第十六話:一難去って
材木は監査局の前庭へ運ばせた。
依頼札七番印の管理者であるベラウム局長と、記載されていた黒樺材木商会の主人をその場に呼び出した。
ベラウム局長と現れた黒樺材木商会の主人バルドは、分厚い革の手袋をつけたままだった。話の場で手のひらを見せない人物は、信用できない。
「殿下。これは補修材の再調整品でございます」
バルドは最初から、用意していたようにそう言った。
「札には北方補給隊の差戻印がありますが」
「差し戻しは、現地との認識違いでございましょう。これは輸送しやすいように長さを整えた調整材でございますので」
「契約上では、強度が出せる継ぎなしの8メートル材になっていますが」
「現地で組めば強度は出る想定です。8メートルの木材を運ぶとなると、輸送の手間が甚大ですので」
ライアンが一歩前に出た。
「こんな端材をいくら組み直しても、強度は出ません。崩れるのは時間の問題です」
バルドが、そこで初めてライアンを見た。
「こちらの方は?」
「北方軍補給隊副官、ライアン・ビヴァルです」
「軍の方に、木材の強度が分かるのですか?」
「私はオーバールック橋を毎冬渡っています」
ライアンは手袋を外した。ゴツゴツとした指の関節が、赤く荒れていた。寒さで割れた皮膚が、まだ治りきっていないのだ。
「こんな端材で補修したら橋が崩れ、荷車ごと谷底です。落ちるのは木材だけではありません。兵も食糧も全て失うんです」
バルドは口を閉じ、ベラウム局長に視線を移す。ベラウム局長は、相変わらず薄い笑みを浮かべている。
「整理します」
僕は割れていない短材を指で示した。
「契約では、継ぎなし8メートルの一本材でした。ですが、搬出記録では第七搬出口から出た短い材木の束しかありません。現物は古い釘穴のある廃材をつなぎ、黒く塗った補修したものです。しかも、この荷札にある七番印の管理者はベラウム局長、納入元は黒樺材木商会です。どこにも契約どおりの補強梁がありません」
「殿下。現物の強度については、専門職の判断が必要かと」
「そうですね」
僕はうなずいた。
「なので、試しましょう」
前庭に、水路改修局から戻ってきた古い石台が二つあった。机の修繕で一時置き場にしていたものだ。そこへ短材を二本渡し、その上に床材を乗せた。簡易的な橋が出来上がった。
「ライアン副官。オーバールック橋を通る荷は、最低でどれくらいですか?」
「麦袋十袋だけでおよそ三百キロです。荷馬車も合わせたら一トン近くになります」
「ではまず三百キロで実験しましょう」
バルドが眉を動かした。
「正式な強度試験ではありません。ですが、麦袋十袋分で割れるようなら木材なら、橋に入れる価値は確実にありません」
倉庫から、一袋50キロの砂袋を運ばせた。
一つ目。短材は沈む。
二つ目。継ぎ目から、きし、と音がした。
三つ目。
ばきん、と乾いた音が前庭に響いた。
短材は中央から割れた。黒い樹脂の下から、古い釘穴と腐りかけた白い木肌が見える。
バルドの手袋が震えた。
「150キロで割れました」
僕は割れた材を見下ろした。300キロの半分だ。ぼくはゾッとした。これでオーバールック橋を補修していたら、音を立てて割れるのは火を見るよりも明らかだ。
「監査局の権限で、黒樺材木商会への支払いを全て停止します。納入済み短材は、すべてそちらの費用負担で速やかに回収してください。管理局は、北方で確保した現地材を正規の補強梁に加工し、急ぎ橋へ運ばせてください」
「その財源は……」
ベラウム局長が何か言いかけたが、僕は構わずに続ける。
「加工費と急送費は、冬季祝宴の装飾費を削減して回します」
「殿下、祝宴の装飾費を削るというのですか?」
ベラウム局長が、そこで初めて声を荒げた。
「陛下主催の冬季祝宴でございますよ。そのようなこと、勝手にできるはずが……」
「橋が落ちたら、祝宴どころではありません。陛下が宴と兵のどちらを大事にされているか、考えなくてもわかるでしょう」
思ったよりも大きな声が出てしまった。僕がそう言った瞬間、前庭がしんと静まり返った。
また正論を言ってしまった。
