第十一話:背の低い書記官
監査局の扉をノックして入ってきたのは、背の低い書記官だった。胸には書類箱を抱えているのだが、箱が大きすぎて顔の半分が隠れていた。
「帝室会計監査局、ヴィルヘルム殿下へ。帝室物資備品管理局より、備品管理台帳の抄本をお持ちしました」
「抄本?」
書記官が抱える書類箱をエスメラルダが軽々と取り上げ、僕の机の上に置いた。置いた瞬間、机がみしり、と少し軋んだ。
「ありがとうございます。ええと」
「あ、自己紹介遅れて申し訳ございません。帝室物資備品管理局書記官のエルヴィスと申します」
書記官は早口だった。年は僕より少し上だろう。薄い茶色の髪を後ろで雑に結び、袖口に黒いインク染みがある。顔色が悪い。目の下には濃い隈があり、唇も乾いていた。
「エルヴィス書記官、質問なのですが」
「はい」
「私は管理台帳の原本閲覧依頼を出したのですが」
「はい。原本は保存規程により、管理局外への持ち出しが禁じられております。ですので、抄本をお持ちしました」
抄本とは、原本から必要な箇所だけを抜き書きした写しである。
僕は大量の抄本を束をぱらぱらとめくる。丁寧で整った文字で、第三皇子宮の備品の数々が綿密に記載されていた。僕は一つの事実に気づく。
「これ、かなりの量ですが、全て同じ筆跡ですね。一人の方が書かれたのですか?」
「ええ、まあ」
「何年分でしょうか」
「遡って、二年分用意しています」
「僕が依頼したのは昨日の夕方です。それをエルヴィスさんたった一人で、しかも二年分を一晩で書き写したのですか?」
エルヴィスは、「はい、主要な箇所だけですが」と静かに頷いた。
僕は椅子を引き、台帳の一冊目を開く。紙は新しく、綴じ糸もしっかりしている。インクの匂いがまだ強く、頁の端はきれいに整っている。できたばかりの、いわば真っさらな抄本だった。
「きれいですね」
「はい。殿下が見やすいようにと、細部までこだわりました」
「ですが、きれいすぎます」
「え」
「読みやすい写しが悪いわけではないです。ただ、読みやすくするついでに、都合の悪い痕跡まで消してないですか?」
「そ、それは……」
「原本なら訂正線、追記、押し直した印、頁の端についた古い折れ目が残る。いつ、誰が、どのような意図でどの数字を直したか。僕が見たいのはそれなんです。整った合計額だけ見せられても、検証に必要な部分が抜けています」
僕の言葉に、エルヴィスは口を開けたまま、返す言葉を失っているようだった。
「原本を見に行きます」
僕は椅子から立ち上がる。
「で、ですが保存規程が……」
「では保存規程も見ますよ」
不意に、抄本の隙間から一枚の紙の束が床に落ちた。綴じが甘い部分が落ちたのかと思ったが、エルヴィスの顔色を見て考えが変わった。
「なにかおちたよ」
エリーゼの声がした。もう部屋に帰ったと思ったのに、彼女はエスメラルダの机の下から現れ紙の束に手を伸ばす。僕は慌ててそれを拾い上げた。
「【第七搬出口、鍵貸出控え】?」
表紙に書かれた文字を読み上げる。エルヴィスの顔から、血の気が引いた。
「これは?」
「も、申し訳ございません。こ、今回の抄本とは関係ないものが混ざってました」
エルヴィスが、消え入りそうな声で言った。
「そうですか。では、こちらも拝見しますね」
「ヴィ、ヴィルヘルム殿下……」
エルヴィスが今にも泣き出しそうな表情になった。わかりやすい男だ。いや、待てよ。これはひょっとして……。
エスメラルダがエルヴィスと扉の間に立つ。だが、彼は逃げる気などなさそうだった。ただ、絶望の表情をしているだけだ。
「お兄さま」
