第11話 次への備え
「ふぅ……」
トーマはコックピットでヘルメットを脱いだ。
吐き出した息が熱い。
勝利の熱狂が身体を火照らせていた。
「良いレースだった」
勝った満足感が脳髄を満たしている。
今はもう何もいらないという感覚。
しかし、それはすぐに飢えに変わる。
「もっと走りたい」
ただ一瞬の喜びの次にはもう走りたいと心が叫んでいる。
ウェアクローズに乗っていながら風を感じて走る感覚を全身に浴びた。
質の悪い合法的な電子ドラッグのように脳内麻薬が飛び交っている。
その快楽に身をゆだねていると、スネルハイドが振り返るようにスカルフェイスの下へとやってきた。
通信ウィンドウが開く。
鋭い目をした男の顔が映し出される。
『私はヴァン・ヴィテス 。スネルハイドのパイロットだ。私を追い抜いたレーサーの顔が見たい。カメラをオンにしてもらえるか?』
「トーマ・ソウジロウだ。構わない」
名乗りながらカメラをオンした。
向こうにも見えるようにトーマはヘルメットを脱いだ。
ヴァンはトーマを見て驚いたようだった。
『若いな』
「悪いか?」
『いいや。若者が育っているのは良いことだ。誇ってくれ。この私を君は超えたのだ』
「あんたも良い走りだった。あんたが強くなければこうはならなかったと思う」
『そうか。私は私の速さに敗れたか』
「トネールソクト社のレーサーとして最速って奴を守りたかったんだろ。それがあの一瞬、躊躇いを消した」
『ふ、その通りだ。あの時私は逸ってしまった。スケジュールを捨てた挙句がこれだ』
そうヴァンは自嘲するが、その顔は惑星の空のように晴れやかだった。
『感謝する。おかげで私はまだまだ速くなれそうだ』
「いつでも最速を取り返しに来てもらっていいぞ」
『無論だが、君のように台本を無視する者の末路は知っているだろう。消えてくれるなよ』
「あんたも台本通りに負けたりとかするなよ」
『トネールソクト社は良い会社だ。私を負けさせはせんよ。最速の機体で最速を証明し続ける。それが私の人生だ』
「羨ましい会社だ」
『ならばうちに来るかね?』
「悪いな。自由にやらせてもらってるんだ」
『羨ましい限りだ』
通信ウィンドウの向こうでヴァンが右下を見て目を細めた。
別の通信か命令でも入ったようだ。
『悪いがそろそろ行かねばならん。次は私が勝つ。さらばだ、トーマ・ソウジロウ。また会おう』
「次も俺が勝つよ」
すっとスネルハイドが手を差し出した。
握手だ。拒むことはない。
スカルフェイスが差し出された手をゆっくりと掴んだ。
『なんということ。なんということ、なんということだぁ! 大番狂わせここに極まる!』
『これはすごいですよ。企業の人たちは大変ですね、これは』
『んふふふ、我々としてはかなり楽しめましたけれどねぇ! 今宵のレースの勝者はスカルフェイスだ! 何が決めてだったんでしょうかパチオンEXさん!』
『そうですね。やはり装甲を削ったフレームでしょうね。あれわざとだったんですね。空気抵抗を失くすために風通しを良くするっていう』
『わかっていてもよくやりますよねぇ! んふふふ、一発でも当たればおだぶつだというのに』
『オモシロイですねぇ。百年、生きてますけど初めて見ましたよ』
『んふふふ、私もです。次は何をやらかしてくれるのか! 今後の動向が楽しみですね!』
『まあ、大企業に目をつけられたりしなければですけどねぇ』
『では、今回のレースも実況はお喋り大好きネモタリーリヴと』
『解説そこそこのパチオンEX』
『の二人でお送りいたしましたー! ではまた次回のレースでお会いしましょう!』
実況解説通信が終了とともに浮遊するスタジアムが成層圏を脱出し惑星を去っていくのを見るとレースの終わりを強く感じる。
レーサーたちからの何とも言えない視線を感じながらもコンテナ格納庫に戻る。
所定の位置で固定されるとコンテナ格納庫が変形し、シリウス号へと帰るために惑星離脱シーケンスを開始した。
「終わったな」
栄養ブロックで補給をしていると通信ウィンドウが開く。
今度はユリアだ。
『何を言っているのかしら。始まったばかりよ』
「聞いてたのか。そうだな。とりあえず、これで破産は回避か?」
『なんとかね。足りなくなりそうなら傭兵協会から仕事をもらいましょう。超大型船優遇制を使えば資源惑星からの採掘も格安でできるしね』
「それも俺が?」
『当然』
「やれやれ」
走る以外の仕事も多そうだと天を仰ぐ。
走りたいがためにレーサーになったというのに走り続けるためにはレーサー以外の仕事もしないといけないのには辟易とする。
ただ、それは普通のことだ。
レーサーは、トーマのように走ることだけに専念するものではない。
新商品の開発のテストパイロットを務め、武装に習熟し、レースプランを実行できるように訓練する。
それがレーサーだ。
誰も速さにはこだわらない。
例外はつい先ほどの推進器を開発する企業くらいのものだ。
彼らは速さにこだわることが仕事なのである。
そこに思い至って、このレースに出た理由を思いついた。
「ああ、そうだ。このレースに出た理由だが」
『資金のためよ? それが何?』
「このレースが、推進系のお披露目会でもあったからだろ」
推進系のレースは火力よりも速度や回避性能を見る。
だから速く走れる機体なら注目されやすい。
そんなことを語ってやるとウィンドウの向こうでユリアが全てを見下ろすように笑った。
『相手の得意分野を正面から潰すのって楽しいでしょ?』
「最高だよ、雇い主様」
『さあ、帰ったら祝勝パーティーよ。妹ちゃんたちも嬉しがるわ』
