第二話「城の俺と変わり者の若君」
吉法師が住んでいると言う城が見えてきた。
いや、正確には城と呼んでいいのかどうかわからない。俺の元の世界にも城塞や砦はあったが、この建物はそのどれとも違う。木と石と土で作られた、重層構造の建物。周囲を堀と土塁が囲んでいて、規模はそれなりに大きい。
道中、吉法師は念話でいくつかのことを教えてくれた。あの建物は那古野城といい、吉法師の父親が治めるこの土地の城だという。つまり吉法師は、城主の息子だ。昨日「大殿の若様」と呼ばれていたのも、そういう意味だったのかと俺は合点がいった。
「城に着いたら騒ぎになる」と吉法師は言った。念話越しに「覚悟しておけ」という意味合いが伝わってきた。
『騒ぎになるとわかっているなら、先に根回しすればよかったんじゃないか』
「面倒だ」
こいつは本当に、細かいことを気にしない性格らしい。
門番が二人いた。
俺の姿を見た瞬間、二人同時に槍を構えた。口から何かが飛び出す。意味はわからないが、「化け物」とか「何だあれは」とか、そういう類だろうことは表情でわかった。
その声を聞きつけたのか、城の内側からも人が出てきた。武装した男が四人、五人、気づけば十人近くが槍や弓を手に俺を取り囲んでいた。
俺は動かなかった。
こういう時に動くのは悪手だ。相手が興奮している時に大きな獣が動けば、それだけで攻撃の引き金になる。
(まあ、来るなら来てみろという気持ちもあるが)
正直、この程度の武装で俺がどうにかなるとは思っていない。だがここで一暴れすれば、せっかく吉法師が「連れだ」と言ってくれた立場が台無しになる。
吉法師が前に出た。
「下がれ」
一言だけだった。
しかし声の圧が違った。昨日道で見せたものより、もっと重い。城の主の息子として、これだけの人間に向ける声だ。
男たちが一瞬、動きを止める。
吉法師が続けた。念話を通じて意味が届く。「俺の客だ。手を出すな。命令に逆らう者は俺が直々に相手する」
おおよそそういう内容だ。
男たちが顔を見合わせた。困惑と恐怖と、若君への忠義がぐるぐると混ざっている顔だった。
やがて、一人が槍を下ろした。それにつられるように、他の者も下ろしていく。
最後まで残った老いた武士がひとり、吉法師に向かって何か言った。諫めるような、心配するような声音だった。
吉法師は短く答えた。
「俺が決めた。それでいい」
念話でそれだけ届いた。
老武士は深く息を吐いてから、深々と頭を下げた。他の者たちも続く。道が開いた。
吉法師が振り返って俺を見た。にやりと笑っている。
「入れ、熊五郎」
俺はため息をついてから、その後に続いた。
(この小僧、やはり普通ではないな)
城の中に入ってからも騒ぎは続いた。
廊下を歩くたびに悲鳴が上がる。使用人らしき女が腰を抜かす。武士が刀に手をかける。そのたびに吉法師が一言二言で黙らせる。
これを繰り返すこと十数回。
俺はいい加減、疲れてきた。
(これは毎回こうなのか)
屋敷の奥、広い庭に面した場所で、吉法師が立ち止まった。年かさの武士や使用人の長らしき者を集めて、何かを告げている。
念話を通じて断片が届く。「ここに置く」「珍獣」「俺専属」「文句は聞かない」
吉法師の言葉は簡潔で、議論の余地を与えない。
使用人の長らしき男が、おずおずと俺の方を見てから何かを言った。吉法師が少し考える顔をして、それから庭の隅にある古い蔵を指した。
「あそこを使わせろ」
念話越しに俺へ声が来た。
「熊五郎、お前はあの蔵を使っていい。表向きは俺の珍獣扱いだ。文句あるか」
『珍獣扱いは少々引っかかるが……まあいい。雨風が凌げれば文句はない』
「それでいい」
