第29話 決戦の予感
シオンが砂となって消え去った直後。夜霧市の空を覆っていた薄い霧が、突如として禍々しい紫色の光を放ち始めた。
それは霧ではなかった。街の至る所に設置されたボードメンバーの「管理装置」が臨界点を突破し、住民たちの意識を直接、境界の向こう側へと強制的に吸い上げ始めたのだ。
「……があっ……!」
氷室が苦悶の声を上げ、膝を突いた。彼の右腕の白銀の結晶が、街全体の紫色の光と共鳴し、激しい火花を散らしている。
「……おい、葵。……どうやら俺の腕の『フィルター機能』も、ここまでみたいだ」
氷室の言葉を証明するように、周囲の民家や道路がノイズのように点滅し、音もなく空中の「巨大な門」へと吸い込まれていく。
神の狂気は、シオンの死すらも、この現象を引き起こすための「起爆剤」として計算に入れていたのだ。
逃げ場はない。夜霧市全体が、世界の座標軸から切り取られようとしている。
「……氷室さん。……あなたの腕の結晶、今なら全てを『切断』できますか?」
葵の声は、絶望の底にあっても不思議なほど澄み切っていた。
「……ああ。だが、この街全体を切り離すことはできねえ。俺の身体が先に砂になる」
「街じゃない。……私を、投げてください」
葵は、空に口を開けた巨大な門を見上げた。
その門の奥に、神が座る白い玉座があるのが視える。
「……ふざけんな! お前だけが向こう側に行けば、誰がこのこっち側の現実を『確定』させるんだ!」
氷室が怒鳴る。これ以上、誰も失いたくないという、彼自身のむき出しの恐怖。
だが、葵は優しく、だが強い力で氷室の白銀の腕を両手で握りしめた。
「……私たちは、共犯者でしょう? ……私が『門の核』を確定させます。氷室さんは、その瞬間に、私の軌道ごと……神の玉座を打ち下ろしてください」
それは,葵の肉体ごと神を粉砕するという、自爆特攻に等しい狂気の戦術だった。
紫色の濁流が、ついに二人の立つ足元の重力を奪った。
瓦礫が宙に浮き上がり、街全体が無重力の空間へと放り出される。
「……あいつ、本当に狂ってやがる」
氷室は悪態をつきながら、白銀の腕に全身の力を込めた。彼の身体を覆う結晶が、限界を超えてひび割れ始める。
氷室が瓦礫を蹴り、空中へと跳躍した。
葵の身体を抱え上げ、まるで一筋の巨大な槍のように、空中の門へと一直線に投擲する。
「……行けええええええええええ!!」
葵の身体が、紫色の光の濁流を突き抜け、境界の最深部へと弾き出される。
彼女の剥き出しの瞳は,一切の恐れを見せずに、玉座に座る兄の瞳を真っ向から睨み据えていた。




