第十四話:北方からの使者
物資備品管理局で写し取った台帳の中に、エルヴィスが気にしていた一枚があった。
【北方補給路 オーバールック橋冬季補修材】
【支出予定額:金貨一万七千七百七十七枚】
橋は、当たり前だが机ではない。机は多少がたついてもイライラするくらいで済む。いや、それだけでは済まないかもしれないが、少なくとも軍の補給路は止まらない。
だが橋は違う。落ちれば物資が届かなくなるし、最悪、人が死ぬ。
エリーゼが机の端で小さな積み木を二つ並べていた。その横には、小さな紙箱がある。紙箱には丸いガレットが二枚入っていた。二つの積み木の上に羽ペンを二本渡し、小さな橋を作っているようだった。
「お兄さま、みてみて」
「今度は何を作ったんですか?」
「はしです」
「橋?」
エリーゼは真剣な顔でうなずいた。そして、橋の上にガレットを一枚置いた。
羽ペンは少しだけしなったが、落ちなかった。
「お菓子、わたれた」
「お菓子は歩きませんよ」
「お兄さまにあげます」
そう言ってエリーゼは、羽ペン橋に乗せたガレットを僕に手渡した。橋を渡った菓子を受け取る兄。どういう儀式なのか分からないが、妹が満足げなのでありがとうと受け取っておく。できればきれいなガレットが欲しかった。
「じゃあ、これは?」
エリーゼは、机の上の小さな布袋を手に取った。カリナが、持ってきた書類が風で飛ばないよう、重しに使っている砂袋だ。
エリーゼが袋を慎重に羽ペン橋の上に乗せる。羽ペンはみしみしと悲鳴を上げ、そのまま、ぽきりと折れてしまった。
「あ」
「折れましたね」
「はし、よわい」
「羽ペンですからね。橋にするには、少し細すぎます」
僕がそう言うと、エリーゼがじっと僕を見た。
「お兄さま、あたまいい」
「まあ一応、兄ですので」
「でもけちなひと」
「倹約家と言いなさい」
無表情のエスメラルダの肩が少し揺れていた。こいつ、笑ってるな。
僕は気を取り直し、エルヴィスが手配してくれた紙束に目を戻した。
書類には北方補給路のオーバールック橋を冬前に補修するため、黒松の補強梁7本、床板70枚、鉄締め具700本を納めるとあった。
一番気になったのは補強梁だ。契約には「継ぎなし8メートルの木材」とある。途中でつながない、強度の高い一本材だ。
金貨一万七千七百七十七枚の補修費用。高い買い物だ。高い買い物ほど、きちんとした現物確認が必要になる。そしてこの場合の現物確認とは、現地での確認、つまり、外に出る、ということだ。
その一点だけで、僕の中ではかなり減点だった。前世でも監査先が本社ビル内ならまだ耐えられた。だが「現場も見てください」と言われた瞬間、工場、倉庫、港、営業所への出張が予定表に加わる。天気ならまだしも、雨、台風、大雪で便が欠航などしょっちゅうだった。だが、大抵、出張先での確認で帳簿と違う場合が多々あるため、蔑ろにできない。
不意にエスメラルダが扉の方を見た。
「殿下。来客です」
僕は扉の方を見る。まだ誰もいない。
「おそらく兵士、それも高官です」
扉が叩かれる音がした。入ってきたのは、北方軍の軍服を着た若い男だった。
「何で分かったんですか?」
「足音と気配です」
エスメラルダが真顔で答える。こういう場面で、冗談を言うタイプではない。味方であるうちは心強い。
やってきた兵士は二十代半ばほどで、濃い灰色の外套には泥の跳ねが乾いていた。膝のあたりに、白っぽい跡が浮いて見えた。男は胸に手を当て、頭を下げた。
「北方軍補給隊副官、ライアン・ビヴァルと申します。第三皇子殿下に、どうしてもお伝えしたいことがあり参りました」
「北方軍補給隊?」
僕の頭に、外套の件が浮かんだ。
あの薄い布の代わりに送った正規品は、きちんと北方に届いたのだろうか。
「外套は?」
思わず尋ねてしまった。
「届きました。兵たちは皆、殿下に大変感謝しております」
ライアンはそこで、少しだけ言葉を詰まらせた。
どうやら感謝を伝えに来ただけではなさそうだ。
「本日は別件で参りました。実は、北方に架かるオーバールック橋が、もう持ちません」
「もう持たない?」
「荷馬車が通るたびに、床板の下から軋む音がします。見た感じでも床が斜めに傾いていて……。ですが帳簿上では先月、補修は完了済みになっています」
「完了済み?」
「はい。管理局が、短材と曲がった締め具を『補修材一式』として検収し、そのまま完了報告を上げたようです。ですが、現場には契約どおりの補強梁が届いていません。だから橋の補修に取りかかれないという状態です」
そう言いながらライアンは、腰から下げた革袋から鉄の金具を一つ取り出した。
机に置かれたそれは、微妙に歪んでいた。手に取ってよく見ると、錆を落として黒く塗り直した跡がある。明らかに新品ではない。
「これは、壊れた備品ですか?」
「いえ、新しく納品された鉄の締め具です」
エリーゼが身を乗り出し鉄具に手を伸ばしたので、僕は手で制した。
「触らないの。手を切るかもしれないから」
「これなに? はしのほね?」
「まあそんなものだね」
「ぼろぼろのほねだね。かわいそう」
ライアンの口元にふと笑みが浮かんだが、すぐに真面目な顔に戻った。
「北方軍では抗議書を出しました。ですが、管理局からは『検収済み』の返答だけです。外套の件で殿下が動いてくれたと聞いていたので、失礼を承知の上、ご相談させていただけないかと伺った次第です。殿下なら、帳簿を見てくださるのではないかと」
見たくない、とは言えなかった。
橋はまだ落ちていない。だがこの様子なら、時間の問題だろう。
そして、僕が見なかったことにすれば、本当に落ちる可能性が高い。
管理局とはつい先日、一戦交えたばかりだ。帝室内に敵を作りすぎるのは良くない。
ふと、机の上の折れた羽ペンが目に入る。
僕は静かにため息をついたあと、言った。
「書類を見せてください」