吉法師はそう言ってから、集まっていた者たちに向かって改めて何かを告げた。短く、しかし有無を言わせない言い方だった。
その場がしんと静まった。
俺の居場所が、こうして強引に決まった。
問題は、その後だった。
まず食事の問題だ。
夕刻になって、使用人が桶を持ってきた。中身を覗くと、魚のあらと野菜くずと、食べ残しらしい飯が混ざっていた。
俺は桶を見た。
使用人を見た。
また桶を見た。
『これが俺の食事か』
使用人がびくりと震えた。俺の念話が届いているかどうかはわからないが、声音は伝わるらしく、不満げな気配は感じ取ったようだった。
ちょうどそこへ吉法師が通りかかった。桶を見て、俺を見て、吹き出した。
「少ないな」
『少ないどころか、これでは前足を動かす気力も出ん。俺の体格を見ろ』
「違いない」
吉法師は使用人に何か言った。使用人が慌てて走っていく。
しばらくすると、今度は大きな盥に山盛りの食材が運ばれてきた。魚が丸ごと数匹、干し肉の塊、根菜をざく切りにしたもの。これでもまだやや足りない気もするが、最初よりはずっとましだ。
『これくらいあれば何とかなる』
「贅沢な熊だな」
『俺はこれでも普通だ。さっきのが少なすぎた』
吉法師はまた笑った。それから使用人に向かって何か短く言った。おそらく「毎回これくらい出せ」という意味だろう。
使用人が渋い顔をしながら頭を下げた。
次に排泄の問題だ。
これは正直、自分でも困っていた。城の中でするわけにはいかない。庭でするのも問題があるだろう。
吉法師に念話で聞く。
『一つ聞きたいんだが』
「何だ」
『俺が用を足す場所をどうするか、誰も決めていないと思うんだが』
吉法師がしばらく黙った。それから「ああ」と言った顔になった。
「確かに」
しばらく考えてから、吉法師は顎でくいと城の裏手を示した。
「城裏の林でいいだろ。どうせ誰も近づかない」
『それで構わないが、使用人たちには伝えておいてくれ。知らずに踏む者が出ると困る』
吉法師が一瞬止まってから、盛大に笑った。
「それもそうだな」
後で使用人の長が真っ青な顔をして城裏の林に看板を立てに行ったのを、俺は蔵の入り口から遠目に見ていた。
なんとも申し訳ない気持ちになった。
あとは睡眠だ。
蔵の中を確認すると、床に藁が敷いてあった。使用人が急いで用意したらしい。
俺は藁の上に寝転んでみた。
悪くはない。元の世界でも遺跡潜りの最中は野宿が多かった。藁の上など上等な部類だ。
(まあ、寝られる)
問題なし、と判断した俺は、次の問題を考えた。
翌朝から、俺は吉法師の一日に同行することになった。
本人が「来い」と言ったのだ。理由を聞いたら「お前がいると面白いから」とだけ答えた。理由になっていないが、俺も断る理由がなかった。
朝一番は稽古だった。
城の一角に設けられた広場で、吉法師は木刀を手にしていた。相手をする武術師範らしき男が向かいに立っている。
俺は端の方で見物した。
稽古が始まって、俺は最初の一合で目を細めた。
速い。
単純に速いというだけではない。踏み込みの角度、重心の移動、木刀の軌道——全てに無駄がない。師範がそれなりの使い手だとわかるが、吉法師は明らかにその上をいっていた。
(あの年齢で、この動きか)
俺の元の世界にも剣士はいる。修行を積んだ戦士もいる。それと比べても、吉法師の動きは「上手い」という域を超えていた。才能と努力が組み合わさった時の、独特の鋭さがある。
稽古が終わった後、吉法師が俺の方を見た。
「どうだ」
念話越しに声が来た。感想を求めている。
『素直に言う。同年代の中ではおそらく別格だ。ただ…』
「ただ?」
『力任せになりかけている瞬間が、たまにある。そこだけ惜しい』
