第十五話:現場調査
北方補給路の書類は、思っていたよりも整っていた。
契約書、納品書、検収記録、搬出許可書、支払予定表。どれも文字が美しく、紙の角が丁寧に揃い、押印も鮮やかで欠けがない。見た目だけなら優等生の仕事である。
だが綺麗すぎる帳簿は、誰かが汚れを隠している場合がある。
「契約上、補強梁は継ぎなしの8メートル材ですね」
「はい」
ライアンがうなずく。
「オーバールック橋は谷に架かる古い軍用橋です。全長は約36メートルで、石造りの橋脚と鉄桁はありますが、床板と補強梁は木材で、毎年の雪と荷馬車で傷みます。継ぎ梁では到底耐えられません」
僕は搬出許可書を指で押さえた。
【第七搬出口より搬出】
【搬出許可番号:第七-421】
【小型馬車2台】
【木箱6、短い材木の束7】
「ここです。契約は継ぎなし8メートルの一本材。ですが、搬出記録では、短い材木の束7つになっています」
声に出してみると、疑惑は確証に変わった。これだ。
「8メートルの補強梁はどこですか?」
「こちらの書類上では、この短い材木の束7つが補強梁扱いになっております」
エルヴィスが横から、小さな声で言った。
「管理局の書類では、長材を分割搬出して現地で組む、という処理になっていますね」
「契約書には継ぎなしの8メートル材とありますが」
「はい」
「分割して現地で組んだ時点で、それは継ぎなしではありません。それは別物です」
エルヴィスの肩が縮んだ。彼を責めているわけではないのだが。
「第七搬出口の幅は?」
エルヴィスが慌てて紙束を探る。
「ええと、あ、ありました。これですね。内幅3メートルに、高さ2.8メートル。門の奥の通路はすぐ直角に折れています。通常は小型馬車と木箱用の運搬用の搬出口です」
「ここから、8メートルの長さの梁を載せた馬車は通れますか?」
「物理的に通れないと思います。通路が直角になっていますので」
つまり、契約どおりの一本材は少なくとも第七搬出口からは出ていない。それなのに書類上は、この出口を通った短材が橋の補強梁として処理されている。
エスメラルダが僕を見る。
「搬出口を実際に確認しますか?」
「します」
「急ぎます?」
「歩いて行きます」
彼女はいつも僕を走らせようとする。
ライアンがぱっと顔を上げた。
「私も行きます」
「お願いします。現地の方の声があると、助かります」
「わたしもいきます」
なぜかエリーゼも手を上げた。
「だめです」
僕は即答する。
「えー。はしのじっけんしたのに」
妹は不満そうに頬を膨らませた。
「これは遊びじゃないんです」
「わたしのじっけんもあそびじゃない」
妹が抵抗する。
そこに、廊下からメイド長のカリナが現れた。いつから聞いていたのか、手には小さな布袋を持っている。
「エリーゼ様。搬出口は馬車がひっきりなしに通ります。皇女様が近づく場所ではございません」
「えー、だめなの?」
「エリーゼ様の安全が第一でございます」
カリナが正論でエリーゼを説き伏せようとする。だがエリーゼはまだ頬を膨らませている。
するとエスメラルダがエリーゼの元に膝をつき、目線に合わせた。
「エリーゼ様。監査局の留守をお願いできますか?」
「るす? おるすばんってこと?」
「はい。ですが、ただのお留守番ではございません。殿下の机を守っていただきたいのです。重要な任務です」
エリーゼは真剣な顔になった。
「じゅうようなにんむ?」
「ええ。とても重要な任務です。これは、エリーゼ様にしかお願いできません」
「おかしはたべていいの?」
「私費の範囲であれば」
妹はしばらく考えたあと、「わかった」と了承した。
エスメラルダの教育が、本当に妙な方向に効いている。
カリナは、布袋から角を丸く削った木片を二つ出した。
「橋の実験をなさるなら、こちらをお使いください。まだ使える羽ペンでの実験は、もったいのうございます」
「カリナ、じゅんびいいね」
「何事にも準備は必要です。エリーゼ様、殿下の留守を守る準備はできましたか?」
カリナが声をかけると、七歳児は誇らしげにうなずいた。
◇ ◇ ◇
第七搬出口へ向かった。
昨日、机の横流しで名前が出たあの裏口である。物資備品管理局の裏手にある石造りの古い門で、低いアーチの左右には荷車がこすった傷が何本も残っていた。門番が二人、こちらを見るなり背筋を伸ばす。そのうち一人は、昨日エスメラルダに腕を掴まれて物資備品管理局へ連れてこられた髭面の門番だった。僕と目が合うと、昨日よりさらに姿勢を正した。
ここは新品や高額品を受け入れる表口ではない。壊れた椅子、古い棚、保存年限を過ぎた書類。そういう「帳簿上は価値がなくなった物」を外へ出すための裏口だ。
