第23話 見え始める全体像
夜霧市の広場は、狂気的な静寂と、むせ返るような死の香りに満ちていた。
中央に据えられた長テーブルには、豪華な銀食器と、湯気を立てる肉料理が並んでいる。だが、葵の剥き出しの瞳には、それがすべて黒いヘドロと、腐敗した「記憶の残滓」にしか視えなかった。
「さあ、お嬢様。……皆様、お待ちかねですよ」
銀髪の少年・シオンが、葵の肩に冷たい手を置いた。
隣の席には、拘束された氷室蓮が座らされていた。彼の右腕の黒い結晶はテーブルの端を侵食し、彼の瞳はもはや葵を認識できず、ただ虚空の一点を見つめて痙攣している。
「氷室さん! ……氷室さん!!」
「無駄ですよ。彼は今、この街の住民たちと同じ、至高のネットワークの『中継器』になられたのです。……彼は今、永遠の幸せを視ている」
シオンが優雅にフォークを口に運んだ。彼が食べたのは、一人の老人がかつて抱いていた『孫の笑顔』の記憶だった。それを食することで、彼らは世界の崩壊という恐怖から目を背け、ボードメンバーが提供する偽りの安楽へと同化していく。
「――ふざけるな、このオカルト野郎どもが!」
不意に、夜空を切り裂いて無数のドローンが乱入した。
遠野圭だ。彼は街の電波障害を強引に突破し、閃光弾を広場の中央で炸裂させた。
「葵ちゃん、今だ! 走れ!」
強烈な光と、住民たちの多幸感ネットワークが遮断されたことによる地獄のような絶叫。
葵は氷室の手を取ろうとした。だが、その瞬間。
氷室の右腕が、葵の意志とは無関係に膨れ上がり,助けに来た遠野のドローンを、そして遠野自身が潜伏していた廃ビルを一撃で粉砕した。
「……氷室,さん……?」
氷室は、葵を庇うようにして立ちはだかった。だが、その背中は守護者のそれではなく、主人の許可なく近づくものをすべて排除する、狂った猟犬の姿勢だった。
彼は言葉を失い、ただ葵を自分の腕の檻の中に閉じ込めようとしていた。
「素晴らしい……。愛とは、最も効率的で、最も残酷な『所有』の形ですね」
シオンが、爆風の中で髪一つ乱さず拍手した。
彼は手に持った巨大な鋏を、空中に向かって一閃した。
パチン、という現実が切れるような音が響き、遠野が放った全ての近代兵器が、一瞬にしてただのザラザラとした砂へと変わった。
「……遠野さん! 逃げて!」
葵の絶叫。遠野は瓦礫の中で血を流しながら、それでもタブレットを操作しようとしていたが、シオンの鋏が彼の「影」を切り取った瞬間、彼は完全に動けなくなった。
広場の中央、地面が音もなく陥没を始めた。
それは巨大な「瞳」の形をした、底なしのクレーターだった。
空から降ってくるのは、雨ではなく、人々の思考を物理的な重みに変えた、紫色の電子の雪。
クレーターの底から、あの白いコートの青年の声が、街全体を震わせて響き渡った。
『……お帰り。……さあ、葵。……君がずっと視たがっていた、この世界の『正解』を視せてあげよう。……観測されることのない、完璧な絶望を』
クレーターから、巨大な「手」のような影が這い出し、葵を包み込もうとした。
物語の第二部は,最初の重要拠点の陥没と、バディの精神的な分断を以て、取り返しのつかない終末へと加速する。
葵の瞳から、一筋の血が、そして一筋の涙が溢れ落ちた。