吉法師が少し目を細めた。怒るかと思ったが、しばらく考えてから「そうか」と言った。
「俺も気になっていた部分だ」
否定しなかった。素直に受け取った。
(見た目によらず、肝が据わっている)
俺はそう思い直した。
昼は座学だった。
部屋の中で書物を広げ、年かさの男(学問を教える者らしい)が何かを説明している。算術か兵法か、そういう類だろうと俺は推測した。
最初のうち、吉法師は真剣に聞いていた。
しばらくすると、視線が窓の外に向き始めた。
さらにしばらくすると、あくびをした。
教師らしき男が声を荒げる。吉法師が何かを言い返す。言い争いになりかけて、最終的に吉法師がため息をついて書物に向き直る、という流れが、俺が見ている間に二回繰り返された。
俺は庭からそれを眺めながら、なんとなく理解した。
この小僧は、興味のあるものとないものの差が極端なのだ。剣術の稽古は集中していたが、座学はそうではない。正確には、座学の中でも「使える」と感じた部分には目が輝くが、そうでない部分は露骨に飽きる。
(扱いづらい性格だな)
そう思いながら、同時にこうも思った。
(だが、頭は間違いなくいい)
興味を持った瞬間の吸収速度が、普通ではない。問題はその興味が続かないことだが、それはそれで、ひとつの才能の形かもしれない。
午後、吉法師は城内をうろうろし始めた。
俺も後を追う。
途中、家臣らしき年かさの男と鉢合わせした。男が何か言う。吉法師が言い返す。声が大きくなる。
念話越しに断片が届く。「そんな金はない」「なぜできない」「前例がない」「前例を作ればいい」
どうやら吉法師が何かを要求して、家臣が難色を示しているらしい。
最終的に吉法師が「やれ」と言って歩き去った。
家臣が頭を抱えている。
(日常茶飯事らしいな、これは)
俺は家臣に少し同情した。あの小僧の相手を毎日するのは、かなり消耗するだろう。
夕方になって、吉法師が俺の蔵に来た。
蔵の前に座った俺を見て、「暇か」と聞く。
『暇だ』
「ならちょうどいい。魔法のことを全部教えろ」
俺は少し考えてから、順番に説明することにした。
『まず念話は知っての通りだ。今俺たちがやっているやつだ。ただ、これには段階がある』
「段階?」
『今は俺とお前の間だけで通じている。もう少し集中すれば、俺を媒介に三人の間で意思疎通ができる。ただしその間、俺は他のことが何もできない』
吉法師が目を細めた。念話越しに「使い道がある」という感触が伝わってきた。
次に浮遊を説明した。
『高い所から落ちても、落下速度を遅らせられる。実演してみせようか』
「やれ」
俺は蔵の屋根に登り、飛び降りた。ゆっくりと、木の葉が落ちるような速さで地面に降りる。
吉法師が無言で見ていた。それから小さく「ほう」と言った。
発火は枯れ草を使った。前足で一束まとめて、念じる。小さな炎が走った。
「小さいな」と吉法師が言った。
『俺は大火を起こせるほどの力はない。あくまで火をつけることができる、という程度だ。ただ、燃えやすいものに最初の火さえつければ、後は自然に広がる』
吉法師が「なるほど」と言った。何かを考えている顔だった。
硬化は、庭にあった太い丸太を使った。体の前腕部に力を集中させ、全力で叩きつける。丸太が半ばまで割れた。
吉法師が眉を上げた。
「それは……」
『体の一部に集中させれば、武器での攻撃も弾けるかもしれない。全身に広げると動きが鈍くなるのが難点だ』
「刀の攻撃を……」
念話越しに強い反応が来た。さっきより明らかに興味の色が濃い。
最後に疾走を見せた。
庭の端から端まで、一息で駆け抜ける。
吉法師が目で追いきれなかったらしく、俺が反対側にいることに気づいた時、一瞬きょとんとした顔をした。