正論は、時にその場を凍り付かせてしまう。寒いのは北方だけで十分だ。
黒樺材木商会の主人、バルドがその場で膝をついた。
◇ ◇ ◇
【宰相府裏庭の噂話】
「聞いたか? 第三皇子殿下、橋の補強材まで折ってみせたらしいぞ」
「机に薬草、今度は橋か」
「北方軍の副官が頭を下げたとかなんとか」
「それでははもう、補給路を握ったも同然ではないか」
「怖いな。もう宮廷の黒幕だけじゃなく兵站の黒幕でもあるな」
「だが、結局橋は落ちなかったんだろう?」
「じゃあ、ありがたい黒幕様だな」
「これはもう、次期皇帝候補に格上げだな。第一、第二、第三皇子の三つ巴の決戦だ」
◇ ◇ ◇
監査局へ戻ると、エリーゼがまだ机を守っていた。
正確には、僕の机の上に新しい橋を作っていた。今度は羽ペンではなく、短く切った木片を使っていた。橋の上には、小さな砂袋が一つ乗っていた。
そのそばでカリナが、砂袋からこぼれた砂を小皿へ戻していた。監査局の机は、いつの間にか七歳児の遊び場と化していた。
「おかえりなさい、お兄さま。はし、どうだった?」
「落ちなかった」
「よかった」
エリーゼは心底安心したのか、ほっと胸を撫で下ろすそぶりをした。
「お兄さまがわたるはしは?」
「僕が渡る橋?」
「そっちのはしはだいじょうぶ? おちない?」
僕は、机の上の小さな橋を見た。この子は稀に、すごく哲学的な問いを僕に投げかける。
「落ちないようにします」
僕がそう答えると、妹は僕をじっと見た。その目が、少し怖かった。
「大丈夫ではない時は、私が代わりに言います」
僕の隣で、エスメラルダが言った。
「それくらい言えますよ」
「殿下はよく隠し事をされるので」
そうエスメラルダに言われ、僕は反論できなかった。
エルヴィスが机の端に、今日押さえた札と搬出記録を並べていた。手は震えていなかった。少なくとも、昨日よりはましなようだ。
「殿下」
彼が一枚の予定表を差し出した。
「オーバールック橋ですが、北方軍が現地材を押さえ、急ぎ修繕に入るそうです」
「それはよかった」
「ただし、完了検分に殿下の立ち会いが求められています。支払い停止と再手配を命じたのが監査局ですので」
「完了検分というのは?」
「橋が本当に直ったか、現地で確認する手続きです」
「つまり、北方へ行けと」
出張だ、と僕は思ったが、顔には出さない。
「はい。それと、同じ日に第一皇子ルドルフ殿下も北方慰問でオーバールック橋へ来られます」
エルヴィスが予定表の下段を指差した。見慣れない文字があった。
【オーバールック橋 完了検分】
【立会:第三皇子ヴィルヘルム殿下】
【同日予定:第一皇子ルドルフ殿下 北方慰問】
僕は息を止めた。今回ばかりは、顔に出ただろう。
第一皇子ルドルフ。
処刑ルートで、僕が政争に加担したと断じる側の一人だ。
次期皇帝候補の筆頭で、北方軍の信頼も厚い兄上。
僕はただ、落ちそうな橋を直しただけだ。
だが宮廷の噂では、第三皇子が兵站を握り始めたことになっている。そんなわけないだろう。
つい先ほどの出来事が、もう宮廷中に知れ渡っている。おそらくそれは、兄上の耳にも届いているはずだ。
その状態で、兄上と顔を合わせる。
処刑台の夢の中で、僕は政争に加担した悪役皇子だった。
その足音が、また少し近づいた気がした。
僕は深呼吸をした。落ち着け、ヴィルヘルム。パニックは監査の敵だ。
「エルヴィス。完了検分の書類を全部提出してください。日程、立会者、随行者名簿まで」
「かしこまりました」
「エスメラルダ」
「はい」
「来週、第一皇子殿下に会います」
言ってから、心底嫌になった。
引き籠りが、また一歩遠ざかった。
エリーゼが僕の袖をきゅっと握る。
「お兄さま、ルドルフお兄さまにあいにいくの?」
僕は、実験で割れた短材の音を思い出した。
「ルドルフ兄上と、橋を見に行くことになりました」
橋は、たぶんもう落ちない。
それでも胸の奥で、きし、と嫌な音がした。
落ちるものが、橋だけとは限らない。
来週、直ったオーバールック橋の上で。
僕は、第一皇子ルドルフと顔を合わせる。




