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47:腹を割って話そう


「来たわよ、モーリス・ラゲール」


寝室に通されるや否やヒルデガルドはまっすぐにベッドへと向かった。

どう見たってその顔は険しいものだっただろうに、出迎えた彼は嬉しそうに両手を広げて出迎えていた。

勿論そのまま胸に飛び込む訳もなく立ち止まると腕を組んで相手を睥睨する。

きょとりと眼を瞬かせた彼はすっと音もなく腕を下ろした。


「おはようヒルデガルド」

「おはようモーリス・ラゲール」

「…」


何故かもう一度モーリスが腕を広げた。

ヒルデガルドが首を横に振るが、少しだけ顔の険しさが和らいでしまう。

しっかりしなければと敢えて分かりやすい溜息を吐く。


「私が手紙で伝えたかった事は、伝わったのかしら?」

「その上で書いたつもりだけど?寧ろ僕の手紙が伝わらなかった?」

「つ…つた…」


思い出して顔から火が出そうになった。


先日、モーリスからの返事を開いてヒルデガルドはもうボロクソに泣いた。

安堵が虚勢を全て薙ぎ払い、その張り詰めた背筋の糸を切り落とされたかのように身体が弛緩して机から動けなくなった。


良かった、嬉しい、私も好き、好き、一緒に居たい。


しゃくりあげた呼吸で酸素が充分に行き届かない頭が感情で溢れ返りそうになった。

胸から止めどなく湧き出ては全身を甘く支配する想いに溺れ、今此処に彼が居ない事を惜しんだ。


寂しい、好き、会いたい、抱き着きたい、好き。


唇を重ねながら耽溺していた高揚感とはまた違う、荒れ狂うも逆らう気も起きず身を任せたくなる不可思議な心地に堪らなくなって何度も手紙にキスをした。

お陰で彼からの初めての手紙はしわくちゃで、今は重しを乗せて伸ばしている。


それだけ嬉しかったと伝えるのも大事な事だろう。

だが、今はその時じゃない。


「それ、は…後で話すとして……貴方、本当にこのままで良いの?」


ヒルデガルドは泣き疲れて目覚めた後、如何に己が恋愛バカになっていたのか気付いたのだ。

モーリスの事を自覚している以上に好きだった事にも驚きだが、論点は、自分の確執はそこじゃない。


夜に、何度も手紙を書き直させ、縋るのを許さぬと御した感情は向き合ってもらえたのだろうか。


再び舞い上がって同じことを繰り返すのではと怖くなってしまった。

現に、彼がこんなにも言葉と想いを詰め込んで認めてくれた手紙を見ても、不安になっている。

手紙を信じたいのに、信じるべきだと思うのに、結局こうして勝手におろついて見栄を張る。

彼が嫌いなものを知らないのに、彼も嫌いだと思い込んで自分の甘さを嫌悪した。


「私は…人の誠意を踏みにじる、思いやりの無い女よ」


モーリスは穏やかな水色の瞳をゆっくりと瞬かせ、少しだけ困ったように笑うとベッドを叩いた。

「座って」と静かに掛けられた言葉に、躊躇いがちな動きでヒルデガルドが淵に腰を下ろす。


手を伸ばしてやっと、向けた背中に流れる柘榴色の髪へ手が届く程の距離を開け、顔を見せない女をどう彼は思っているのだろうか。

振り返るのを怖がるヒルデガルドをモーリスは責めなかった。

