32:彼女は月ではなく
「『――そう、僕は負けられないのだ…彼女の隣に立つ権利を得たいが為に』ってか!
く~~ぅっ!面白くなってきたと思わない!?ヒルディの好敵手のラゲール君だからこその台詞ね!」
「何その妄想独白、やめてよ」
ニヤニヤとしているリリを楽しそうに見ていたセルゲイが、穏やかな眼をヒルデガルドに向ける。
「ヒルディは勝手にライバル立てて一人で盛り上がれるけど向こうはそうじゃなかったんだろ。
実際一度もモーリスは負けてないんだし、気を抜くとか考えそうもないくらい真面目だし」
セルゲイの言葉をヒルデガルドも否定する気はない。
例え、追随し実力が拮抗する者が居なくとも彼は真面目に試験へ取り組む性格だろう。
誰かに勝とうとか思って試験を受けた事すらなさそうだし、だからこそ「全力で挑むよ」と宣誓された事がヒルデガルドは殊更に嬉しかったのだ。
らしくない事を彼に強いている気も確かにあったから、余計に。
「向こうさんは向こうさんで気持ちを高める理由が出来たんなら、お前も気兼ね無くやれんな」
「セルのそういう考え方、ほんと心強いわ」
細かい事は良い、前向きに行こうぜ!と笑う幼馴染の陽気さに感心する。
彼は彼で「お前の影響もあるけどなー」と軽く答えながらお茶を啜っていた。
「にしてもプロムのエスコートを申し出てくるか~…いやぁ急に策士だな」
「まぁ、付き合ってと告白するよりは断然勝ち目がある勝負よね」
「解られてるなヒルディ」
「…どうだか」
肩を竦めて最後の一欠片を口に放り込み、咀嚼して返答を誤魔化す。
件の私闘騒ぎの際に、恋愛よりも勉学を優先する姿勢をセシルもモーリスも示していたのはヒルデガルドも記憶しているし、自身がそれに同調していたのを向こうが覚えていたのかもしれない。
現場にいたセルゲイもそれを思い起こしているのか、しみじみと頷いている。
だが直接モーリスに対峙したヒルデガルドはそうは思っていなかった。
(プロムのエスコートに立候補したい気持ちは告げられても、勝負の勝敗に関わらず確約ではないし、その間気持ちを口にしないとはモーリスも言っていないのよね…)
さしてモーリスの行動が変わるか、と聞かれれば「分からない」としか答えようがない。
ヒルデガルドとしては未来の話よりも現状の、あの、何ともむず痒くなる態度を抑えて欲しいのだが。
釈然としない気持ちを飲み込むようにお茶で喉を潤しては一息つくと、一足先に食事を終えていたリリが小首を傾げた。
「嬉しくなさそうね、プロム楽しみじゃないの?」
「それは私が在学中一度も奴に勝てないという意味かしら?」
「勝ったらご破算か?!流石ヒルディ!厳しいな!」
ゲラゲラと下品に笑うセルゲイを横目に、リリが肩を竦めて残念そうな息を零す。
「そこまで厳しくするの?」
「…あのねぇ、勝負は勝負なのよ?それとこれは別、結果であって過程じゃないの」
「過程に見向きもしないのは酷じゃないかっていう話よぉ」
「絆されろって?」
半目で睨むヒルデガルドへ相手はわざとらしく首を傾げるだけで言葉にはしなかった。
腕を組み見守っていたセルゲイも、軽く頭を振るだけで何も言わない。
ただ空気を払拭するようにわざと明るい様子で教室に戻ろうぜと昼食の片付けを促し、備え付けのキッチンへ洗い物を運ぶ。
(別に、好きだとか付き合おうだとか言われてる訳でもないし…私は学業を優先するだけよ)
誰にでもなく言い訳をしながら持ち上げたカップは随分重く感じられた。
放課後になれば予約していた工房に籠り、魔導祭で使用する障壁魔導具ともう一つの魔導具をヒルデガルドは作り始めんと無造作のようだが利便性を考慮して道具を広げてゆく。
本当は障壁魔導具は後日にしておこうかと考えていたが、予定外の魔石が手に入ったので作る事にしたのだ。
「さて」
組み上げ途中の導図を広げ、手元にある魔石と見比べながらいくつか修正を施す。
魔石の属性や質により最善の組み合わせを考慮しながら調整するのは何とも繊細だが楽しい時間だ。
同じような効能を持たせるつもりではあるが、魔石の組み合わせによって少しばかり特徴が違うのも実践で使う際の選択肢の広がりを感じさせてヒルデガルドは思わず鼻歌を零しながらメモを取る。
(基礎の導図は大して変わらないのにねぇ、魔石やちょっとした調整で微細が異なるのはほんと面白い)
過不足なく同じ魔導具を作る技術も勿論あるが、敢えて差異を出すのは複数回試合をする事を見越してだ。
安定性ばかりを追わず、その特徴を自分だけが理解していればかなり有用な手となる。
(第三試合までに相手の手札を眼にすることが出来るってだけで有利なのにねぇ~悪いわねぇ~オホホ)
内心止まらない高笑い、実際は手元が止まらない。
さらさらと迷いなく導図を仕立て上げて紋を確認し、今度は実際に魔石への書き込みと組み上げだ。
ヒルデガルドの用意した障壁魔導具は反射の無い一面型で、起動速度を重視したものだ。
夏に研究した強度研究を転用し、衝撃同等の強度で打ち消すだけでなく消費魔力も随分抑えた。
流石に、吸収や稼働に余魔力を回す程の機能は持たせなかったが、代わりに品質がまばらな魔石でも組み上げる事が出来る上に安上がりなのは現状に即していると言えるだろう。
魔石の組み合わせによって魔力攻撃、物理攻撃に対する耐久値に若干の差があるものの、そこは相手を見てから戦える魔導祭の仕組みで対応できる範囲だ。
寧ろ相手がヒルデガルドの障壁魔導具を見て策を練り直すのを鑑みて、此方もどの障壁魔導具にしようと選ぶのが楽しみですらある。
(あっあっ楽しみ~~~~!!!今っ私っ!脳汁が出てる!!)
