第十二話:静かな怒り
十年分の台帳原本は、大量だった。
主だったものだけを机の上に並べても、黒檀の天板が低く鳴った。僕はまず、備品購入台帳を開いた。物を買う予定と、実際に買った記録を書く台帳だ。
監査局開設備品一式。帝室御用達のフクロウ工房。金貨二千七百七十七枚。
その下に、小さく取消線が引かれている。取消日付は、僕が倉庫で机を見つけた日だ。
「一つ目。購入台帳では、監査局の机はフクロウ工房から新品で買う予定になっていますね」
「はい、発注の予定でございました。殿下のご指摘で、すでに取消処理を行いましたが」
「反応が早いですね」
「不備が判明しましたので、その場合は迅速に対応いたします」
「不備という言葉は便利ですね。誤りを認めてはいるけど、そこに意思が介在したかはわからない」
「意思の介在、でございますか」
「いえ。こちらの話です」
次に廃棄台帳を開く。備品を捨てた際に書く台帳だ。
水路改修局の返納備品。備品番号二十九を含む机十二脚、椅子十四脚、棚七台。
処理欄には、焼却済、とあった。
「二つ目。廃棄台帳では、水路改修局の机十二脚が焼却済みになっています」
「はい。古く、使用に耐えないものだと聞いていましたので」
「ですが備品番号二十九の机は、今うちの監査局にあります。他の机も倉庫から運び込まれました」
「え」
ベラウム局長の笑顔が、少しだけ崩れた。
「それは記載の誤りではないでしょうか?」
「同じような記載の誤りが、机だけで十二脚分もありますね」
僕は頁をめくる。他の椅子も棚も焼却済みだ。だが少なくとも僕とエスメラルダが使っている椅子は、修理されて今も監査局にある。
「三つ目。修繕台帳です」
修繕台帳には、同じ備品番号があった。ただし処理の方法が違った。
【水路改修局返納備品 机十二脚 フクロウ工房にて天板磨き直し済 搬入先:監査局】
「修繕台帳では、同じ机が磨き直されています。つまりこれは、新品ではなく修繕品です」
僕は三冊の台帳を、購入、廃棄、修繕の順に並べた。
「整理します。購入台帳では新品として買う予定だった。廃棄台帳では焼却済み。修繕台帳では天板を磨き直して監査局へ搬入済み。同じ机が、三つの台帳で全く別の扱いになっています」
ベラウム局長は、笑顔のままじっと台帳を見つめている。
「果たしてこの机は新品なのか、焼却済みなのか、修繕済みなのか。どれが本当なのでしょうか」
後ろにいたエルヴィスが、変な息を吸った。笑いかけたのか、泣きかけたのか、分からない音だ。
ベラウム局長は、ゆっくりと手を組んだ。
「殿下。大きな組織では、台帳の転記遅れ、記載漏れが往々にして起こりえます」
「そうですね」
「はい」
「ただし、ただの記載ミスで済まされる限度は超えています。これは」
僕は鍵管理簿を開いた。
ここからは、誰が実物を外へ出したかの確認だ。
管理局には、表の荷受け口と奥の搬出口がある。表の荷受け口は、新品や高額品を受け入れる場所だ。受領印、立会人、警備記録。いろいろな目を通り、記録が残る。
だが第七搬出口は違う。壊れた椅子や古い棚、保存年限を過ぎた書類など、そういう廃棄品を、木箱ごと外へ出すための裏口だった。表口ほど人目がなく、木箱の中身をいちいち細かくは見る人物はいない。
つまり、水路改修局の机と椅子を「焼却済み」にした人物は、ここから実物を外へ出した可能性が高い。
焼いたことにして工房へ回す。磨き直して、新品として戻す。机が帳簿の上で一度死に、値札をつけ直されて帰ってくる。俗に言う、横流しだ。
この日、第七搬出口の鍵を借りた者が、横流しに関わった人物だ。
第七搬出口の鍵は厳重に管理されている。
水路改修局備品搬出日に鍵を借りた者の署名は、ここにいるエルヴィスのものだった。
「最後に鍵管理簿です。第七搬出口の鍵は、エルヴィス書記が借りたことになっています」
エルヴィスが小さく呻いた。
「私では、ありません」
声が震えていた。
「事実ですか?」
「はい。私はその日、熱を出して休みました。欠勤届も出しています」
「欠勤届の控えはありますか?」
「あります」
エルヴィスは自分の席へ戻ると、机の上の鞄を探った。紙が何枚も出てくる。折れた筆や古いパンの包み紙まで出てきた。
「あ、ありました」
最後に、皺だらけの欠勤届の控えが一通出てきた。
日付は一致している。署名も、薬師の印もある。嘘にしては生活感がありすぎた。紙の端に薬湯の染みまでついている。
「この欠勤届の控えの署名と、鍵管理簿の署名を並べてください」
エルヴィスが顔を上げる。ベラウム局長は、手を組んだまま笑っている。
「早く」
僕が促すと、エルヴィスは震える手で二枚を並べた。
並んだ署名は似ていた。だが、違う署名だった。
