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二十三話:箱庭

 軍糧庫の検分を終えた翌朝、僕は監査局の扉に閉局札をかけた。


【本日、資料整理のため閉局】


 今日は外に出ない。誰が来ても出ない。橋も見ない。倉庫も見ない。

 たとえルドルフ第一皇子に低い声で呼ばれたとしても行かない。


 もちろん、資料整理のため、というのは嘘ではない。軍糧庫から写し取った支出予定表や検収控え、ヤンジ軍糧課長の処分関係など、整理すべき資料は山ほどあった。


 ただし、僕の本音は別にある。


 引き籠っていたい。


 ここ数日、オーバールック橋や北方補給路、軍糧庫と、行きたくない場所へ行きすぎた。前世でも出張帰りの翌日はそこで外出と在宅のバランスを取ろうと、家の中でずっと引き籠もっていた。その気持ちは今世でも同じである。いや、今世の方がより深刻だ。前世の出張先には処刑台など存在しなかった。


 それに、ここ数日はずっとルドルフ第一皇子と顔を合わせていた。まず、ルドルフ第一皇子は悪い人ではない。むしろ、北方の兵を本気で大事にしている人だと分かった。


 分かったのだが、あの目つきは怖いし、声は低くて腹に響くし、黙って見つめられるだけでこちらの背筋に冷や汗が出る。


 要するに、僕は少し疲れているのだ。

 そんな時は、何の予定も入れず、家でダラダラ過ごしていたい。


 だが今日はまだ休日ではない。なので、仕方なく僕は職場に引き籠もることを決めたのだ。


「殿下」

 扉の前に立ったエスメラルダが、閉局札を見て言った。


「はい」

「この札、少し小さくありませんか?」

「大きい札にすると、閉局していることが目立ちます」

「目立たせるための札ではないのですか?」

「目立ちすぎると、なぜ閉局しているのか、聞きに来る人がいる可能性が高くなるので」

「なるほど」

「なので、今日は誰が尋ねてこようとも、監査局には絶対に入れないでください」

「かしこまりました」


 エスメラルダは妙に納得した表情を見せた。


 否定されたくはないが、かと言って素直に納得して欲しくもない。

 護衛が僕の怠惰に理解を示し始めると、なんだかもう後戻りできないような気がしてくる。


「お兄さま」

 不意に、机の向こうからエリーゼの声がした。


 いつの間にこの部屋に?

