41:運命の一戦
正午を報せる鐘は鳴るが明確な昼食時間は設けられず試合は執り行われ続ける為、どうしても観戦できない試合が出てくるのは時間の都合上仕方が無い。
とは言え、誰もが挨拶周りやどうにか都合を調整し、必ずこれは見ようと息巻く勝負がある。
曲がりなりにも仕事で警備や運営補助をしに来ている部外者達でさえ、どうにか自分以外に仕事を任せて一部始終を楽しまんとする程なのは、毎年と謂えど些か問題だが。
学園の講師ですらその調子なので、一体誰が諫める事が出来るだろう。
特に今年は対峙する二人共に才気溢れ圧倒的な力量と戦略に富んだ試合を重ねている。
甲乙付け難いとは正にこの事かと高らかに笑いどちらが勝つかで賑わう一方で、舞台や障壁魔導具を維持する魔術師達は戦々恐々としていた。
正直なところ、背後の観客など放っておいて自分の身を護るのに全力を尽くしたい。
本日執り行われた様々な試合を振り返っても、今から舞台へ躍り出る二人は実力が桁違いだ。
学生の域を遥かに超えるばかりか、王宮魔導師の訓練や御前試合でも類を見ない。
密かに怯える王宮魔導師の中にはダンジョンでの活動も過去にした者も居るが、そこで目にした冒険者だってもっとまともな戦い方をしていたし、下手したら魔物の攻撃すらあの二人に比べれば大人しく思えてしまう程だった。
太陽は随分前に南中を過ぎ、空の青みが薄れ始めた頃――決勝戦を報せる鐘が学園に鳴り響く。
「そういえばセルは試合前にモーリスと何話してたの?」
今や空席を探すのが困難な出場者用観客席で、リリが隣のセルゲイに尋ねた。
過度の立ち見で臨時のこの席が壊れやしないか不安そうに見渡していた少年が問い掛けにぱちりと眼を瞬いては、すこしばかりバツが悪そうに言葉を濁す。
「いや…」
「ヒルディ関連?」
流石恋人だ、顔色を見ただけで検討を付けてみせた。
隠す程の事じゃないと断りを入れつつ、そっとセルゲイは口を開いた。
「『何で杖じゃなくて剣にしたんだ?それ、惚れた女に向けられんの?』って」
「ワォ、直球」
自分たちが勝手に吹き替えていた台詞の酷さを棚に上げ、リリが眼を輝かせて続きをせがむ。
そっと彼女の耳元で、希望通りセルゲイはその先を語った。
「『一番戦い慣れているのがこれだし、こんな鈍らじゃ彼女に刃すら届かない』」
「………ヒルディって人間よね?」
「リリは優しいなー俺は納得しちまったよ」
肩を竦め苦笑する彼を暫く見上げ、リリはそっと視線を舞台に向けた。
「実際、学園の実技で魔導を扱う時間なんて俺たちが地元でどんぱち遊んでた一年にも満たねぇよ」
「私も母方の実家でそこそこ遊んでいたけど、二人は経験値が段違いよねぇ」
「寧ろ何でそれをモーリスが把握してんのか謎だけど」
「セルが告げ口したとかじゃないの?」
「まさか」
一応、これでもセルゲイは幼馴染に肩入れしているつもりだ。
学園での実技授業で垣間見た実力や、自分の知らないところで二人が話していたとか、そんなところなんじゃないかと、彼はこの問題を早々に思考から押し出した。
「…でも良かったな」
「…うん……感慨深い」
一年の頃からずっと、見守って来た仲間が思い描き、切望していた舞台。
赤と黒が止めどない喝采の渦を物ともせず、悠々堂々とした歩みで進む。
各々、示し合わせた訳でもないのに髪色に似た衣装だからこそ対峙する姿が映えた。
遂に来た。
私は此処に来た、この為に勝ち上がって来た。
有象無象を殴り捨てて振り払い、今を得て、初めて『位置』に着いたと実感する。
堪らず口角が喜悦で歪み、己の瞳があの頃のようにバチバチと火花を燃やしているであろうと感じた。
隣に座っていたのに、壇上から在校生全てを見渡していたのに。
彼はきっとその眼に誰も映していなかったのではと時折思っていた。
しかし今、彼の水色の瞳に映るのは、ヒルデガルド唯一人。
凪いだ視線に明らかな意思を灯らせ、モーリスは無言で対峙している。
豪雨の如く鼓膜を叩く歓声とは裏腹に二人は口を閉ざし、呼気すら消し去る。
緊張すら心地良く、脈動が脳髄を揺らしては興奮を抑えよとあえかな理性を握り締めた。
「…双方、礼!」