「見えなかった」
『長くは続けられない。肉体への負担が大きい。短距離の一撃に向いた力だ』
吉法師はしばらく無言だった。
それから静かに言った。
「戦に使えるな」
否定はしなかった。確かにその通りだ。
「それぞれ組み合わせれば、硬化しながら疾走して敵に突っ込む。発火で陣地を焼く。念話で密に指示を飛ばす」
吉法師の言葉が速くなっていた。頭の中で組み立てているのがわかる。
(こいつ、即座に「戦にどう使うか」を考えるのか)
感心と、少しの戦慄が混ざった。これが十四かそこらの少年の発想か。
「面白い」
吉法師がそう言った。目が、稽古の時とは別の意味で光っていた。
『俺をいきなり戦に連れて行くつもりか』
「当然だろ。使えるものは使う」
『もう少し準備というものを…』
「考えてから言う。今は覚えておくだけだ」
吉法師はそう言って立ち上がった。
「今日はこれで終わりだ。明日も来い」
命令口調だが、念話越しには「また話したい」という感触が届いていた。
俺はため息をついてから「わかった」と返した。
夜になった。
蔵の中、藁の上に横になって俺は天井を見ていた。
初日よりは慣れてきた。食事の量も確保された。排泄の場所も決まった。住む場所もある。
とりあえず、生きていける。
そう思っていた俺の耳に、音が届いた。
かすかな足音だ。複数。城の外ではなく、城の中から来ている。しかもかなり、慎重に歩いている。
(夜中に、何の用だ)
俺は動かなかった。目を閉じたまま、耳だけを立てた。
足音が蔵の近くで止まった。
潜めた声が聞こえる。言葉の意味はまだわからないが、声の質から察するに、緊張と、少しの恐怖と、そして決意のような何かが混ざっていた。
俺は静かに立ち上がった。
蔵の扉を、音を立てずに押し開ける。
外に三人いた。松明を持たず、月明かりだけを頼りに立っている。手に何かを持っている。俺の目には、暗がりでも形がわかった。槍と、縄だ。
三人が俺を見て、固まった。
俺は彼らを見回してから、ゆっくりと前に出た。
三人が後ずさる。
俺はさらに一歩、前に出た。
そのうちの一人が、短い悲鳴を上げて走り去った。続けてもう一人。最後の一人も、槍を取り落として逃げていった。
蔵の前に、落とされた槍が一本残った。
俺はそれをしばらく見つめてから、また蔵に戻った。藁の上に横になる。
(まあ、こんなものか)
異物は排除したい、それが生き物の自然な反応だ。怒る気にもならない。
ただ、これが続くようなら吉法師に伝えた方がいいかもしれない、とは思った。
俺は目を閉じた。
翌朝、吉法師が蔵に来た時、俺は昨夜のことを念話で伝えた。
槍が一本、蔵の前に転がっているのを吉法師も見ていた。
しばらく無言だったが、やがて小さく舌打ちした。
「誰だかは調べる」
『別に仕置きまでしなくていい。俺が怖いのは当然だ』
「そういう話じゃない」
吉法師の声に、昨日までとは少し違う硬さがあった。
「俺が手を出すなと言った。それに逆らった。それだけだ」
念話越しに届く感情は、怒りというより、けじめ、のような何かだった。
俺はその横顔を見て、昨日の感覚を思い出した。
この小僧は、扱いづらい。突飛で、わがままで、家臣を振り回す。
だが、筋は通す。
(なかなか、一筋縄ではいかない相手だな)
吉法師が俺を振り返った。
「お前、思ったより使えるな」
『昨夜の話か、魔法の話か』
「両方だ。戦で使うぞ、いずれ」
俺は少し考えてから答えた。
『その時は相談してくれ。命令だけは勘弁だ』
吉法師が鼻で笑った。
「考えておく」
それだけ言って歩き出した。今日も一日が始まる。
俺は立ち上がって、その後を追った。
見知らぬ世界の、二回目の朝だった。