ただ、するすると指先で髪を徒に撫で梳かれては、ぱらぱらと制服に落ちる音がする。


「当たり前なんだろうけれど、キミにも自身で嫌いな面があるんだね」

「…でしょうよ…モーリスにだって、あるでしょう?」

「ここ最近は特に多いよ」


ふ、と苦笑が背後で零れたと思えばベッドの揺れが端まで響く。

髪に落とされた短いリップ音に、触れられてもいない背筋が泡立った。


「良かれと思ってした事が考え足らずだったせいで、好きな人を傷つけた。

 なのに未だに謝れていないし」

「…それは」

「こんなだから、『卒業を待とう、キミの邪魔をしたくない』なんて建前を言い連ねて自衛に走る」


モーリスの手が髪から離れた感覚に、胸が苦しくて堪らなくなった。

離さないで、触れていて。


何を言おうとしたのか自分でも分からず、喘ぐように口を戦慄かせヒルデガルドが振り返った。

その視線の先、再び伸ばした指先からするりと柘榴色の髪を取り逃した彼と目が合う。

見開かれた水色の瞳が、くしゃりと悲しみに歪んだ。


衝動は身を寄せたがった。

理性は拒絶を恐れた。


拮抗するそれに、互いが言葉を無くしてただ見つめ合った。


「キミはキミで、僕は僕で、嫌いで情けない面がたくさんあるよ。

 きっとそれぞれが知らないものも、これから見えるだろう」

「だけど私は」

「『私は?』」


冷えたシーツの上を指先が泳ぎ、そっと落とされている彼の手に当たる。

口づけよりも僅かな接触であるのに、溢れる愛おしさに眩暈がする。


「…貴方が、それでも愛しい」


あの日は指先だけ触れて、ヒルデガルドが押し返し、離れた。

今は、互いの出方を窺うように時に止まり、蠢き、性急さを隠せず荒く、恥じては静かに、指を絡めて離れないように強く握り合う。

享受し溶け合う体温に、掌に、改めてこの人を愛しいと思った。


「キミ自身が許せない部分も、愛せない部分も…僕に愛させてヒルデガルド」

「貴方になら希われるのを受け入れてしまうの、だめね」

「なら毎日会いに来てくれる?」

「懲りない人」


気が付けば腰に当てられた手に促されるまま身を捩らせ、ベッドの沈みが一つになる。


「ん…左手、痛めないように、僕の肩に腕ごとかけて」

「っモーリス、あんま身を乗り出すと、足」

「はっ、無理」


なし崩しで始まったキスの応報を、待っていたとばかりに上体を傾けるモーリスを窘めるも止まらない。

片手しか使えないヒルデガルドと違って、相手は唇を重ねたまま両腕で抱き込んだり、片手で後頭部や髪を撫でたりと随分好き勝手に動いていた。



「希望は伝えていた筈だよ、手紙で」

「限度ってもんがあるでしょうよ…!」


前回も相当浮かれてキスをしていたが、今回はその比じゃなかった。

ヒルデガルドが先に音を上げモーリスをクッションの中に押し返すも嬉しそうに抱き締められてしまった。


もうなるようになれとやけくそしてたら執事さんがノックする音で跳ね起き、その瞬間左手を突き激痛でモーリスの上に再び倒れ込んだ。

お陰で二人してベッドの上で昼食を頂いている。

恥ずかしくて執事さんの顔が見れなかった。

他人様の!ご子息と!いちゃいちゃしているのを!見せてごめんなさい!!


