39:飛んで火に入る曇天の瞳
「僕の魔導祭の目標はデイビアさんと戦うことだったんだ」
舞台に上がって早々、サティがそんな事を言った。
ともすれば歓声に掻き消えそうな勢いの声だったが、まっすぐにヒルデガルドへは届いた。
眼を瞬かせる少女の様子に相手は苦笑を零し、礼をする。
「その程度しか目指さないなんて勿体ないわね」
顔を上げたサティにぶつけられた言葉。
太々しく嗤う相手に、唖然としていた彼を待たずに試合が始まった。
「ボケっとしてる間ぁなんか無いわよ!」
早々にヒルデガルドが十八番を描き杖で打ち抜く。
その速さは広く学生に知られているとは言え、実際に対峙し受ける側になると改めて慄く程だ。
「っ!」
慌ててサティは魔導具に魔力を全力で注いだ。
障壁魔導具、反射魔導具が共になんとか間に合うものの、足元から突き上がった土塊の表面を削るに留まる。
その勢いは轟音相応に凄まじく、彼の身体がおもちゃのように打ち上げられた。
再度サティが障壁魔導具に魔力を込める間に、眼下の赤い悪魔が気炎を上げ嗤うのが見えた。
「戦いたかったのでしょう?!」
呵々と声高に叫び、紋を打ち抜いて横嬲りの突風を起こす。
水や火といった一瞬流せばいい魔導とは違い、風はそのままうねり周囲を巻き込み、障壁ごとサティを吹き飛ばした。
舞台外へと押し出されていた軌道を無理やり捻じ曲げられ体勢が保てず、木の葉の様に空を舞う少年を見据えたままヒルデガルドは杖を振り抜き終わる前に空いた手で虚空に紋を描き始める。
そのポイントにサティの身体が差し掛かる直前、杖を向けて振り下ろした。
偶然、崩れた体勢で気付いたサティが慌てて杖から魔力を放ち衝突する。
地上へ叩きつけようとする激しい疾風と、急激な軌道変化に三半規管が揺らされたのだろう。
多少緩和したとはいえ勢いそのままに舞台を滑った彼は頭を押さえ、視線を上げられない。
開始直後に繰り出された無慈悲で一方的な猛攻はまさに「嬲る」の一言に尽きた。
思わず観客も声を控え、息を呑む。
それから一転、無防備なサティが顔を上げるまで魔王は何もしなかった。
「満足?サティ?」
彼の瞳に映るヒルデガルドとは一体どんな姿をしているのだろうか。
図書館で静かに勉学に勤しむ姿か?
休日にはしゃぐ、年相応の少女であろうか?
仄暗い月明かり注ぐ廊下で、思わず抱き締め縋りたくなるような人間に見えたのだろうか?
そんなものは全てサティの描く幻想だ。
現実を見ろ、お前の眼前で太々しく対峙する女はそんな夢想を蹴散らす程の劫火だ。
お気に入りの柘榴色の髪を手で払い豪奢に嗤ってみせれば、やっと彼の面持ちが変わった。
張り詰め、緊張でその手が震えているのが離れていても良く分かる。
対峙する事を目指すのは構わない、好きにすればいい。
だがそれを最終目標とする程度の気概なら此方は遠慮せず叩き落してくれよう。
超えようともせず、徒に抱いた夢を打ち砕くのに慈悲など不要。
「さぁ戦いましょうよ」
サティは歯を食いしばり障壁魔導具を展開し、放つ。
真っ直ぐに飛んでくるそれをヒルデガルドは斜に構え紋を打ち抜きつつ謳い始める。
轟く火柱が障壁を纏めて焼き尽くし、サティへと迫る。
彼は自分の障壁では流しきれないと判断し即座に横に走り、何とかそれを凌ぐと同時に紋を打ち抜き阻害の魔導を佇む少女へ放った。
が、ヒルデガルドは意外にも紋を発動させていなかった。
阻害魔導が衝突する瞬間、己の魔導具へ流す魔力だけを切った。
その間も唇は微かに動き脳裏には細やかな導図の旋律が魔力により描かれ焼き付けられていた。
自身でも良く魔導具に注いでいた魔力だけを抑えられたと思う。
意識がキリキリと細くなり、堪らずヒルデガルドの顔が歪む。
しかし相手はそれに気を取られる余裕すらないのだろう。
「くっ…うっ!」
サティが珠のような汗を滴らせながら、再度障壁魔導具に魔力を込め飛ばそうとするのが手に取る様に分かる。
過度の緊張と一撃ずつが非常に重い攻撃に彼の魔力は随分と削られていた。
それでも、こんな時にまで攻め手を変えず機を読めない弱気さは彼らしい。
だがその性質は戦いには向かないのだ。
彼女の唇が最後の旋律に魔力を乗せ終えると同時に大地が火を噴き割れ、赤い岩石が破裂した。
サティの放った障壁は悉く熱に焼き切られ、彼の身体は講師が放った障壁によってなんとか守られたものの、その熱風に煽られ吹き飛ばされ場外に転げ落ちる。
熱波は観覧席を隔てる障壁を轟きと共に激しく揺らし、出場者用観戦席で空席が吹き飛び悲鳴が上がる。
王宮魔導師の癖に転げている奴は減給ものだろうに。
辺り一面を吹き飛ばす、遠慮もクソもない一撃だった。
轟々と燃える地獄のような舞台の上、下から吹き上げる風に柘榴色の髪が揺れる。
ちりちりと肌を刺す熱気のせいか、ぶっつけ本番で成し遂げた己の才能への興奮か、ヒルデガルドの体温は上がったまま下がる気配はなかった。
擦り切れた脳に酸素を送らんと大きく胸が上下する。
息苦しさと喉の渇きが酷く、魔力も今日一で削られた感覚を伝う汗で実感する。
