第十三話:けちな人のじょしゅ
写し取りは、約二十人の物資備品管理局員総出で翌朝までかかった。関わった者には、第三皇子の権限で代休を出した。徹夜で業務をすると体が壊れてしまうからだ。
写し取った台帳は全てエスメラルダが運んでくれた。相当な重さと量だったにも関わらず、彼女は顔色ひとつ変えずに楽々と運び入れてくれた。おかげで監査局の棚が足りなくなり、追加の棚を手配した。もちろん、新規で購入はせず、倉庫の返納品から状態が良いものを選び運び入れた。
エルヴィスは、監査局の入口で立ち止まった。
「お疲れ様でした。あなたも今日はゆっくり休んでください」
僕がそう言うと、エルヴィスは今にも泣き出しそうな顔をして僕を見上げた。
「殿下。私は、どうなるのでしょうか」
「どう、とは?」
「鍵管理簿に私の名がありました。偽の署名だと分かっても、もう物資備品管理局には戻れません。戻ったら、たぶん……」
そこから先は言わなかった。
「その鍵貸出控えですけど、あれ、わざと落としましたよね」
「え」
エルヴィスの肩が小さく揺れた。
「殿下に隠し事はできないですね。申し訳ございません」
「謝ることではないと思いますよ」
「鍵貸出控えは殿下の依頼には含まれていませんでした。ですが、私の名前を不正に利用した局長のことが、どうしても許せなくて……」
ほう、と僕は思った。若手には台帳の並べ方も照合の手順も教えられる。経験を積めば作業は早くなるし、ミスも少なくなる。
だが倫理観だけは、教育でどうにかなるものでもない。腐った性根を叩き直すのは骨が折れる。前世の経験上、どうせ同じ仕事をするのなら、自分と同じ価値観の人間の方が、業務がスムーズに回る。
「エルヴィス書記」
「はい」
「あなたが書く文字がきれいなのは知っていますが、作業は速いですか?」
「え?」
「速いか、速くないかを聞いています」
エルヴィスはしばらく瞬きをした。
「速いと思います。遅いと怒られますので。管理局の中では、一番早かったと思います」
「では、ここで台帳整理を手伝ってください。期間は暫定。給金は管理局と同額。残業は申請制。昼食休憩は必ず取ること」
エルヴィスの顔が、妙な形に歪んだ。
泣くのかと思った。だが、出てきたのは小さなくしゃみだった。
「す、すみません。紙埃が鼻に」
「ここの職業病ですね」
エスメラルダが、監査局の扉を開けた。
扉にはまだ、エリーゼが書いた紙が貼られたままだった。
【お兄さまのけちなぶしょ】
エルヴィスがそれを見た。
そして、なぜか深く頭を下げた。
「よろしくお願いいたします。これからこちらの、けちなぶしょで、心機一転がんばります」
「あ、うちの部署の名前、そっちじゃないから」
◇ ◇ ◇
【宰相府東廊下の噂話】
「聞いたか? 第三皇子殿下、物資備品管理局を一晩封鎖したらしいぞ」
「原本を持ち出せない規則だからって、その場で全部写し取らせたらしい」
「持ち出せないなら、部屋ごとまるっと帳簿にするってか」
「しかも、局長に罪を着せられかけた若い書記を、そのまま監査局に引き抜いたらしい」
「お優しい話じゃないか」
「どうだろうな。仕事が速くて字がきれいだから、らしいぞ」
「救い方まで帳簿基準か」
「それと、給金は据え置きらしい」
「そこはちょっと上げてやれよ」
「けちな部署だな」
◇ ◇ ◇
翌日、エリーゼが監査局へ顔を出した。手には小さな布袋を持っていた。
「お兄さま、人ふえた?」
「臨時の書記です」
「こわれてた?」
「うーん」
壊れかけていたかもしれない。
エリーゼは作業中のエルヴィスの机に近づき、布袋から蜂蜜菓子を一つ出した。
「はい。ちょうぼのお兄さんにも」
「帳簿の、お兄さん?」
エルヴィスは、受け取っていいのか分からない様子で、僕に救いを求めた。僕はゆっくりと頷いた。
「しひです」
エリーゼが言った。
私費、のことだろう。
エスメラルダの教育が、妙な方向に効いている。
「いただきます」
エルヴィスは蜂蜜菓子を両手で受け取った。少し大げさなくらい丁寧だった。
「じゃあ、ちょうぼのお兄さんは、けちな人のじょしゅですね」
「助手?」
エルヴィスが、蜂蜜菓子を持ったまま固まる。
「エリーゼ、勝手に役職を作らないでください」
「お兄さま、ひとりだとかえるから、ちゃんとみはっててね」
反論できなかった。エスメラルダも反論しなかった。
エルヴィスは、しばらく蜂蜜菓子を見つめていた。
それから袖口に差し込んでいた小さな紙片を、自分から机に置いた。
紙片には、数字が並んでいた。
机、薬草、分銅。 その横に、日付と搬出口番号。さらに下の方に、小さな文字でこう書かれていた。
【北方補給路 冬季橋梁材】
「これは?」
「管理局で私が写していた控えです。おかしいと思って、でも、出せなくて」
「また、見せてはいけない類の紙ですか?」
冗談めかして言ったつもりが、エルヴィスが小さく頷いた。
北方補給路。北方軍の外套に続いて、今度は橋か。
僕は蜂蜜菓子の缶からペンを取った。台帳の端に、新しい線を引く。
帝室物資備品管理局、第七搬出口、北方補給路。
線を引いている途中で、指が少し震えた。
妹が背伸びして僕の机の上を覗き込むと、首を傾げた。
「お兄さま、こんどは『はし』とけんかするの?」
「できれば、喧嘩したくないな」
「でも、はしがこわれたら、おちちゃうよ」
僕はエスメラルダと目を合わせる。
その通りだ。
橋が落ちたら、被害はこれまでの比ではないだろう。
僕は台帳を閉じ、深く息を吸った。
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