「楽しみにしておくよ」
通信を切って背もたれに寄りかかる。
惑星を脱出し、安定軌道にいるシリウス号に合流するまで数十分は暇だ。
トーマは目を閉じて先ほどのレースを思い浮かべる。
中空でシャドウのように操縦桿とフットペダルの動きを再現していく。
まだまだ足りないと想像の中を駆け始めた。
それは前世での癖だ。
走ることのできなかった自分が走るための逃避だった。
心の中でどこまでも走っていく。
けれど本質的には満足できない。
求めるものはやはり現実で走ること。
今は違う。
逃避ではなく、これは努力に変わった。
コンマ数秒を縮めるためのイメージトレーニングだ。
シリウス号に到着するまで何十回とトーマはレースを走った。
●
銀河帝国の中央銀河に本社を置くユニバーサル・フレーム社の主任技術者は、ふととあるレース動画が目についた。
異形の機体がレースをめちゃくちゃにしたというもの。
実際、その通りだ。
一目見て、どのようなレースプランが作られていたかは把握できた。
しかし、それをたった一機のウェアクローズが破壊したのだ。
おかげで市場は大混乱と言った具合だ。
サザンカ・インダストリアルという会社について問い合わせやクレームなどが殺到している。
しかし、サザンカ・インダストリアルがどのような会社なのかは誰一人としてわかっていなかった。
本拠地すらも不明。業績もなければ、どこかと提携している様子も何もない。
ユニバーサル・フレーム社のウェアクローズを削って削って作り出したという代物は、主任技術者から見ればお粗末も良い所だ。
よくもあのような欠陥品を衆目にさらしたものであると呆れもする。
しかし、加速性能、より正確に言うならばエネルギーコアの出力には目を見張るものがあった。
現在のエネルギーコアの出力からは考えられない数値が検出されている。
約二倍、いやそれ以上だ。
「いくらチューンしたところでこうはならない。何か新理論が使われている?」
ふと手元に目を落とすといくらかのデータ書籍群がテーブルコンソール上に広がる。
物理的実体を伴っているわけではない。
それは彼の視界にのみ存在している実在しない書籍群だ。
AIが彼にとって必要となるであろう宇宙中のウェアクローズに関する論文をまとめたものだ。
ほとんどが長生きした銀河博士号を取得した教授らの論文であるが、今、彼の目に入ったものは違った。
十数年前に提出された銀河帝国大学工学部の学生論文だ。
「ダブルコア理論に関する研究論文……著者はヒェミィ・レルネンか。聞かない名だ」
これが表示されているということは、先ほどの映像に映ったウェアクローズにその理論が使用されているとAIは解析したということだ。
「エネルギーコアを二つリンクさせることで相乗効果を発揮、大幅に出力を向上させる」
要約された内容をウィンドウに表示しながらコーヒーを啜る。
なるほど、出力の高さに関してはこれで説明がつくが。
「だが、これは棄却されている」
卒業論文として提出されたものであるが、現在もダブルコアがウェアクローズに組み込まれていないことからこの理論が実際にはものにならなかったことを示す。
理論上は可能であるが、現実には不可能だったというのが結論だ。
何より帝国標準規格から外れている。
そんなことは上が認めない。
一応、研究課程でコアシステムの改良理論が出来上がったため、学生はなんとか卒業できたということらしい。
ただ卒業後苦労したとも。
「いらない情報だ」
最後の方は無駄な情報だとAIに削除を命じる。
論文著者のその後など必要ない。
情報が整理されて再びウィンドウが表示される。
「もしもこの学生が関わっていたとして……やる意義はあるか?」
技術が進歩し、できるようになったとしたならばそれはこの業界の、いや世界の常識をひっくり返すだろう。
そうなればどうなるか。
口元を手で覆ってしばし思案し首を横に振る。
「いいや、ありえないな。帝国が黙っていない」
主任技術者は良く知っている。
帝国の背後に巣食う巨大な老人たちがどれほど規格から外れ分裂していくことを恐れているかを。
例え有用な新理論が出て来ようとも、あの老人たちが赦すはずがない。
だから、彼らもまた目をいずれどこかで潰される。
ユニバーサル・フレーム社を揺るがすことはない。
世界は変わらない。
そう結論付ける。
そもそもダブルコアを搭載した機体があのような無様なものでしかないのならば、大きな火種になることもないだろう。
勝手に消えていくだけだ。
燃え盛ることはない。
主任技術者は手を振ってすべてのウィンドウを閉じて深々と背もたれを倒してコーヒーを啜る。
すっかり冷めてしまった。
飾り気のない天井を見上げると視界には、刻一刻と聞きたくもないポップアップ音とともに業務報告が山のように積み上がっていく。
辺境未開拓地における新資源探索の進捗報告やら、ウェアクローズの生産ラインに関する問い合わせ、営業部からの新商品の催促。
最近は現場に降りることもなくなって、こういう書類管理ばかりをするようになってしまった。
「はぁ。昇進するものではないな」
そう呟きながらふと先ほどの映像をもう一度だけ見る。
「無様だ。しかし、羨ましくはあるか」
自由に新しいものを作る。
恐れ知らずにやりたいことをやる。
それは技術屋ならば誰もが憧れることだ。
主任技術者は左手薬指のリングに指を這わせる。
「さて、仕事だ」
映像と関連資料を全てダストボックスに投げ込み頭から追い出す。
主任技術者は仕事に取り掛かり、二度とあの映像を顧みることはなかった。




