通れません」
「ちいさい?」
「小さいというより、道幅の比率がおかしいんです。実際の橋なら、馬車二台が通る幅と、その左右を人が通れる余裕が必要です」
「あそびなのに?」
「遊びだからこそです。遊びだからこそ、細かい箇所にこだわるんです」
言ってから、僕は少し考える。
まずい。
妹の遊びに付き合っていただけのはずなのに、頭の中ではもう橋の幅、馬車と人が通る余裕まで計算していた。前世でもそうだった。休日に本棚を少し片づけるだけのつもりが、いつの間にか家具の模様替えに発展して日が暮れていたことがあった。
これは、その時と同じ流れだ。
エリーゼは気にせず、今できたばかりの橋の上に、小さな丸い石を置いた。
「これは何ですか?」
「おかしの馬車です」
「お菓子を運ぶ場所?」
「うん。こっちが、兵隊さんのごはん」
エリーゼは布袋から小さな麦粒を三つ取り出し、橋の向こうに置いた。
「三粒では、ちょっと少なすぎますね」
「じゃあ、もっとたくさんごよういいたします」
エリーゼが麦粒をつかもうとした瞬間、カリナが横から小皿を差し出した。
「エリーゼ様。散らばらないよう、小皿の上でお願いいたします」
「カリナ、はやい」
「麦粒は床に落ちると掃除に手間がかかりますゆえ。それとエリーゼ様。麦粒はお口に入れないでくださいませ」
「いれないよ」
エリーゼはまたか、と言いたげに頬を膨らませる。
「昨日もそうおっしゃいました」
さすがカリナだ。今のやりとりで、昨日エリーゼが麦粒を口に入れたことがわかった。僕も気をつけてみておこう。
カリナは箱庭の材料をエリーゼに渡しながら、同時に机の上に布巾を敷き、糊の瓶の下に古紙を置いた。すかさずエリーゼの袖口が汚れないようまくる。仕事が速く、しかも静かで丁寧だ。こういう人が職場にいると、仕事が捗る。
「カリナ」
「はい」
「第三侍女室に監査局を置くという案はどう思う?」
僕の言葉に、カリナは無言のまま固まった。
「おっしゃる意図はわかりますが、意味がわかりません」
「ダメかな」
「先ほど丁重にお断りしたはずですが」
「そこを何とか」
「それでは、侍女室の配下に監査局を設置していいものか、皇帝陛下に意向を伺いに参りましょうか。お急ぎなら今からでも、私は一向に構いませんが」
「今から、ですか」
僕は途端に面倒くさくなる。せっかく一日引き籠もると決めたのに、よりによって一番厄介な父上に会いに外出するなど、もってのほかだ。
カリナが笑ったように見えた。僕の負けだ。彼女の方が一枚も二枚も上手だった。
「ちなみに殿下、この箱庭造りですが、一日一時間までにしませんか?」
「なんでそんな制限を?」
「昼食を忘れられる未来が見えますので」
「そこまではやらないよ」
僕はカリナの提案を鼻で笑った。僕のことを馬鹿にしすぎている。
「殿下」
エスメラルダが木片を手に、僕を呼んだ。
「これは門にできますか?」
「門?」
「はい。橋の手前には門が必要です」
「何で?」
「門があれば、敵が橋を渡る前に食い止めることが可能です」
「これは北方補給路の箱庭であって、戦場ではありませんよ」
「補給路が狙われる可能性があるのなら、そこはもう戦場です」
極論だ。そんなことを言えば、どこも戦場になってしまう。
「ですが、門は敵を止めるためだけのものではありません」
「どういうことですか?」
「帰ってきた人を、迎えるためのものでもあります」
エスメラルダは細い木片を二本立て、その間に小さな板を渡した。門というより、小さな柵だった。だがこの配置は悪くない。橋へ入る前にまず荷を止め検問として機能できるし、敵がいた場合、横道からの侵入も防ぐことができる。
「ここに立つのは?」
エリーゼが尋ねた。
「もんにはもんばんがひつようだよね?」
「私が立ちます」
エスメラルダが即答した。
「エスメラルダはここに立てないよ。だって大きいもん」
「それでは、小さい私を作りましょう」
そう言うとエスメラルダは糸巻きの芯を一つ取り、それに古布を巻いて、そこに折れた羽ペンの先を差す。
「これは?」
「エスメラルダだ」
僕が尋ねると、エリーゼが目を輝かせながら言った。
そう言われると、腰に剣を差した小さいエスメラルダに見えてくるから不思議だ。
かなり強そうだった。