余りの緊迫感からか審判の声が裏返る。
迸る戦意が産毛を逆立て、その切っ先を今か今かと待ち侘びる。
「構え………開始ッ!!」
火蓋は切られたものの双方微動だにしない。
睨み合い、見つめ合い、果たしてどの手で攻めてくるのかをその瞳から、些細な動きから察しようと全神経を研ぎ澄ませていた。
会場が水を打ったように静まる。
やっと動いたと思った瞬間、戦況が怒涛の流れで展開してゆく。
モーリスは珍しく導図ではなく発現速度が速い紋を用意していた。
取り出すとほぼ同時、指先一つで閃光を放つがそれをヒルデガルドが打ち抜いた紋が立ち上げる炎が光量で上回る。
片手でそのまま熱源を振り払うように剣から一閃が放たれ土煙が走る。
断ち切られた炎の先に人影はなく、浮遊魔導で横跳びをしたヒルデガルドが無数の火弾を放つ。
それを障壁と剣で凌ぎつつモーリスは距離をとり舞台を走るが、その後を未だ火弾が追尾する。
着弾を誘発させながら片手間に描いた浮遊魔導で彼も軽やかに宙へ逃げ、それを全て見事に避け切った。
加え、滞空中に関わらず腕を一振りし、一閃、さらにもう一閃を続けて奔らせた。
対してヒルデガルドは自らの足元に魔力を軽く打ち込みその軌道から必要最低限で逃げる。
長い柘榴色の髪があわや捉えられそうな程の際だったが、その分体勢を立て直すのが早かった。
得意な土の魔導をモーリスの着地寸前を狙い三方向から重ねて放つ。
彼はそれを障壁と剣技で凌ぐもやや押され、密かに紡いでいた斉唱が途切れた。
畳みかけんとヒルデガルドが杖を上げかけた瞬間、先程放たれた一閃の一つから氷の華が爆ぜた。
横っツラを爆風に押されバランスを崩しすのを見越していたのか、モーリスが土塊を打ち砕きその影から距離を詰めようと駆け込む。
研ぎ澄まされた一撃がヒルデガルドの障壁に突き刺さるも貫通は叶わない。
寧ろそれを待っていたと言わんばかりに彼女は嗤い、彼の死角で描いていた紋を打ち抜く。
先程の氷の華と同等の炎の華が二人の間に音を立てて咲き誇った。
一瞬視界を奪われた後、モーリスの眼前からヒルデガルドが消えように見えた。
彼は即座に体勢を低くし最大出力で魔力を込め後方に剣を振り抜いた。
先程の土塊を再構築した高台から、ヒルデガルドの切り札が放たれたのだ。
轟きがほぼ同時に、二度、辺りを震わせたのを把握出来た人間は多くない。
濛々と立ち昇る煙を見下ろしながら髪を靡かせ、彼女は密かに舌打ちをする。
あの衝撃でも斉唱を止めないモーリスは人間を止めているのではないかと、殊更思う。
下から無数に突き上がった氷柱に、視界を覆っていた土煙が強引に吹き飛ばされる。
ヒルデガルドはその衝撃を敢えて受けて更に高所へ上がりつつ、浮遊魔導を発動させ再び距離を取る。
合間に電撃を迸らせ四方の育ちつつあった氷竜を一つずつ打ち砕いた。
防衛に回った彼女の隙を、今度はモーリスが攻める。
足場の悪い氷原だろうとものともせず駆け抜け、はためくその裾目掛けて剣を突き出す。
途中で魔力を注ぐのを切り変えたであろうその刺突は今までの一閃より威力は無く、ひらりと避けたヒルデガルドの足元にあった氷柱を折る事も叶わない。
お返しとばかりに、鋭い風の刃が彼の進行方向にあった氷柱を数本切り落とす。
それをモーリスは足場にして横跳びし、詰めたはずの距離を再び戻されるに至る。
ふっと、互いが短く息を吐いた音がやっと聞こえる程の静寂。
追って落ちた氷柱が砕け散る轟音は、再び火蓋のように二人を突き動かす。
ヒルデガルドは紋を取り出し打ち抜けば氷柱よりも高い土柱を幾つも出現させた。
モーリスが即座に水の魔導でそれらを覆うが、内側より放たれた熱量が勝った。
膨大な量の水蒸気と共に土柱が爆散する。
その大きな破片は煌々と赤く光り、その灼熱で氷原を無残に汚してゆく。
上がる舞台の温度に、堪らずモーリスの顔が悔しそうに歪むのが見えた人はいない。
白けた視界は双方同じ。
互いの魔力が混じり合った舞台で微細な魔力と気配を追いかける。
モーリスは自らの周囲に旋風を巻き起こし、四方八方から向かってきていた氷の礫を払い除ける。