欠勤届の控えに書かれたエルヴィスの字は最後の文字が小さく跳ねる。鍵管理簿の字はその跳ねがない。それに、後者の文字は丁寧すぎて勢いがない。
「署名が偽造されていますね」
「殿下。筆跡だけでそう断定するのは、いかがなものでしょうか」
そう言ったベラウム局長の顔からは、笑みが消えていた。
「そうですね。確かに、署名する時の体調や急ぎ具合で、字が変わることはあります」
僕がそう言うと、ベラウム局長の顔にまた笑みが戻った。
「エスメラルダ」
「はい」
「第七搬出口の門番を呼んでください」
「門番ですか?」
「鍵を本人に渡したのは門番です。だったら直接聞くのが一番確実でしょう」
ベラウム局長が何か言いかけて、口をつぐんだ。
口をつぐむ人間は、二種類に分かれる。敗北を認めた人間と、計算して勝機を探す人間だ。
ベラウム局長は、間違いなく後者だった。
◇ ◇ ◇
第七搬出口の門番はすぐに来た。
来たというより、エスメラルダが引っ張ってきた。彼女は片手で、髭面で体格のいい門番の腕を掴んで連れてきただけなのだが、当の門番は、これから処刑でもされるような悲壮な顔をしていた。
「あ、あの……私、何かしましたか?」
「ただの確認です」
僕は鍵管理簿を見せた。
「この日、あなたはエルヴィス書記に鍵を貸しましたか」
「エルヴィス?」
僕が手のひらをエルヴィスに向けると、門番は彼の顔をまじまじと見た。
エルヴィスは、あわあわと慌てた表情をしている。
門番は鍵管理簿に視線を移した。
「ええと、この日ですよね。この人じゃないです。別の方でした。急用だから、エルヴィスの代理で取りに来た、とおっしゃっていたのは覚えています」
「その代理で取りに来た方は、誰でしたか?」
僕が尋ねると、髭面の門番は困ったようにベラウム局長を見た。
「そこにいる、局長さんです」
門番は小さな声で言った。局長の名を挙げるのには躊躇したようだが、僕はこの帝国の第三皇子だ。どちらにつくべきかは、一目瞭然だ。
本来なら鍵は本人にしか渡さない決まりだ。ベラウムの狙いは、こんなまさかの時のため、鍵を借りた記録をエルヴィスになすりつけることだった。普通であれば、この悪事がバレたとしても、この若い書記官のせいで済ませたはずだった。
ベラウム局長は、笑顔のままゆっくりと立ち上がった。
「その門番の記憶違いではないでしょうか。私はその日、宰相府の会議に出席していましたよ」
ベラウム局長は、立て板に水のように流暢に言った。まだ白を切るつもりか。
「では、会議の議事録も確認しましょう。参加者一覧が冒頭に書かれているはずです。エスメラルダ」
「はい」
「殿下」
ベラウム局長が、低い声で制した。
「帝室物資備品管理局は、帝国中の物資を滞らせぬための部署です。このような小さな記載違いを大きく扱い、通常業務に影響が出るような調査を行えば、帝国全体の物資備品の流通が滞ります。ひいては、必要な物が必要な場所へ届かなくなる」
正論だ。言い分としては正しい。
「ごもっともです」
僕が頷くと、ベラウム局長は安心したのか、「ご理解いただけてよかったです」とほっと胸を撫で下ろしていた。
「ですが、必要な薬草が必要な人に届いていませんでした」
僕の言葉に、ベラウム局長が一歩後ずさった。
思ったより静かな声だった。だが、自分で自分のはらわたが煮えくりかえっているのがわかった。僕はそれを表に出さないよう、一息ついてから続ける。
「机の不備なら、まだ笑えます。椅子なら、転んで怪我をするくらいで済むかもしれない。だけど、同じ仕組みで分銅まで軽くされた。薬草の量が減れば、助かるはずの命まで削られます」
落ち着いて話そうとしたが、だめだった。話しているうちに胸の奥が熱くなる。息が詰まる。
母上の薬湯の匂いを思い出した。ベッドの横で、エリーゼが母上に薬の苦みを聞いている姿まで浮かんだ。
その光景が、もしかしたら失われていたかもしれない。
そう思った途端、怒りが恐怖に変わった。
僕は深呼吸をして、それからまた続ける。
「鍵管理簿、廃棄台帳、修繕台帳、購入台帳。原本は全て、監査局で預かります」
「そ、それは、保存規程に反します」
「では原本は動かしません。代わりに、この部署を封鎖します。監査局立ち会いで、全ての原本の正確な写し取りを要請します」
「そ、そんな無茶なことを、誰の権限で行うというのですか」
「第三皇子ヴィルヘルム・フォン・ヴェルグガルド、帝室会計監査局局長の名において。帝室物資備品管理局の不正を、全て明らかにします」
エスメラルダが腕を組み、出入口の扉の前に立った。腰に差した剣が、かちゃりと鳴った。
「全ての書類の転記が終わるまで、ここからは誰一人、一歩も通しません」
褐色の肌の女騎士の声は、静かな部屋によく響いた。




