第二十一話:怖いよこの人
秤は軍糧庫にあった。大きな台秤で、袋ごと載せられる。軍の備品だから頑丈そうに見えるが、過去の経験上、分銅や扱い方が間違っていれば、出てくる数字もずれる。
「まず分銅を確認させてください」
僕が言うと、ヤンジが目を見開いた。
「分銅を確認、ですか?」
「念の為です。以前、十キロなのに九キロしかない分銅があったので」
ルドルフ第一皇子の眉が動いた。薬草備蓄庫の件は、まだ軍務殿まで回っていないようだ。
調査の結果、分銅は正しかった。そこは少しだけ安心した。秤までおかしければ、もう何を信じていいのかわからなくなる。
入り口の袋から測る。一袋目、二十九・二キロ。二袋目は二十九・三キロ。三袋目は二十九・一キロ。
「三十キロではありませんね」
僕が言うと、ヤンジの笑みが少しだけ固まった。
「秤の誤差ではございませんか? 分銅は指紋がついただけで重さが変わります」
「他の場所の袋も測ってみます」
中央の袋は、二十九・五キロ、二十九・六キロ、二十九・五キロ。奥の袋は、二十九・八キロと二十九・九キロ、二十九・九キロだった。
「これは……どういうことでしょうか?」
エスメラルダが僕に尋ねた。
「保管されている場所で重さが変わっているな」
僕の代わりに、腕を組んだままの第一皇子が言った。その通りだ。
入口に近い袋ほど軽く、奥へ行くほど三十キロに近い。検収記録では、どの袋も三十キロちょうどだった。少なくとも検収の時点では、その数字で通っている。だが、今量ると場所によって少しずつ違う。
考えられる可能性は一つしかなかった。僕は奥にあった二十九・九キロの袋を指した。
「あれを開封します」
「殿下、ちょっと待ってください。封印済みの軍糧でございます」
「封印番号は控えました。開封理由も書きます。開けた袋は、検査で商品価値が落ちた分として、僕が買い取ります」
「買い取る?」
「僕が、私費で買い取ります」
エスメラルダがこちらを見たのがわかった。僕はその目をあえて見なかった。仕方ない。公費で開けると、また費目が増える。私費は胃に悪いが、誰の損にするかで揉める時間は確実に減る。
「殿下」
エスメラルダがゆっくりと、低い声で言った。
「買い取るなら、私費の帳面にも残してください」
「護衛にそこまで見られるんですか?」
「殿下はご自分の財布になると、管理が急に雑になりますので」
反論できなかった。仮に帳簿に書かなかったとしたら、カリナにも同じことを言われそうだ。僕は人知れず大きなため息を吐く。
麻袋の口を切ると、大麦がざらりと木桶に落ちた。僕は違和感を覚えた。
見た感じ、普通の大麦だ。ひどく傷んでいる様子はない。粒も揃っている。ぱっと触った限りは、普通の大麦だ。だが、違和感は拭えない。
ふと、今朝のエリーゼの声が脳裏に蘇った。同時に、エルヴィスの報告も。
そうか、そういうことか。 ここでようやく、疑いの形が見えた。
「兄上、一つお願いがあります」
僕がそう言うと、第一皇子は怪訝な表情を浮かべた。
「軍厨長を呼んでください」
ルドルフ第一皇子が兵に合図した。
しばらくして、灰色の髪を後ろで結んだ男が来た。軍厨長マーカス、言わば軍の料理長だ。北方遠征にも従ったことがあるという。作業中だったのか、袖口には麦粉の白い跡がついたままだった。
「この麦をどう見ますか?」
僕が木桶を差し出すと、マーカスは躊躇なくそれを一粒噛んだ。
眉間に皺が寄る。
「乾ききっていません。乾燥大麦ではありません」
「食べられますか?」
「今日炊くなら十分美味しいでしょう。ですがこのまま袋詰めにしようものなら、中の麦から水分が蒸発して、数日で蒸れます。このままでは北方へ送る兵糧にはできません」
ヤンジが声を上げた。
「軍厨長、言葉にお気をつけを。輸送中に湿気を吸った可能性も……」
「輸送前ですよ」
僕は当たり前のことを当たり前に言った。
マーカスは大麦を一粒、机の上で割って見せた。割れた粒の内側はわずかに粘り気があった。
「乾いた大麦なら、芯が白く砕けるはずです。これはおそらく、十分に乾燥されないまま袋詰めされています」
「比較できる乾燥大麦はありますか?」
「あります。軍厨で粥用に取り分けたものが。おい」
マーカスが兵に命じると、別の袋が運ばれてきた。口を開けた瞬間、乾いた穀物特有の軽い匂いがした。違和感の正体はこれだ。先ほど開けた麻袋の大麦は、乾く前の大麦だったのだ。
同じ木箱に、十リットルずつ入れる。
乾いた大麦の方はさらさらと音を立てて箱の角まで流れた。倉庫の大麦は同じように入れたはずなのに、落ち方が少し重いように見えた。二つを台秤に載せる。
「乾燥大麦の方は六・二キロ。倉庫の方は六・八キロです」
マーカスが言った。
「同じ量なのに、倉庫の方が重い?」
