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幽霊が見える探偵と彼の秘密  作者: 黒豆子犬


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第31話 霊力の解放

夜霧市という空間そのものが地図から消失したあの日から、世界は音を立てて狂い始めた。

 二人が生還した郊外のバイパス道路。夜が明けても、空は群青色から変わらない。太陽があるべき場所には、紫色の光彩を放つ巨大な「黒い日食」が鎮座し、世界中を不気味な薄明かりで照らしている。

 道端の交通標識の文字は、見たこともない幾何学的な『境界の言語』へと勝手に書き換わっていた。ラジオの周波数を合わせても、流れてくるのは金属を削るような砂のノイズだけ。警察も、自衛隊も、すでに大規模な通信網の崩壊によって機能不全に陥っていた。

 すべては、神がボードメンバーの中枢へと同化し、日本全土の境界の壁に意図的な「ひび割れ」を入れた結果だった。


「……ゴホッ……カハッ……!」

 廃墟となったガソリンスタンドの陰で、氷室蓮が激しく咳き込んだ。

 彼が口元を覆った手のひらには、鮮血と共に、微小な紫色の結晶が混じっていた。

「氷室さん! ……それ……」

 葵が顔を青ざめ、駆け寄る。氷室は舌打ちをして、急いでその血をコンクリートの床に擦り付けた。

「……気にするな。神のクソ野郎の玉座を殴った時のカスが、まだ少し残ってるだけだ」

 だが、葵の「確定」の瞳には、氷室の肉体が限界を超えて崩壊し始めているのがはっきりと視えていた。限界以上の結晶化は、彼の細胞そのものを境界の泥へと変換し始めているのだ。

 彼に残された時間は、もう長くない。


「……葵。あいつの遺品を寄こせ」

 氷室は痛みを隠すように、葵が抱えていたタブレットを指さした。遠野圭が死の直前に託した、唯一の希望。

 通信が途絶したこの世界で、遠野が敷いた「観測者専用の暗号回線」だけが、かすかに生きた信号を受信し続けていた。

 タブレットの画面に、幾重ものパスコードを突破した末の『最終座標』が表示される。

「……ここは……」

「ああ。……因縁の場所、ってやつだな」

 ピンが落ちた場所。それは、日本の中央。かつて第一部の舞台であり、すべてが始まり、そして最初に消滅した『霞が関・警視庁本庁舎跡地』の地下最深部だった。

 そこに、神と同化したボードメンバーの本体――世界を書き換えるための巨大なシステム神経系が存在している。


「……行くぞ、葵。……これが俺たちの、最後の事件だ」

 氷室が立ち上がり、残された拳銃の弾倉をリロードする。カチャリと冷たい金属音が響く。

「……氷室さん。お願いがあります」

 葵が、氷室の背中にすがるようにしてその服の裾を掴んだ。

「……もし、私が……お兄ちゃんと同じように『向こう側』の力に飲み込まれて、私じゃなくなってしまいそうになったら……」

 葵の紫色の瞳が、悲痛な覚悟で氷室を見上げた。

「その時は、あなたが私を撃ってください。……私を、人間のまま終わらせて」

 氷室の息が止まり、彼は無言で葵を見下ろした。

 バディという言葉さえも超越した、魂を預け合う究極の契約。

「……安心しろ。お前を変なオカルトの生贄なんかに、絶対にさせねえよ」

 氷室の右腕の白銀の結晶が、静かな怒りと共に脈動した。

 第三部、開幕。二人は静かに、終わりゆく世界の中を、最後の目的地へ向かって歩き出した。


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