エスメラルダは少し考えたあと、その小さな自分を門の横へ置いた。
「ここが一番、殿下を守りやすそうです」
さらりと言われ、僕は返答に困る。エリーゼは、そんな僕を見てにこにこ笑っていた。
「お兄さま、てれてる」
「照れていません」
「てれてる」
「資料整理に戻ります」
「あ、にげた」
七歳なのに鋭い。
◇ ◇ ◇
箱庭は、少しずつ監査局の机を侵食していった。
橋の次は倉庫を作ることになった。厚紙を折り、屋根を乗せようと思ったがそれだと中が見えないため、倉庫の四方の壁を再現するにとどめ、その入り口部分をハサミで切って作る。小さい窓を作り、風の通り道を作る。軍糧庫で見た記憶を再現し、小さな木材を組んで作った棚を入口、中央、奥に分けて置く。我ながら測ったかのような正確な縮尺だ。
「ここが、入口のむぎ」
僕が作った棚の上に、エリーゼが麦の粒を三つ置いた。
「ここが、まんなか」
また三つ。
「ここが、おく」
さらに三つ。
「奥は風が通りにくいので、湿り気が残りやすいですね」
「おくのむぎ、かわいそう」
「麦に感情はありませんよ」
「でも、かわいてないんでしょ」
「それはかわいそうですね」
言ってから、僕は吹き出してしまった。
乾ききらない麦粒が、倉の奥でじっと耐えているところを想像してしまった。
麦に感情はない。ないはずなのに、エリーゼが「かわいそう」と言うと、麦にも感情があるかもと思えてくるから不思議だ。
「殿下」
エルヴィスが書類束を抱えて入ってきた。
「軍糧庫の検収控えをまとめました。それと、ヤンジ課長の供述前整理ですが」
「そこに置いてください」
「はい」
エルヴィスは机の端に書類を置こうとして、箱庭を見た。
「……これは?」
「資料整理の一環です」
遊んでいるんじゃないぞ、と言わんばかりに僕は自分の作業の正当化を図る。
「かなり本格的ですね」
「情報の視覚化です」
「なるほど」
エルヴィスは真面目に頷いた。彼はこういうところで疑わない。とても良い書記なのだが、その生真面目さが逆に心配になった。
「あ、ここ、昨日の軍糧庫ですか?」
「わかりますか?」
「はい。これ、ものすごく忠実に再現されていますね。入口、中央、奥の棚の位置まで同じです。あ、それでいうと、この横には検収机がありましたね」
そう言って、エルヴィスは小さな木片を倉庫の横へ置いた。
「けど、机はここの方が良さそうですね。袋を量ったあと、検収札を貼る動線が短くて、作業工数が短縮できそうです」
僕はエルヴィスが置いた木片を見た。確かにその配置の方が作業は早そうだ。早そうだが、同時に袋の中身を確認する工程もまた省かれそうだ。そう考えると、この机はこちらにあった方が……。
「エルヴィス」
「はい」
「この配置を、記録に残してください」
「箱庭の配置をですか?」
「はい。兄上……ルドルフ第一皇子に作業工程の削減を提案します」
「承知しました」
箱庭造りで遊んでいたつもりが、いつの間にか仕事になっていた。
これは危険だ。
楽しい上に、仕事も捗る。
「お兄さま、あそびなのに、かおがおしごとのかおになってる」
「これは仕事ではありません」
「じゃあ、なあに?」
「これは趣味です」
「しゅみって?」
「好きでやることです」
「お兄さまは、しごとすきなの?」
「それは違います」
即答した。そこは違う。断じて違う。
「僕は部屋にいたいだけです。外に出ずに橋や倉庫や道を見ることができるのなら、それは本当にすばらしいことです」
「そとにでないあそびってこと?」
「確かにそうですね。箱庭造り、最高です」
思わず本音が出た。エリーゼが満面の笑みになった。
外に出ずに現場が見られる。
これほど引き籠りに向いた趣味が、この世にあるだろうか。
「じゃあ、はこにわはすき?」
僕は箱庭を見た。
小さな橋、小さな倉、小さな門。小さなエスメラルダ、麦粒の山。糸巻きで作った見張り台、割れた皿の白い欠片を並べた道。
現実の橋は恐ろしく、軍糧庫は埃っぽかった。だが箱庭の中なら、橋も倉庫も怖くはない。自分の手で動かせるし、何度でも配置を変えられる。神様って、こんな気持ちなのかもしれない。
「……少しだけ」
「すごくすき、のかおだよ」
「いえ。少しだけです」
エリーゼがにやけ顔で笑った。