 七歳児は足音が軽く気づかなかった。いや、あの護衛なら気づいていたはずだ。気づいていながら、止めなかったのだ。


「エスメラルダ……」

 エスメラルダを見ると、視線を逸らされた。いまさっき絶対に誰も入れるなと言ったばかりなのに。


 エリーゼは小さな木箱を両手で抱えていた。中身はお菓子ではないらしく、箱の隙間から木片や糸巻き、割れた陶器の欠片が見えた。


「それはなんだい?」

 いくら引き籠もりたいとはいえ、実の妹を無下にするほど僕の性格は終わってはいない。


「ここにつくるの」

「何を?」

「はしと、むぎのくら」


 僕は瞬きをした。


「橋と麦の、倉?」

「うん。きのう、お兄さまがいった。わすれないために、ちょうぼにつけるって」

「言いましたね」

「だから、わすれないばしょをつくるの」


 ふざけているのかと思ったのだが、エリーゼの目は真剣そのものだった。


「あと、お兄さま、そとに出るとこわいかおになるから」

「……そんなに怖い顔をしていましたか?」

「してた。だから、おへやのなかなら、おちないはしをつくれるかなって」


 僕は返事に詰まる。

 帳簿に書く。控えを取る。番号を振る。わかりやすく整理する。僕はずっと、忘れないために紙を使ってきた。


 だがエリーゼは、忘れないために、立体的な『場所』を作ろうとしている。

 無邪気な七歳児は、ときどき大人の縮こまった発想を軽々と超えてくる。


「素晴らしい。箱庭造りですね」

「はこにわ?」

「小さな箱の中に、橋や道や倉を作る遊びです。ジオラマ、とも言います」

「じおらま……」


 エリーゼは自身が持ってきた木箱を、まじまじと見つめる。


「はこにわ、のほうがすき」


 エリーゼは「はこにわ」という言葉を、口の中で転がすように繰り返した。


「はこにわ、おいしい?」

「箱庭は、食べ物じゃないです」

「じゃあ、あそび?」

「そう。遊びです」


 僕は言い切った。


 仕事ではない。これは遊びだ。資料整理の合間に、妹の情操教育として、少しだけ小さな橋と倉を作る。それだけである。


 現場検証ではない。妹の遊びである。


 そう自分に言い聞かせながら、僕はエリーゼの木箱の中を覗いた。


 中には折れた羽ペンの軸や欠けたボタン、糸巻きに古布、短く削った木片と割れた白い皿の破片、丸い小石など多種多様なものが入っていた。


「これらの材料費は?」

「ぜろ」


 エリーゼが誇らしげに言った。


「カリナが、すてるまえにくれた」


 ちょうどその時、メイド長のカリナが盆を持って監査局に入ってきた。盆の上には薄い木板や乾いた苔、小さな布袋に糊、細い筆、水入れ、それに古い帳簿の表紙から外した厚紙などが載っている。


「誰も入れるなと言いましたよね?」

 武器棚の中から剣を取り出し布で拭いていたエスメラルダに強く抗議した。エスメラルダは僕と目を合わせると、


「メイドは対象外だと思いましたので。それであれば、これから食事を持ってくるメイドも入れないようにいたします」

「いや、それは……」

 それは少し困る。


「それは?」

「それは、通してください」

「かしこまりました」

 まあ確かに、カリナならいいか。


「追加費用は発生しておりません」


 こちらが聞く前に、カリナが言った。


「廃棄予定の梱包板、古布、割れた皿、乾燥して砕いた装飾用の苔でございます。糊はエリーゼ様の工作用として既に購入済みのものをお持ちしました」


 僕はカリナが持つ盆の上を見る。梱包板、古布、割れた皿、乾いた苔。どれも、捨てる前にひと手間かければ材料になるものばかりだ。


「カリナ」

「はい」

「あなたをスカウトします。監査局に来ませんか?」


 彼女のように気が利く人が一人いるだけで、職場が驚くほどうまく回る。僕が細かく指示を出さなくても、僕にとって最善の状態を作ってくれるに違いない。


「評価いただきありがとうございます。ですが第三侍女室の業務が止まってしまうので、謹んでお断りいたします」

「残念」

 本当に、心から残念だと思った。


「エリーゼ様」

 カリナの口調が少しだけ固くなった。


「糊を使われる場合、後始末までが工作でございます」

「カリナ、いまは言わなくていい」

「今申し上げておかないと、忘れられますゆえ」


 エリーゼが少しだけ頬を膨らませた。


 その横で、僕は盆の上の薄い木板を見つめていた。大きさは机の半分ほどで、箱庭を作るにはちょうどいい大きさだった。少し縁をつければ、砂や小石をまぶしてもこぼれにくくなる。古布を丸めて丘にして、木片を並べれば橋になる。そうだ、倉は厚紙で作れる。道は砂で表現すればいい。


「殿下」


 不意に呼ばれ我に返ると、エスメラルダその大きな瞳で僕の顔をまじまじと覗き込んでいた。


「今、かなり楽しそうな顔をされていましたが」

「していませんよ」

「口元が緩んでいますよ」

「監査局長として、廃材の再利用方法を考慮していただけです」

「それにしては、かなりのにやけ顔でしたよ」


 僕は咳払いをし、木板を机の中央に置いた。


「では、少しだけ作りましょう。少しだけです」

「うん」


 エリーゼが満面の笑みで頷いた。

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