第36話 危険な恋の萌芽
神のコアから放たれた光の触手が、葵の四肢を優しく、けれど抗いようのない力で絡め取った。
視界が真っ白な光に塗りつぶされ、葵の意識はシステムの内面世界――純白の神殿へと引きずり込まれる。
「……落ち着いて、葵。君はもう、傷つく必要はないんだ」
光の向こうから、かつての穏やかで美しい兄の姿をした神が歩み寄ってきた。彼は葵の頬を、本当の人間の体温と同じような温かさで撫でる。
「外はノイズに満ち、すべては崩壊に向かっている。けれど、ここなら永遠に美しいままの君でいられる。……君の記憶を、私が最適化してあげよう。悲しいことも、痛いことも、すべて透き通ったデータに変えて……」
葵の脳内で、過去の記憶が少しずつ漂白されていく。
心が、あまりの心地よさに溶けそうになる。このまま兄の囁きを受け入れれば、どんなに楽だろうか。
――ガァァンッ!!
その時。完璧な静寂に包まれていたはずの神殿の壁に、不協和音のような衝撃が走った。
ドゴォォォォンッ!!
外の世界。
光り輝く繭のように葵を閉じ込めたシステムコアの前で、氷室蓮が文字通り『命』を叩きつけていた。
彼の肉体は、今や右肩から先が完全に砕け散り、剥き出しになった白銀の結晶が神の防壁を殴るたびに、他ならぬ彼自身の魂の残渣を撒き散らしていた。
打撃が通じているわけではない。だが、氷室は止まらなかった。絶叫すらも途絶え、ただ血迷った亡霊のように、氷室は自分の血肉そのものを防壁へと塗りたくっていた。
その氷室の「痛み」が、神殿の中にいる葵の魂に届いた。
「……違う。……違うわ、お兄ちゃん」
葵は兄の優しい手を、力強く振り払った。
「……痛みは、ノイズなんかじゃない。……。氷室さんが、あんなにボロボロになってまで私を呼んでる。……あの泥臭くて、痛くて、やりきれない記憶こそが、私が私であるための現実なの!」
葵は両手で自分の瞼を力一杯見開き、瞳の奥に宿る紫色の光を爆発させた。
「……私は、あなたの標本にはならない! 私は……人間として、傷つきながら生きていく!」
内側から放たれた葵の「確定」の楔。
それと同時に、外側から氷室が放った、寿命のすべてを代償にした最後の一撃が、神の防壁のただ一点に重なった。
パリリンッ!!
絶対だと思われていた光の繭に、決定的なひび割れが走った。
ひび割れた向こう側から、血みどろになった氷室の『手』が葵へと差し伸べられる。
「……葵ッ!!」
その指先が葵の自我の境界線に触れた瞬間、システムが構築した偽りの神話は音を立てて崩壊し始めた。