「それよりもヒルデガルド、セシーが来る前に左手診てもらおう」

「平気よ。別に捻挫とか筋を痛めている訳じゃないんだから」


用意してくれてある食事もヒルデガルドが片手で食べやすいようにパンすら一口大にしてくれてある。

流石侯爵家である、もてなしが手厚い。


「モーリスこそ痛みとか、大丈夫なの?」


ヒルデガルドが押し戻したりなんだりしたが彼は絶対安静である。

多少の痛みはあまり顔に出さなそうだな、と眺めていたら彼はにこにこと頷いてみせた。


「ありがとう大丈夫、全然気にならなかった」

「…安静に、出来ないのなら、暫く、来ない」

「その話し方、キミのお兄さんにそっくりだね」


領地へ行った時に一体兄と何を話したのだろうか。

侯爵家のご子息にウチの兄がわざわざ何を念押しという脅しをしたのだろう。

思わず遠い目をしていたらモーリスが小首を傾げるも、ヒルデガルドは頭を振って口を濁した。


「セシルが来ている内に往診受けてなさいよ」

「…やっぱり、一人で?」

「私の不誠実が発端だもの、私だけで話すのが筋でしょう」

「……」

「待ってて」


モーリスは徐にヒルデガルドの髪を耳に掛け、普段はない耳飾りを指で玩んだ。

気付いていたんだ、と眼を瞬かせれば愛おしそうに見つめる顔が映る。


「何時買ったのか聞いても?」

「…魔導祭の翌日」

「思った以上に最近だった」

「何時頃だと思ったの?」

「いや…今聞くのは傷に良くない気がするから、後にするよ」


言葉を濁しながらも彼は揺れる水色の石を爪弾いては、ゆるゆると耳朶ごと持ち上げる。


「贈るものが全部同じ色になってしまいそうだ」

「ふ、偶には私の希望も聞いてね」

「勿論。好きなものをもっと教えて、ヒルデガルド」

「貴方もよ、モーリス」


ぽんぽんと彼の手を叩き、食事を促す。

セシルが来るまでに他にも話しておきたい事があるのだ。

これからの時間を思えば気は重いが、思考は幾分かすっきりしている。


やっぱり、この人は自分の原動力なのだなと改めて思った。



 冬の始まりはまだといえ、秋口にしては風が冷たい日だ。

見事な花が咲き誇る、日差しと温かみの満ちた温室を今日は使わせてもらう事となった。

時間になれば季節外れの鮮やかな色に負けない、華やかで愛らしい一輪がしずしずと現れる。


セシルはふんわりとしたシルエットの落ち着いた青紫のデイドレスを纏っていた。

チュールが重ねられたスカートの端々に、繊細な金色の刺繍が動くたびに浮かび上がるのが綺麗だ。

編みこみ、纏められた頭部には白いレースを重ねたベールを纏っており、その表情は見えない。


「今日はありがとう、セシル」

「僕はリースお兄さまに呼ばれた筈ですが」


ベールと同じレース刺繍の手袋をした指先をそっと頬に当て、小首を傾げて見せた。

声音からも分かる遺憾の意をものともせず、ヒルデガルドは嫣然と嗤う。


「そんな可愛い格好をして?モーリスをまだ篭絡するつもりなの?」

「お兄さまの為に服を選んだ事は一度もありません」

「貴方らしいわ」


淑やかに侍従が引いた椅子へ腰掛けるセシルの空気が、並べられた卓上を見て少し穏やかになる。

どれもこれも、恐らく彼が自身で楽しむために侯爵家に置いていたものであるが、好きなものに囲まれて心を緩めるくらいには気に入っているものなのだろう。

選んで良かったと胸を撫で下ろすヒルデガルドを盗み見ていたのだろう、悔しそうな声音が対面から漏れた。


「デイビア先輩こそまだ篭絡するつもりですか?そういうところですよ」

「もてなしを譲ってもらったのだから気持ちを尽くすのは当然ではなくて?」


さも主人のようにしているが、全て借りた威である。

侯爵家の御力様様である。

これが本当に女同士の戦いであれば「もう夫人気取りか」とでも罵られそうなものだが、セシルはただただ場にそぐわない長い、長い溜息を吐き出して姿勢を正すだけだった。


「…リースお兄さまだけでした、こうして僕の好きなものを許容して一緒に楽しんでくれるのは」