それでもヒルデガルドは嫣然と舞台の上で一人嗤って見せた。
「目標達成祝いよ、感謝なさい」
火消しに回る講師達が憤怒の表情をしているのを申し訳なくも思うが、余計な魔力を使う気にもなれない。
儀礼的に頭を下げるに留め、ヒルデガルドは赤褐色のテールコートを翻し舞台から降りた。
当然のように舞台整備のために一時休憩が挟まる告知が流れる。
その中で戻る彼女の背を見送る拍手は、今までで一番少ない。
冷ややかな観客の視線も甘んじて受けた。
過剰火力で嬲り、己の能力を一方的に叩きつけただけの試合で、行儀がいいとは言えない行いだとヒルデガルド本人も思う。
極めつけは「目標達成祝い」の一言だ。
この試合を「戦い」とサティが思うのかどうかは知らないが、少なくともヒルデガルドは思わない。
自然と割れる人の波へ目も向けず歩く視線の先には、意外にもセシルの姿があった。
「あんな大技、何で僕の時に使わなかったんですかぁ?」
「そんな余裕無かったわよ」
モーリスは切り札として斉唱をしたが、ヒルデガルドはそれを試す余裕があったから使った。
その違いを分かっているだろうにセシルは敢えて言葉にして、誰ともなく、分からせた。
「じゃあいいですよっ!ハンカチ要ります?」
「控室戻るからいい」
「そーですか」
横を歩いていたセシルが歩みを止め手を振り見送るもヒルデガルドは立ち止まらず、黙々と充てられた控室へと向かい、入った瞬間に目についたソファーのクッションを壁に投げつけた。
「……胸糞悪い」
そう吐き捨て、回復薬を一気に飲み干しては結い上げた髪を解き、頭を振った。
夢想され甘んじられた事も、眼前に対峙しても猶戦意が見えなかった瞳も。
彼が努力していると思っていつつも、覚悟が温いと叩き切る己の傲慢さも。
腹が立つ、気分が悪い。
あんな戦いは魔導祭に相応しくない。
なのに止められなかった自分の未熟さが度し難い。
「…はぁーーーーー」
どさりとソファーに腰を下ろし脱力しては何ともなしに天井を仰ぐ。
投げ出した身体全体が脈打つのは、回復薬を飲んだからだと思いたい。
今、遣る瀬無さも、怒気も全て口から吐き出した。
(もうない、もうない、私の中には微塵も残らなーい)
自己暗示を繰り返し眼を閉じる。
また一筋、冷えた汗が輪郭から首筋へと流れ落ちた。
その肌心地の悪さにタオルを取ろうと身体を起こした時、丁度扉を叩く音がした。
「ヒルディー?ここー?」
「はぁーい、ここぉー」
掛けられた声に応えればすかさず扉が開き、リリとセルゲイが顔を出す。
「お疲れ様っ!ヒルディの試合は派手さが段違いだよねぇ」
「マジでお前まで斉唱やるとは思わなかった…人間止めた?」
「自分の才能が怖い」
笑いながら隣にリリが腰掛けられるようヒルデガルドが身体を動かす。
セルゲイは備え付けの水差しから三人分をグラスに注ぎ、卓上に並べ始めた。
「つかあの速度で魔導出すのまではやり過ぎじゃね?モーリスに情報与え過ぎ」
「…そっち?」
てっきりサティに対して一方的な試合になった事を指摘されるかと思っていた。
眼を瞬かせる幼馴染の気の抜けた表情を、セルゲイが喉を鳴らして笑う。
「そっちも何も、お前の最終的な目標はモーリスに完全勝利だろ」
「まぁ彼もセルのお陰でだーいぶ手の内見せてくれてたけどね!」
「アレ以上の手があるとか考えたくねー…」
「即興性はヒルディもモーリスも良い勝負だし」
「………」
唖然とするヒルデガルドを放ったまま、ぽんぽんと軽やかに二人が言葉を紡ぐ。
「救護室で話した騎士とかが『実際どっちが勝ちそうなんだ?』ってめっちゃ俺に聞いて来たし」
「あーね、そりゃ外部の人は今日が初見だもの、学生に聞くよね評判」
「学生だってどっちが勝つか分かれるだろーよ」
「派手さなら断然ヒルディなんだけどなぁ」
「俺はヒルディに賭けたからな、そこんところ頼んだぞ」
「馬鹿じゃないの」
思わず声に出して幼馴染に突っ込みを入れれば、彼は普段通りにカラリと笑って肩を揺らした。
「打ち上げ代を稼いでおこうとしただけだろ」
「じゃあ私はモーリスに賭けておこうかな」
「何でよリリ!リリこそ私に賭けてよ!」
「堅実な私を讃える場面ではなくて?」
「ヤダーー!リリが私を捨てたー!」
堪らず抱き着けば軽く背を叩き、リリが宥めてくれる。
慣れた香りは思った以上に心を穏やかにさせた。
「…ヒルディかっこよかったよ」
「おーおー、まさに魔王だった」
茶化すセルゲイを半目で睨みつつ更にリリとの抱擁を深めた。
「うかうかほよほよ目の前に躍り出たサティが迂闊なのよ」
「だな、ヒルディがそんな生半可な生き物じゃねーって分からないヤツは危機感が無い」
「人を何だと…」
「無節操火炎槍」
「踏めば即発魔王」
「……」
とりあえずどちらも人では無いな、とヒルデガルドの表情が抜け落ちる頃には汗は引いていた。
消費した装備や軽く身支度を整え髪を結い直し、遅れて試合後の手続きをしに行ったが「結果なんぞ既に知っている」と辟易とした表情で担当者に返されたのは心外であった。