そうこうしている内、高揚し作業効率が上がったせいもあるのだがあっと言う間に十を越える障壁魔導具が卓上には整然と並べられた。
見下ろすヒルデガルドは嫣然と微笑み、満足げな顔で一つ一つを手に取っては愛おし気に眺める。
既に窓の外は陽が傾き、自動点灯の灯りが煌々と工房内を照らしていた。
(流石にもう一つを作る時間は無かったわ…ま、明日も予約しているし)
速やかに機材を定位置に片付け、広げられた魔導具一つ一つにメモを付けながら整頓して、予め持ってきていた仕切り付きの箱へ詰め施錠を施す。
その上に鞄を乗せつつ、半開きにした扉を身体で押し退かして外に出る。
工房の共用部を見渡せば人気はなく、既に他の工房室の入り口に掛けられていた「使用中」の札は、今ではヒルデガルドの眼前一枚だけだった。
(げぇ、最後だ…見回り確認しなくちゃかー)
荷物を共有部の大きな机上に置き、足早に各部屋の施錠や片付け状況を確認して周り、共有部の備品棚の施錠も確かか一つ一つ触っては一人で頷く。
最後に「使用中」の札を手に取って鞄の更に上に置き、工房室を出て足早に学務へ向かった。
仄暗い長い廊下は随分と秋の気配を漂わせ、月の明るさは温かみを帯び窓から等間隔で差し込んでいた。
その中で一際の灯りを放つ学務の窓口に眼を萎ませるヒルデガルドの視界の先、一人の学生の背中が映った。
「あら、サティじゃない」
「え?」
肩を震わせて振り返った彼が眼を瞬かせるのを気にも留めず、ヒルデガルドは窓口に札の返却と最終使用者の見回りは行った旨を報告し、今日の使用申請書に完了の署名をする。
「遅くまでありがとうございました」
「いいえ、頑張り過ぎないようにね」
「ありがとうございます」
踵を返せば、律儀に待っていたのだろうかサティが曖昧な笑みを浮かべて薄暗い廊下に立っていた。
「寮まで送るよ」
「渡り廊下使うから平気よ」
学務からは少し遠回りになるものの、学園の外に出ず寮へ戻る通路がある。
寧ろもう夜に差し掛かった時間だからこそ敷地内で完結できる渡り廊下側をヒルデガルドも使用するつもりだ。
「それでも…荷物も、多いみたいだし」
「サティの前だからかしら?」
まるで先日の休日のようだとヒルデガルドが肩を竦めれば、彼は小さく声を上げて笑った。
「なら猶更、僕は丁度良い時に出くわしているね」
「今日はちゃんと持ち帰れる量よ」
「じゃあ途中まで」
そう言いながら彼は自身の鞄を肩にかけるとさっさと箱を持ち上げてしまう。
慌ててその上に乗った鞄をヒルデガルドは手に取った。
「乗せたままでいいのに」
「流石にそれは」
言葉もなく二人は暫し見つめ合い、どちらともなく苦笑しては月明かりが注ぐ長い廊下を歩き出す。
自分もサティのように鞄の肩紐を使えば良かったと考えるも、生憎自室に置きっぱなしだったことを思い出して一瞬ヒルデガルドは顔を顰めたのを目敏く彼は気付いたようで、静かに口を開いた。
「どうかした?」
「いや、私も肩紐使えば良かったなって思っただけ」
「あんまり女子は使わないよね」
「男子だってそう多くはないでしょう」
「貴族は野暮ったいっていうから」
「貴方も貴族でしょう」
「最近買ったばかりの肩書だよ…ほら、僕の休日の恰好を見たでしょう?」
そういえば先の休日でもサティは大きめの鞄を斜め掛けにして持っていたな、と思い返すヒルデガルドをどう思ったのか、彼は困ったように小さく笑い息を零す。
「気にしていなかった?それとも覚えていない?」
「何だか悪意のある言い方ね」
「悪意だなんて…そ、の……デイビアさん、は、すごく…か、わいい格好、だったし」
ぱちりと瞳を瞬かせた先、仄暗い視界の中でも群青の髪の合間で真っ赤な耳は良く見えた。
つ、とヒルデガルドは視線を静かな廊下に向ける。
「ありがと。実はあの休日、ちょっと楽しみな予定があったからあんな恰好だったの」
「え」
「でも急遽都合が変わって…その腹いせというか、気分転換にね、街をぶらついてたのよ」
「そ、なんだ…」
靴音だけが響いては消える、薄氷のような緊張が漂う空気を割いたのは、彼女の言葉だった。
「サティには悪いけれど」
「!」
「連れ回した側の気分転換はすごく大成功、楽しかったわ」
「…それは…良かった。僕も、すごく……幸せだった」
ヒルデガルドと同じ言葉でななく、違うかたちで彼は休日を語り表した。
視線は二人とも前を向いていたが恐らく見ているものは違うのだろうな、とヒルデガルドは思った。
「―…そういえばサティもこんな時間まで残って、魔導祭の準備?