昨日、水路改修局の机もここを通った。焼却済みにされた机が実際には外へ運ばれ、工房で磨き直され、新品として戻されるはずだった。
今回の橋材もここを通っているなら、仕組みはかなり似ている。確かめることはひとつだ。継ぎなし8メートルの一本材が、ここから本当に出せるかどうか。
「この門から、8メートルの補強梁を積んだ馬車は出せますか?」
僕が尋ねると、年配の門番は目を丸くした。
「無理でございます。継ぎなしの8メートル材なら、第三搬出口です。ここは箱物と短い材くらいしか出せません」
僕たちは搬入出口から通路に入る。確かに門の奥の通路はすぐ直角に折れており、長材を積んだ馬車は曲がれそうになかった。
「先月、ここから北方補給路の橋補修材を通した記録があるのですが」
「橋の補修材?」
僕の言葉に門番は首を傾げ、台帳を開いた。
「通したのは木箱6つと短い材木の束7つです。8メートルの梁などは見ておりません」
やはり。
僕は搬出口の内幅を測った。エルヴィスが紐の端を持ち、エスメラルダが反対側を押さえる。ライアンは、門の外に置かれた車輪跡を見ていた。
「この轍は小型馬車ですね」
「轍で分かるものですか?」
「北方では雪道で轍を見るのも仕事です。長材を積む馬車なら、車輪幅がもっと広くないと」
現場の目は助かる。帳簿の数字が、実体と結びつく瞬間である。これだから現場調査は必要なのだ。
「殿下」
エルヴィスが台帳を指した。
「搬出時の積荷封印ですが、七番印でした」
「七番印?」
「管理局の補助印です。局長印ではありませんが、局長代理扱いで使えます」
「その補助印の管理者は?」
「ベラウム局長です」
もう驚かない。短いため息が口から漏れた。
その時、第七搬出口の外側にある荷捌き場に、短い材木を積んだ小型馬車が二台戻ってきた。御者は僕たちを見て手綱を引く。荷台には、黒く塗られた木材の束があった。
それを見たライアンの顔色が変わった。
「この木材……オーバールック橋に届いたものと同じです」
僕は馬車の前に立った。立っただけなのに、御者が妙に慌てた。皇子の体は便利だ。そこにいるだけで周りを威圧できる。できればずっと引き籠っていたいのだが。
「どちらに向かうのですか?」
「ひ、東の修繕場へ」
「積荷は?」
「現場から戻された補修材の再調整分だと聞いています」
「現場から戻された?」
僕はライアンと顔を合わせた。嫌な予感がした。
「一束、下ろしてください」
御者はためらった。だがエスメラルダが一歩前に出ると、すぐに荷台から一束下ろした。
黒く塗られた短材は、ぱっと見には立派に見えた。だが詳しく見ると、ところどころに古い釘穴がある。さらに、中央に斜めの継ぎ目が入っている。二本の短い材を鉄の板で合わせ、黒い樹脂を塗って一本に見せているだけだ。
「この補修材は、どこから出ましたか?」
「し、知りません。管理局の依頼札があるはずですが」
「では、その札を見せてください」
荷台の側面に、木札がぶら下がっていた。
【北方補給路 補修材再調整分】
【搬出許可番号:第七-421】
【北方補給隊 差戻】
【黒樺材木商会】
【七番印】
「北方から差し戻された木材のようですね」
僕は木札を見ながら言った。
「ということは、これがその一本材の現物、ということですか?」
エルヴィスが黒い樹脂が塗られた短材の束に触れる。指の先が黒ずんだ。
「こんな端材をオーバールック橋に入れたら、麦袋を積んだ荷馬車一台で割れます」
ライアンの声には怒気が含まれていた。
「荷馬車一台というと?」
「麦袋十袋だけでおよそ三百キロです。そこに荷馬車、御者、馬一頭が加わります。軽く見積もっても、一トン近くにはなります」
「これでつながりました。第七搬出口から出た短材が、北方で拒否され、再調整分として戻ってきている。契約された一本材は、どこにもありません」
帳簿上では、この短材はすでにオーバールック橋の補修材として検収されている。だが現場から抗議が来たので、今度は「再調整」という名目で修繕場へ戻している途中なのだ。
つまり、契約された一本材を納めたことにして、実際には廃材をつないだ短材を塗り直し、補修材として使い回そうとしていたわけだ。
検収印は押されている、だが支払予定表を見る限り、実際の支払いはまだ先だ。
なら、止められる。
「支払予定は止めます」
僕が言うと、御者が青くなった。
「わ、私はただ、運んでいるだけです」
「分かっています。だから、荷と依頼札を残してそのままお帰りください」
御者は逃げるように去って行った。その背中を、エスメラルダが見送る。
「追いますか?」
「御者はただの運び役です。今は、この木材と札を証拠として、この件を指示した人物を押さえる方が先です」