陶器の滑らかな心地を慈しむようにカップを撫で、静かに彼はそう零す。

少し季節を先取りした花が美しく彩られた茶器の脇には陶器のウサギが飛び出すホールのパイ。

置かれたスタンドにも愛らしい飾りと、色鮮やかなアイシングを装った菓子が並ぶ。

冬を思わせる純白のテーブルクロスの上は心が跳ねるくらい賑やかな野を思わせる。


「箱庭の外も、悪いものじゃないでしょ?」

「親衛隊の方々を指してます?」


ふ、とセシルが吐息を零す。

揺れたベールの下でどんな顔をしているのか、ヒルデガルドには分からない。


「鮮烈過ぎるんですよ、箱庭育ちにアナタは」

「当然ね、私を誰だと思っているのかしら?」

「僕の、愛しい、苛烈な人」


掠れ震えた声。

こくりと、彼の喉仏が蠢く。


「…っ自分の趣味も、性別も、惜しんだ事は、一度たりともありませんでした。

 生まれて初めて…惜しんだんですよ、もっと、早く…っ出逢えたらと」

「…幸福で平穏な人生に影を落とした箱庭の外は嫌い?」

「考えた事もない…!」

「良かった、貴方は強いのね」


欲せども願えども手に入らない、思う通りに行かない挫折を味わおうとも、彼は折れない。

その強さが、セシルの美しさを内面から輝かせているのだろうとしみじみ思う。


「ハッ!どの口が言ってるんですか。

 人の手から擦り抜けておいて…何故本気で振り払わなかったのか口を割らせますよ」

「なら二度と会わない」


そうヒルデガルドが間髪無く言い放てば、文句を言える立場なのにセシルは口を閉ざした。

それこそ、「どの口が!」と罵ってくれていいのに。

優しさに付けこまれるのを許容している自分に気付いているだろうに、それでも彼は肩を震わせて俯き黙ったまま。


「貴方の誠意を土足で穢してごめんなさい」

「言わないで」

「真っ直ぐに挑んでくれるのは嬉しかったし、心遣いは温かかった」

「黙って」

「貴方の為人を尊敬しているのに、軽んじた私自身を許せないのは当然」

「聞きたくない、黙ってください…!」


ガタンと椅子を構わず音を立てて立ち上がり、セシルが声を張る。

ベールから零れ落ちる涙がぱたたとテーブルに落ちては染みをつくる。


「アナタばかりがわたしの名前を呼んでっわたしは、一度も、許されないまま…!!

 嫌、嫌です、終わらせないで、終わらせないでよぉ…!」


懸命に少年らしさを求め、振る舞っていたセシルが、出会った頃のような口調で頭を振って駄々を捏ねる。

ヒルデガルドの眼にはあの談話室で泣き喚いた姿が重なって見えた。


「やだぁ…!やだあっ…!!なんで、なんで、こんなに…っやだーーー!!」


今度は怯まず、絆されず、唇を一度噛んで言葉を紡ぐ。


「貴方と一緒にはなれない、ごめんなさいセシル」


一層、言葉にならない嗚咽を上げて彼がその場に崩れ落ちる。

ベールごと両手で顔を覆い、スカートの皺も気に留めず床に座り込んで全身で泣いていた。


「う゛え゛ええッ…っあ゛ぁぁあっーーー!!」

「…相変わらず、どこからそんな声出すのよ」

「えええぇぇん゛っええぇぇぇーーーッ!あぁあ゛ーーーん゛っんん!う゛っう゛…!!!」


ここで手を伸ばしたら泣かせた意味が無い。

ヒルデガルドは眉間に大層深い皺を刻ませながらぐっと堪え、椅子から微動だにしない。

この居た堪れない時間が、自身への罰だと都合の良い言い訳をしながら口を閉ざし、じっと彼の慟哭に嬲られていた。


暫くして漸く声量を落としたセシルが手探りでナプキンを取ろうとするのを、そっと押し出して助ける。

片手でそれを力強く握り締め、彼はぐしゃぐしゃになったであろう顔に当て肩を何度も跳ねさせた。

どうやらまだ涙は止まらないらしい。


「…っは、初恋で…こんな、玩ばれた、なんて…トラウマぁ…!!!」

「ごめんなさい」

「魔王、魔王、まごう事無き魔王ぉ…!!」

「仰る通りです」

「なん…う゛~~~~~~っ!いつもの、尊大さ、消すんですかッ!!

