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幽霊が見える探偵と彼の秘密  作者: 黒豆子犬


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第28話 導かれる先

シオンの鋏が中空を切り裂くたび、耳障りな甲高い音が夜霧市の夜空に反響した。

 彼が切っているのは空気ではない。そこにある「境界線」――葵と氷室が立つ座標の連続性そのものだった。空間がズレ、防壁の向こう側から見えない刃が飛来する。

 だが、氷室の白銀の結晶は、そのズレを物理的に縫い合わせるように重い一撃を叩き込み、シオンの斬撃を見事に相殺していた。

「……邪魔だ! ただの薄汚い犬の分際で、僕とお嬢様の逢瀬を邪魔するな!」

 シオンの銀髪が逆立ち、彼の紫色の瞳から血のような涙が流れ落ちる。

 彼の戦い方は、以前の優雅さとは程遠かった。狂気に身を任せ、自らの肉体が限界を超えて軋むのも構わず、ただ葵の首だけを狙い続けている。

「……ガキ。お前のその力、神からもらったもんじゃねえな。……葵の記憶を,自分の魂ごと燃やしてやがるのか」

 氷室の低い声に、シオンの動きが一瞬だけ止まった。

 図星だった。


 葵の瞳が、シオンの放つ激しい紫色の炎の奥に、彼の過去の記憶を視た。

 真っ白な実験室。シオンは、神の遺伝子と葵の「失われた記憶」を注ぎ込まれて作られた、ただのスペア(代替品)の人形だった。

 彼は神を「お兄様」と呼び、愛されたかった。しかし、神の瞳には常に、彼ではない「本物の葵」しか映っていなかった。

『……僕は、お嬢様がいなくなれば、やっと本物の弟になれる。……そうだろう?』

 シオンの絶望的な劣等感が、葵の脳裏に焼き付く。

 彼は葵を憎んでいたのではない。ただ、葵という存在によって生かされ、葵という存在によって殺され続ける、自分の運命を終わらせたかったのだ。

「……シオン。……あなたは、誰の代わりでもないわ」

 葵の声が、戦場に響いた。

 彼女は自分に迫るシオンの鋏から目を逸らさなかった。

 葵の「確定」の光が、シオンを縛り付ける狂気の糸――彼が燃やす記憶の炎の供給源――を、無効化した。


 シオンの体が空中で大きく体勢を崩した。

「……い、いやだ……! 僕から、僕からお兄様の記憶を奪うな!」

 その決定的な隙に、氷室の白銀の腕がシオンの胸元を深く、だが致命傷を避けるようにして抉り込んだ。

 肉を断つ音ではなく、回路が焼き切れるような乾いた音が響く。氷室の一撃は、シオンを神の支配から切り離すためのものだった。

 シオンの身体は地面に叩きつけられ、その銀髪はみるみるうちに光を失い、境界の泥と同じ漆黒へと変色していく。

「……ごめんなさい、シオン」

 葵が彼の手を握ろうと膝をついた。だが、シオンはその手を弱々しく払いのけた。

「……同情、しないでください。……僕は、最後まで……お兄様の……」

 彼は虚空に手を伸ばしたが、何かを掴むことはできなかった。

 泥に沈みゆく中、シオンは最期に、憑き物が落ちたような澄んだ瞳で葵を見つめた。

「……お気をつけ、ください。……お兄様は、もう、人間では……」

 言葉の途中で、シオンの身体は完全に砂となって崩れ去った。


 静寂が訪れる間もなかった。

 シオンという巨大なエネルギーの器が消失したことをトリガーにするかのように、夜霧市全域の境界の泥が、突然として狂ったように空へと逆流し始めた。

 遠野が仕掛けたノイズすらも、その紫色の光の濁流に飲み込まれていく。

「……まさか、あいつ……」

 氷室が夜空を睨みつけた。

 神は、自分に尽くしたシオンの敗北(死)すらも、最後に街の儀式を臨界点へ到達させるための「高純度のエネルギー」として計算に組み込んでいたのだ。

 勝利の後の一息よりも先に、街全体が崩壊と浮遊を始める。


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