いつのまにか、エリーゼが僕の袖を引いていた。
「その人、こわれそう」
「壊れる?」
エリーゼが心配そうな表情で、顔色の悪いエルヴィスを見つめていた。
「人間は物じゃないから、壊れるって表現は少し違うかな」
「じゃあ、なんていうの?」
エリーゼの大きな瞳でそう尋ねられ、僕はすぐに答えることができなかった。
人間でも、無理をすれば壊れる。前世の職場でも、仕事のプレッシャーで壊れた人を何人も見た。今のエルヴィスがそうならない保証はどこにもなかった。
「何て言うかは人それぞれだけど、とりあえず、そうならないようにする方法は一つある」
「どうするの?」
僕はエリーゼの問いに、満面の笑顔を返す。
「エルヴィスさん、物資備品管理局へ案内してください」
◇ ◇ ◇
帝室物資備品管理局は、宰相府の東廊下にあった。
監査局とは違って、扉がピカピカに磨かれていた。真鍮の取っ手は曇りひとつなく、床には赤い絨毯。入る前から嫌な匂いがした。金の匂いだ。
室内は静かだった。正確には、何かをペンで書くカリカリとした乾いた音だけが、室内に充満していた。机が左右に十ずつ並び、エルヴィスのような書記官が皆業務に勤しんでいた。壁一面に引き出し棚が並び、札がきっちり揃っている。机は黒檀で、椅子は革張りだ。窓辺には、来客用の銀盆が並べられていた。
「これはこれは。第三皇子殿下」
一番奥の高級そうな机に座っていた男が、僕の姿を見て立ち上がった。
「ベラウム局長です」
エルヴィスが帝室物資備品管理局長を紹介した。年齢は四十代半ばほど、黒々とした髪をきれいに撫でつけ、指には細い金の指輪をはめていた。笑顔は柔らかいが、目の奥は笑っていない。
「何か抄本に不備でもございましたか?」
「不備も何も依頼内容は原本の閲覧です。きれいにまとめた抄本を持ってこられても検証ができませんので、直接お伺いすることにしました」
「原本は保存規程上、原則として局外へは持ち出せません」
「はい。先ほどエルヴィス書記から聞きました。原本は持ち出しません。ここで拝見させてください」
ベラウム局長は、ほんの少しだけ眉を動かした。
「左様でございますか。ですが、準備に時間がかかりますゆえ……」
「準備ができるまで待ちますよ」
僕は即答する。
「あいにく、本日は他部署との協議がありまして」
「お構いなく。準備できたものから拝見しますので」
僕は即答する。
「殿下はご多忙では」
「はい忙しいです。早く帰りたいので、早く出してください」
僕は即答する。
エスメラルダが僕の隣で軽く咳払いをした。<やりすぎです>とでも言いたそうだった。
エルヴィスは後ろで小さくなっていた。
ベラウム局長は笑顔を保ったまま、机の端の呼び鈴を鳴らした。
すぐに寄ってきた部下へ、短く告げる。
「急ですまないが、備品に関する原本を持ってきてくれ。ええと……」
ベラウム局長が手元のメモ用紙に視線を移した。
「水路改修局の返納備品に関する原本と、備品購入台帳、廃棄台帳、修繕台帳をお願いします。十年分」
ベラウム局長が声を発する前に、僕はそらでその部下に伝えた。
「それと、鍵管理簿もお願いします」
僕の言葉に、室内のカリカリというペンの音が止まった。室内が一瞬だけ、しん、と静まり返った。
「鍵管理簿、でございますか」
ベラウム局長が、笑顔を浮かべたまま言った。
「はい。実は、第七搬出口の鍵貸出控えが、抄本の箱に紛れていまして」
背後にいるエルヴィスの肩が跳ねたのがわかった。
だがベラウム局長は彼を見ない。見ないのが、逆に怖い。
「じゃあ、それも準備よろしく」
ベラウム局長はその笑顔のまま、部下に指示を出した。