未だ視野の見通しが取れないが、あちらこちらで氷柱が破裂する音は確かに聞こえた。
すぐさま斉唱に切り替え放った魔導が光の筋となって天で勢いよく爆ぜた。
眩む眼を眇め、一点、黒い影目掛けて一閃を振り放つ。
途端、頬を掠める熱源に怖気がした。
あちらこちらで爆破するのは、自分が見渡せる上空に居ると思わせる誘い。
彼の上空への攻撃は一段と猶予があると見据えてのヒルデガルドの策だ。
魔力に満ちた靄に紛れるには己の魔導具をほぼ切り離す必要があった。
そうまでして、モーリスに近づく理由があった。
「捕まえた」
爛々と輝く青紫の瞳が、驚嘆に見開かれた水色の瞳を覗き込み、嗤う。
華奢な手が彼の剣を握りこみ、障壁で隔てた掌の灼熱で青白い刃をどろりと熔かしてしまう。
「っ!」
思わず空いた手で直接ヒルデガルドの腹部に魔力を打ち出す。
障壁の感触なく吹き飛ばされた身体に、更にモーリスの顔が焦燥に染まる。
「ヒルデガルド!」
咄嗟に彼は剣を離し腕を伸ばすも指先は届かない。
ほぼ無意識で足元に魔力を放ち、その身体を前へと突き動かした。
一方、ヒルデガルドは痛みの中でも障壁の再展開をしっかりとしていた。
掌から放っていた魔導の熱が今だ残り続け道中の氷柱や礫を払い除けるのに役立っていた。
だから問題は無かったのだ。
わざわざモーリスが、ヒルデガルドを抱き込み、その身を盾にせずとも。
「っ馬鹿!」
彼が手を伸ばして抱き込まんとしているのに気付いた瞬間、ヒルデガルドは障壁を解いた。
在ったままではモーリスは自分に触れられない。
ヒルデガルドもモーリスを引き寄せられない。
「っ!!!」
片手で飛び込んだ彼を引き寄せ、強く抱き込まれながらヒルデガルドは未だ燃え盛る掌を、二人の上へと崩れ落ちる氷柱に掲げた。
灼熱のせいか、無理に魔力を打ち出したからかは分からない。
腕に稲妻が落ちたような激痛が走るも、脳が振り払えと叫ぶまま腕を横凪ぎにした。
強かに身体を打ち付け、数度跳ねる間に氷柱の角や瓦礫で擦ったのであろう。
彼らの辿った後には赤い軌道が残った。
「―――は」
苦悶の表情で、短く息を吐いたのはどちらだったろうか。
それも分からぬ程互いの顔をひっつかみ、その眼が今だ自身を映す事に安堵し合う。
後にこの瞬間の気の緩みをヒルデガルドは激しく後悔する事になる。
「っに、してんのよ馬鹿!」
「ごめん、衝動的に」
「ほんとっ今っ試合ちゅ」
どばん、と何とも間抜けな音だった。
きっと前兆で氷が軋むあの特有の気配があった筈なのに、互いに夢中でそれどころじゃなかった。
普段は冷静で落ち着いているモーリスだって、試合中に余所見など許さないヒルデガルドだって。
今は腕の中に居る人の事しか、考えられなかったのだ。
「っ…ぐっ…!」
「モーリス!!!」
遅れて崩れた氷柱がモーリスの両足の上に倒れ込んだ衝撃で辺りが揺れる。
俯せのままヒルデガルドに縋り、痛みに悶える彼の表情は、撫で付けられたヒルデガルドの血も相俟ってより悲壮感を煽った。
焼け爛れた己の手の事を忘れ、彼女は浮遊魔導の紋を取り出し指先で魔力を注ぐ。
「今退かす、退かすから、大丈夫だから」
「っは…」
胸元に抱き寄せた彼の黒い髪を撫でる度、赤い欠片が付着するが、何度も何度も繰り返し宥めた。
走り回るのを止めたからかぶわりとそれぞれの肌に汗が浮かぶ。
例え、身体の近さが無かったとしても相手の香りを分からされる湿気った熱は、今は安堵を齎す。
「ほら、もう退かしたから大丈夫、モーリス、大丈夫だよ」
脂汗塗れの額を撫で、指先で地肌を撫でては艶のある黒髪を梳きつつ、ヒルデガルドは彼の身体を極力動かさないよう注意して救援信号を打ち上げた。
震える指先を誤魔化すように一度その頭を胸に掻き抱いては、努めて優しい言葉を繰り返す。
「先生も呼んだから、すぐ来るから…痛かったね、モーリス、大丈夫」
眼を閉じているモーリスの青白い頬を幾度となく撫で摩り、目尻に滲んだ涙を指先で拭った。
ところどころ互いに破けた服の合間からの出血は多くはないと思うが、足の痛みによるショックなのだろう、そのまま彼は救護員に運ばれている間も意識を取り戻さなかった。




