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幽霊が見える探偵と彼の秘密  作者: 黒豆子犬


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第3話 最初の共鳴

 原宿、竹下通り。

 極彩色の綿あめを掲げる観光客、イヤホンで外界を遮断して歩く若者たち。スピーカーから溢れ出す軽快なポップミュージックが、アスファルトを震わせている。

 そんな喧騒の真っ只中で、桜井葵は激しい耳鳴りに耐えていた。

「……っ、うるさい」

 葵にしか聞こえない音。それは砂嵐が混じった低周波のような、不快な「境界のノイズ」だ。華やかな街並みが、まるで出来の悪いホログラムのように細かく明滅して見える。

「おい、立ち止まるな。目立つ」

 背後から、低く硬い声が降ってきた。

 氷室蓮が葵の肩を叩き、歩行者の流れに無理やり押し戻す。彼は周囲の浮かれた雰囲気から完全に浮いていた。仕立ての良い黒のコートは、この場所では場違いなほどに殺風景だ。

「すみません、でも……ここ、さっきからずっと酷いんです。誰かが、ずっと泣いているみたいな」

 葵が指差したのは、一本の細い路地だった。そこには派手な装飾のブティックが建っているが、葵の眼には、その建物の輪郭が泥のように崩れ、周囲の空間を侵食しているのが見えていた。

「これまでの失踪事件の現場。その共通点が、この店の周囲に集中している。お前の『観測』は、何を捉えている?」

 氷室の瞳は、鋭い。彼は葵を見ていない。葵が見ている「何か」を、その冷徹な理知で見極めようとしていた。


 路地裏に足を踏み入れると、一気に気温が下がったように感じられた。

 葵は深呼吸をし、視神経の奥にあるスイッチを切り替える。

 視界が白濁し、現実の風景が希薄になっていく。代わりに立ち上がってきたのは、過去にここで起きた惨劇の「残滓」だった。

「視えます……女の子たちが、鏡を見ている。自分の顔が、自分じゃないものに変わっていくのを、うっとりと眺めながら……」

 それは異常な光景だった。鏡の中に引きずり込まれる恐怖ではなく、自分を捨てて「何か」に同化しようとする、昏い陶酔。

 葵はその思念に触れた瞬間、吐き気を感じた。自分の精神の一部が、泥のような境界に同化していく感覚。

「っ、あぐ……!」

 葵が膝を折ると、氷室がその腕を荒っぽく掴み上げた。

「飲まれるな。お前が確定させなければ、奴らはただのノイズだ。お前の瞳で、真実を縛り付けろ」

 氷室の手のひらから伝わる体温が、かろうじて葵を現実側に繋ぎ止めていた。


 二人はブティックの地下倉庫へと辿り着いた。

 そこは、無数のアンティークミラーで埋め尽くされた異様な空間だった。

「ここか」

 氷室は腰のホルスターから愛銃を抜き、安全装置を外した。

 一般人である氷室には、まだ何も見えていないはずだ。しかし、彼の長年の刑事としての嗅覚が、ここにある不合理な殺意を敏感に察知していた。

 不意に、正面の巨大な姿見が波打った。

 鏡の奥から、白い貌の「何か」が這い出してくる。

 それは人の形をしていたが、顔のパーツがあるべき場所には、ただ鏡の破片が埋め込まれていた。

「……出た。氷室さん、正面です!」

 葵の叫びと同時に、怪異が鏡の中から鋭い破片を飛ばした。

 氷室は反射的に床を転がって回避するが、彼の銃弾は怪異をすり抜け、背後の鏡を砕くだけだった。

「クソッ、まだ揺らいでいるか……!」

「私が……固定します!」

 葵は逃げたい衝動を抑え込み、両眼を見開いた。

 あえて怪異と視線を合わせ、その存在を「そこに在るもの」として強く認識する。

 葵の脳が熱を帯び、手のひらの印が焼けるように疼く。

 その瞬間、世界から色が消え、葵と氷室、そして怪異だけが「共鳴」の中に閉じ込められた。

 怪異の輪郭が、鋭く、物質的な質量を伴って確定していく。

「今です!」

 氷室が迷うことなく引き金を引いた。

 銃声が地下室に轟き、放たれた弾丸は葵の「観測」に導かれるようにして、怪異の鏡の貌を真っ向から撃ち抜いた。

 高い音を立てて怪異が砕け散る。同時に、葵を縛っていた重圧が霧散し、彼女はその場に崩れ落ちた。


 静寂が戻った倉庫で、氷室は静かに銃口を下げた。

 足元には、砕け散った透明な結晶の山。

 そしてその奥の棚に、ぐったりと横たわっている女子大生の姿があった。

「……死んではいないな」

 氷室が被害者の容体を確認する。

 葵は安堵し、駆け寄ろうとしたが、氷室の背中から漂う異様な緊張感に足を止めた。

「どうしたんですか……?」

 氷室は無言で、救い出した被害者の顔を葵に見せた。

 彼女の眼球。黒目があるべきはずの場所には、銀色の薄い膜が張っていた。

 まるで、小さな「鏡」のように。

「……これは、自然発生した怪異の仕業じゃない」

 氷室の低い声が、地下室の冷たい空気に染み込んでいった。

「誰かが、この娘を『苗床』にして都市伝説を人為的に育てていた跡だ。葵、お前がさっき視たもの。ブティックのオーナーの名前は、なんと言った?」

「……確か、篠原、と……」

 葵の答えを聞いた瞬間、氷室の表情が、かつてないほどに険しく歪んだ。

「監察官の、偽名か……」

 解決したはずの事件の背後に、さらに深い闇が口を開けていた。

 葵は自分の手が震えていることに気づいた。

 氷室と手を取ってしまった以上、もうこの闇から目を逸らすことはできない。

 最初の捜査。それは、彼女が「観測者」として生きる地獄の始まりを、静かに告げていた。

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