 しおらしいのっずるぃぃ~~!!!か、かわいいーー!」

「それはちょっと良く分からないわ」


何かセシルまでモーリスみたいなポンコツ事を言い出した。

泣き喚く彼に動揺していた侍従も、すっかり落ち着いたのか何食わぬ顔で椅子を戻す。

緩慢な動きで座面に顔を埋めてまた暫く嗚咽を漏らして彼は泣いた。


「人のっ心が無い…!」

「失礼ね、と言いたいところだけどその通りね」

「ううっ!こんな、こんな可憐なわたしがッ泣いてるのに…放置、してぇ!」

「慰めは卒業したのでしょう?」

「さ、最後の策まで尽きたぁーーーーッ!!!」


この言い草である。

矢張りセシルは強かだった。


モーリスの手紙には、見舞いの翌朝に突撃をするくらいセシルは状況を分かっていたのだろうに。

それでも盤上を引っくり返そうと、本心かどうかはさておき、心積もりを抱いているのは流石というか。

下手したら自分以上に負けず嫌いで諦めが悪いんじゃないかとヒルデガルドは思いつつも、だからこそ嫌いにならなかったのだろうなと今更ながらに思う。


「さ、紅茶を淹れ直しましょう」

「………好きです」

「それは良かった」

「いや紅茶もですけど、ねぇ、真剣に聞くのも謝罪と誠意の内ですよ?」

「そういうのはモーリスの前でしか受け付けません」

「ひっどい人」


やっとセシルが笑い、香り高い温かな紅茶に口を付け息を吐き出す。

その様子を眼にしてヒルデガルドもそっと口元を緩めた。


モーリスの気分を害してしまうだろうけれども、彼の居ないところで他の男から甘んじて愛を囁かれるなどヒルデガルドはしたくなかった。

当然、立場が逆であれば嫌だからである。

ヒルデガルドだって、あの魔導祭明けの休日、彼の色を纏って見舞いに行った令嬢に対抗して水色の装飾品を買ってしまうくらいには嫉妬心や敵愾心があるのだ。



「――と、デイビア先輩が言いましたので!リースお兄さまは指を咥えて見てるが良いよ!」

「セシー、許さないよ」


モーリスの寝室でふんぞり返る弟分に、ベッドの主は真顔で首を振る。

当のヒルデガルドは断り文句八割だったのだがそこはセシルだった。

実に堂々としているものである。

あんな散々温室では泣き喚いていたのに。


「デイビア先輩、リースお兄さまの今後のお見舞いは休日だけ?放課後は?」

「セシー」

「それちょっと考え所なのよね…モーリス、どっちが良い?」

「毎日来て」

「リースお兄さま余裕なーい!ま、僕のように威嚇出来てないからその気持ちも分かるけど!」


魔導祭が終われば残るイベントと言えば卒業式であり、卒業プロムである。

主役となる三年生もそうだが、在学生もそれに合わせて根回しや声掛けを始めるのだ。


セシルは魔導祭でヒルデガルドの手を握り、一緒に観戦するなど隣にいる姿を見せつけた。

それは勿論、最後のイベントとして卒業生が控えるプロムを見越してのものだ。

他の学生に誘わせないようにちゃんと考えて行動していた。


しかし一方モーリスはと言えばそんな素振りを周りに見せてはいない。

だから彼の元にもちょくちょくと女生徒からの誘いの手紙が届いているのだが、それをヒルデガルドも本人も知らない。


「デイビア先輩採寸しました?これから僕の邸でします?」

「呼んであるから不要だよセシー」

「ちぇっ…アッでもでも!デザインはまだですよね?!一緒に選びますよ先輩!」

「セシー」

「だって仕立て屋を寝室に呼ぶ訳にはいかないじゃなーい。

 それとも一人でデイビア先輩に選ばせるの?女心分かってなーいお兄さまー」

「それは、僕らの、問題だから!」


流石にモーリスも衣装選びに思うところあったようで、珍しく声を荒げている。

贈られる側としてはもう気持ちだけで充分なのだが敢えて口にするほど野暮ではない。


セシルとの話し合いが終わればドレスの採寸をするのはヒルデガルドも昼食時に聞いていた。

その際、デザイン選びには立ち会えない事を詫びられ、惜しまれている。

とりあえず今日は気になるデザイン画をヒルデガルドが受け取り、仕立て屋には帰ってもらう。

後程モーリスと一緒に選んでから後日注文するような流れになっているのだ。


