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幽霊が見える探偵と彼の秘密  作者: 黒豆子犬


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第22話 自己への問い

夜霧市の朝は、信じられないほどに穏やかだった。

 霧が晴れた窓の外には、手入れの行き届いた芝生と、色鮮やかな花々が咲き乱れる庭園が広がっていた。都会の喧騒も、境界のノイズも届かない、完璧に調律された「楽園」がそこにはあった。

「……お,おはようございます、お嬢様。……あ、いえ、桜井さん」

 隣家の藤崎夫人が、エプロン姿でフェンス越しに微笑みかけてきた。

 彼女の表情は慈愛に満ちていたが、葵の瞳には、彼女の首筋から無数の透明なフィラメントが虚空へと伸び、街全体を覆う巨大な「網」に接続されているのが視えていた。

「今日の朝食に、焼きたてのミートパイを焼いたの。宜しければ、こちらの皆様もご一緒にいかが?」

 夫人が差し出したパイからは、芳醇な香りが漂っている。だが、葵がノートを手に取ると、そこには震える筆跡でこう記されていた。

『……藤崎さんは、おいしいごはんをくれる。でも、食べちゃだめ。……お父さんの指が入っているから』

 葵は胃の底からせり上がる嘔吐感を必死に抑え、曖昧な笑みでその場を去った。


 室内に戻ると、氷室蓮が床にうずくまって喘いでいた。

「……氷室さん! また発作が……!」

「寄るな!……くそっ、この街の霧……まるで毒だ……」

 氷室の右腕の包帯からは、黒い泥のような汗が染み出し、畳を腐食させていた。

 彼は以前よりも明らかに苛立ち,時折、葵に対して獣のような殺気のある視線を向けるようになっていた。遠野が調合した抑制剤も、この街に充満する高濃度の境界粒子の前では、ただの気休めにもならなかった。

「……氷室さん、しっかりして! 私たちは、ここから出るために来たんでしょう?」

「……出られるわけがないだろう! ……お前はいいよな、ここは『故郷』なんだから!」

 氷室の咆哮。それは彼自身の恐怖の裏返しだった。だが、今の葵には、その言葉が鋭利な刃となって突き刺さった。


 夜、葵は一人で家を抜け出した。

 手元の『観測記録』を懐中電灯で照らしながら、記憶の断片を辿る。

 ノートには、葵が忘れていた「家族の肖像」が残酷なまでに詳細に描かれていた。

 優しい父親、美しい母親。そして、いつも自分の瞳を守ってくれていた、白いコートの優しい兄。

 だが、ページをめくるごとに、絵は狂気を帯びていく。

 父親の顔が砂に変わり、母親の身体が鏡の破片になり、そして兄だけが、葵の瞳をスプーンですくい上げようとする、悪魔のような姿に変わっていく過程。

「……これが、私の……本当の……?」

 その時、街の広場から、低い鐘の音が響いた。

 暗闇の中から現れたのは、白い修道服のような服に身を包んだ、銀髪の美少年だった。

 彼の瞳は、葵と同じ紫色の明滅を宿し、手には巨大な裁断用の鋏を握っていた。

「初めまして、お嬢様。……お兄様より、今夜の『晩餐会』の給仕を仰せつかったシオンと申します」

 シオンは優雅に一礼し、葵の足元にある影を鋏で切り裂いた。

「今夜は特別です。……ボードメンバーの皆様が、お嬢様の『覚醒』を楽しみにしておられます。……さあ、冷めないうちに、理想の家族を召し上がれ」

 街中の民家から、一斉に明かりが消えた。

 代わりに灯ったのは、街を囲む山々に配置された、何千もの蝋燭の光。

 その光が描くのは、葵の記憶にある「あの日の儀式」の幾何学模様だった。


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