昨日実技場でサーンス講師と話していたものね」
「え?見て、たの…?」
思わずと言った様子でサティがヒルデガルドへ視線を寄越した。
ちらりと視線を交わし、また前を向いた彼女はモーリスの言葉を思い出していた。
成程、確かにサティはヒルデガルドに開発中の魔導具を知られたくない様子だった。
「見てたっていうか、サティとサーンス講師が話しているのを見たっていうか」
「…ああ、そっか、モーリスと話していたものね」
サティも視線を前に向けてはしみじみと頷くも、やがてその面持ちはピリと張り詰めたものになった。
どうしたのだろうかと横顔を伺いつつ、少し明るい調子でヒルデガルドは話を続ける。
「羨ましいわ、サーンス講師の興味を惹ける魔導具作れるのは」
「いや興味を持ってくれたというか、その…」
「聞かないから大丈夫よ。納得行くのが作れると良いわね」
「うん、…ありがとう」
「それにしてもセシルといいサティといい、何故皆モーリスは良くて私はダメなのかしら?」
ついつい、サーンス講師の興味を惹く魔導具がどんなものなのか見れない惜しさも相俟って、モーリスとの人望差に愚痴めいたものが口から零れた。
「だめって訳じゃ」
「ああ、それこそ愚痴だから気にしないで。男の友情だものね、分かってる分かってる」
慌ててサティが言い募るのをからりと笑い飛ばしヒルデガルドが髪を揺らす。
丁度渡り廊下と正面玄関との岐路に差し掛かったため魔導具の箱を受け取ろうと手を伸ばすも、箱は微動だにしなかった。
ふと、ヒルデガルドが視線を上げれば、薄暗い中で彼の浅葱色の瞳が更に深みを増し、まるで曇天のような重さと厚みを持って、モーリスよりも近い高さから此方を見ていた。
「本当に?」
灯りの無い廊下だからだろうか。
一年次よりも随分とハッキリとした声音が、少女の耳朶を震わす。
「本当に、…分かっている?」
月灯りは陰る事なく変わらず窓から廊下に注がれるのに、随分、暗く温度が下がったような心地に思わず鳥肌が立った。
抗うように、ヒルデガルドは脚にも力を入れて箱をサティの腕から引っ張って受け取る。
「サティとモーリスの仲が良いのは一年次から分かっているわよ」
「…」
「まぁ以前とは違う仲の良さは、貴方の努力の結果よね」
大きな箱を抱え直し何とかして自分の鞄を乗せようとするのを、大きな手が手伝ってくれた。
ありがと、と小さく返せば、彼は少し泣きそうな顔をして静かに笑っていた。
「もう…随分と『守護霊』じゃないしね」
自嘲気味に零し、踵を返そうとする彼の背中に思わず少し声を張る。
「最初から私もモーリスも、サティをそんな風に思っても無いわよ!」
あの日の図書館でヒルデガルドが『守護霊』呼ばわりしたのは、それを許しているかのような素振りをするモーリスへの苦言であってサティを貶すつもりなど無かった。
サティは『守護霊』ではない、とモーリスは答えたからこそ自身の思い込みを謝罪をしたのだ。
しかし唐突に陰口を聞かされたサティは傷ついたのだろう。
きっと、今でさえそんな顔をして呟く程に。
フンと短く息を吐き、言いたい事を言い放ったヒルデガルドも柘榴色の髪を靡かせ踵を返す。
が、その身体を後ろから強く抱きかかえられたたらを踏み、箱の上から鞄がずるりと滑って床に落ちた。
重みのある衝撃音よりも、抱きすくめ耳元で囁かれた「ごめん」というサティの声が意識を引いた。
何が起きたのかヒルデガルドが理解するよりも早く、サティは落ちた鞄を拾い上げて箱の上に乗せると、目も合わさずにもう一度「ごめん」と零して駆け足でその場を去った。
「…………」
ただ、残されたのは呆然と立ち尽くすヒルデガルドだけ。
遅れて火照った顔を冷ますのに、寮までの渡り廊下が遠くて助かったと内心で零した。