「はーっデイビア先輩のドレス、僕も選びたかった…デザイン画くらい良いじゃないですかぁ」


モーリスの頑なな様子を見てセシルは対象を切り替えたのか、隣に立つヒルデガルドに媚びた視線で抱き着く。


「やめてセシル」

「…」


ぴしゃりと叱られ、拒絶を示されたセシルは無言で腕を解き、一歩下がる。

真顔のヒルデガルドをベールを付けたままの彼がじっと見上げていたが、やがて根負けしその顔を逸らした。


いくら可愛い格好で、まるで女の後輩のように甘えて近づいてきても許せない距離がある。

そう態度で示された彼の手が強く握りこまれた。


「…先に許したのは、そっちの癖に」


ぽつりと俯いて、零された言葉に何も言えずヒルデガルドも押し黙る。

しかし視線は逸らさずに彼を見据え続けた。


「僕は毎日お見舞いに来ますからね!リースお兄さまっ!」


ぱっと大きくレースのベールを揺らし顔を上げ、弾むように明るい声でセシルはそう言うと、素早い身のこなしで踵を返し退室していった。

遠くなる足音を耳にしながら、ヒルデガルドはゆっくりと息を吐き出す。


「………」


視線を、黙って見ていた恋人に向ければ、彼は酷く顔を顰め唇を噛み締めていた。


分かっているだろうに。

ちゃんとセシルに、気持ちに添えないと断りを伝えた事も。

あのまま帰ったって当然のセシルが、わざわざモーリスの前でまでヒルデガルドに拒絶される姿を晒した理由も。


「モーリス」


ゆっくりとベッドに近づき、淵に腰掛ける。

嫉妬や怒りから、拒まれるのではと不安に思うヒルデガルドの姿にすら、彼が腹立てるのを彼女は気付かなかった。

ただ、より一層深くなる眉間の皺に青紫の瞳を揺らし、寂し気に顔を曇らせる。


「……なぐさめて」


そう、掠れた声を漏らしたモーリスが腕を広げる。

ヒルデガルドは靴を脱いでベッドの上を進み、彼が身体に乗せたクッションに腰を下ろした。


「重いのは我慢して」

「もっとこっち、身体、預けて」


彼は起こしていたヒルデガルドの上体を抱き寄せ、その重みも享受せんと背をクッションに埋めた。

空気の抜ける音の後、深く彼が吐き出す溜息。

力を込め直され抱き締める腕の力強さに、身体も、胸も、軋んだ。


ヒルデガルドの瞳に映るのは、柔らかく清潔なクッションと、彼の黒髪。

僅かに顔をずらして、唇を彼の肩に埋める。

自由な右手で撫で摩れるのは反対側の肩まで。

触れる度に、ぎゅうと背を撓らせる力が強くなった。


「…頭も撫でて」

「上体起こさせてよ」

「ん」


ヒルデガルドが乗っていようが、鍛えているのか、彼は反動も腕も使わず腹筋で身体を起こした。

素直に凄いな、と感じて眼を瞬かせる相手を、水色の瞳がゆるりと緩んで見つめる。

先程のように上体を起こし向かい合ったままヒルデガルドが両腕を広げる。


「おいで」

「…」


ぼふと音を立てて、思ったより勢いよく彼の頭が胸に飛び込んで来た。

流石のヒルデガルドも恥ずかしさで体温が上がる。

広げた両手が何度も躊躇いがちに彷徨う。


「も、モーリス…そこは、やめて」

「ふっ」


ぐっと更に腰を掻き抱かれ思わず身体がしなる。

モーリスがくつくつと、堪え切れないとばかりに喉で笑いながら何度も顔を左右に振る。


「最高に、気分が良い」


同じ、恋焦がれた人の唇から漏れた拒絶を意味する言葉なのに、含まれた意が全然違う。

早鐘を打つように脈動する心音をモーリスに聞かれながら、顔を赤くしたままヒルデガルドは何度も指先でそっとその柔らかな黒髪を玩び、地肌を撫でた。

そっと置いた左手の下で、薄いシャツ越しの彼の体温と、深く息を吸い込む度に膨らむ背中を感じては堪らない気持ちになる。

心音が落ち着いてもずっとそうして緩やかな時間を過ごした。


昼食時を覚えていたのか、採寸の準備が整ったと報せに来た執事さんは扉をノックするだけで寝室に入る事は無かった。

これまた恥ずかしくてヒルデガルドは顔から火が出るかと思った。



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