ルドルフ第一皇子の眉根に皺が刻まれる。
「はい。余計な水分を含んでいる証拠です」
僕は小さな皿に麦を取り、倉庫の隅の炭火で温めてもらった。すると、麦から白い湯気が上がった。第一皇子の顔がさらに険しくなる。
「これはどういうことだ?」
「見た通り、湯気です。乾燥した大麦からは、出るはずのないものです」
温めた麦をもう一度量ると、皿の上の少量だけでも重さが落ちた。熱で水分が抜けた分だけ、軽くなったのだ。
「このまま六百袋を乾かせば、契約上の乾燥大麦は何袋分足りなくなる?」
第一皇子が僕に尋ねた。
僕は帳簿の端で計算したが、指が少し汗ばんで紙に引っかかった。
「控えめに見て、五十袋から七十袋分です。水分を抜いて本来の乾燥大麦として数え直すと、それくらい足りません」
倉庫の中がしんと静まり返る。五十袋という数字を兵の胃袋で考えると、気の毒な気持ちになる。
「それに、輸送中に傷んだ大麦は軍糧に回せません」
マーカスが言った。
ルドルフ第一皇子はヤンジを見た。
「説明しろ」
「わ、私は検収記録に従っただけでございます。納入業者が、規定重量で……」
「言い訳はいらん。俺が納得する形で説明しろ」
第一皇子の声が倉庫の中に響いた。ヤンジの笑みは、もう残っていなかった。
◇ ◇ ◇
検収時に袋を開け中身を確認すれば、その場で分かったはずだ。だが実際に確認されたのは封印と確認札、袋ごとの重さだけだったのだろう。この袋は契約どおりの乾いた大麦で三十キロになっているのではない。乾燥の足りない大麦を、乾燥済みとして袋詰めしたのだ。
袋に詰めて山に積んだ麦は、外側からしか乾かない。倉の入口近くや山の外側にある袋は風に当たって少しは乾燥するだろう。だが奥に積まれた袋や袋の中心の麦には、湿り気が残り続ける。
腐っているわけではない。そこまで悪ければ、匂いで分かる。
問題は、これが「乾燥大麦」として納められた兵糧だということだ。今すぐ炊けば食べられても、北方へ運んで倉に積めば、数日で傷んでしまう。重さだけ合っていても、保存できない代物であれば、それは契約の品とは別物である。
僕は帳簿を開いた。
「支払いを止めます。麦はすぐに広げて乾燥させ、匂い、カビ、発芽が出た袋は軍糧から外します。使える分だけ北方へ送り、不足分は未払いの代金から違約金分を差し引いて、乾燥済みの大麦を買います」
「み、未払いの代金から差し引くなど……」
ルドルフ第一皇子の前であたふたしていたヤンジの形相が変わった。
「契約書の第十二条にあります。納入品が規格を満たさず、軍務に支障を来す恐れがある場合、未払金から補填できます」
ヤンジの目が泳いだ。契約書を把握していない顔だった。
ルドルフ第一皇子が僕を見る。
「未払金だけで補填できるのか?」
「帝都の白パン用上級麦は買えませんが、北方で粥にするなら、状態のよい二等大麦で十分です。味ではなく、日持ちと量を優先します」
「我が兵に二等の麦を食わせるつもりか?」
ルドルフ第一皇子がまとう空気が変わった。僕はその場から一刻も早く逃げ出したい気持ちになった。
だが、ここはしっかりと伝えなければならない。
「半乾きの一等より、乾いた二等です」
僕の言葉に、マーカスがうなずいた。
「その通りです。粥にするなら、よく乾いた二等の方が扱いやすい」
マーカスの援護に、第一皇子がしばらくの間、沈黙した。兵の食事に二等という言葉を使うのが、よほど嫌なのだろう。一瞬だけ、怒りと悔しさがないまぜになったような表情を見せた。それは単純に、兵を思う気持ちだ。僕はそんな気持ちを抱く第一皇子を、正直見直していた。優しいじゃん。
「足りない分は、俺の遠征予備費からも出す」
「いえ。それはできません」
僕は反射で止めた。第一皇子がぎろりと僕を睨んだ。前言撤回、怖いよこの人。
「兵を飢えさせる気か?」
「予備費は最後です。先に、冬季祝宴の菓子用白麦を回します」
第一皇子の眉根に皺が刻まれる。
「宮廷菓子用の白麦はまだ契約前です。支出予定を削っても違約金は発生しません。もちろん菓子は減ってしまいますが、兵糧には変えられません」
「また祝宴から削るのか?」
「祝宴は、どうしてこんなに削るところがあるのでしょう」
本当に不思議だ。宮廷の飾りと菓子には、北方の兵糧よりぶ厚い予算がついている。
ルドルフ第一皇子は、少しだけ口元を歪めた。笑った、のかもしれない。
「エリーゼが悲しむのではないか?」
第一皇子の口からエリーゼの名が出て驚いた。だが、冷静に考えれば、腹違いとはいえ彼女も皇女、ルドルフの妹であることに変わりはない。
「事情を説明すれば、わかってくれる子です」
僕がそう言うと、ルドルフ第一皇子は口元をさらに歪めた。今度は確実に、微笑んでいた。




