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幽霊が見える探偵と彼の秘密  作者: 黒豆子犬


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第37話 次なる標的

差し伸べられた血まみれの手を、葵はあらん限りの力で握り返した。

 葵の「確定」の熱量が、氷室の「物理破壊」の意志を触媒にして、絶対的な神の拒絶を内側から焼き尽くしていく。

『……あり、得ない。……人間の、たかが一瞬の情動が、システムの永遠を凌駕するなど……!』

 巨大な瞳の集合体が、断末魔のようなノイズを上げて凍りつく。葵がコアを直視した瞬間、無数の眼球は光の塵となって霧散し、その中心から、血の気を失った一人の孤独な青年――神が転がり落ちた。

「……終わらせに来たよ、お兄ちゃん」

 葵の声は、この宇宙の誰よりも低く、優しかった。

 彼女は自分の両目から流れる血を拭うこともせず、震える兄の身体を抱き寄せた。神(兄)の瞳から、人間としての涙が溢れ出した。

「……葵。……。……私は、ただ、失うのが怖かったんだ。……壊れてしまうのなら、最初から美しいまま、箱の中に……」

「……いいんだよ、お兄ちゃん。……もう、ひとりで観測しなくていい。……おやすみなさい」

 葵の最期の「確定」。それは、兄という特異点を消去するのではなく、彼に『一人の人間としての、安らかな死』を贈ることだった。

 兄の身体が、温かい光の粒となって、葵の腕の中から静かに消えていく。


 静寂は一瞬だった。

 神というコアを失ったボードメンバーの中枢神経系が、凄まじい轟音と共に連鎖崩落を始めた。

 空に浮かぶ黒い日食が中心から真っ二つに割れ、そこから境界に蓄積されていた膨大なエネルギーが、現実世界へと雪崩れ込んでいく。

「……氷室さん! ……もう限界だよ、逃げなきゃ!」

 葵が振り返る。だが、そこにいた氷室蓮の姿に、葵は息を飲んだ。

 氷室の右半身は、今やそのほとんどが白銀の結晶と化し、それすらもひび割れてパラパラと光の粉となって剥がれ落ちていた。

 彼は立っていることさえも奇跡のような惨状でありながら、それでも葵を見つめる瞳だけは、かつてないほど鋭く輝いていた。

「……あ……ああ、そうだな。……出口はあそこだ、葵」

 氷室は、激しく明滅を始めた現実世界への門を指差した。

 彼は葵の背中にそっと手を添え、そして次の瞬間、命の残光をすべて注ぎ込んだ力で、彼女を門の向こう側へと力強く突き飛ばした。

「……氷室さん!?」

「……お前は、あっち側で、普通に生きろ」

 境界の崩落と共に、二人の間の距離が絶望的に離れていく。葵の手が届かない、光の深淵へと氷室の身体が沈んでいく。

「……待って! 私たちは、共犯者でしょう! 一人にしないで!!」

 葵の絶叫が、崩壊する情報の海に飲み込まれていく。

 視界が真っ白に染まる直前。葵が最後に視たのは、白銀の光の中に溶け込みながら、自分を救えたことに心底から安堵し、誇らしげに目を細めた――ただの一人の男、氷室蓮の、穏やかな笑顔だった。


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