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31:実技場の正しい使い方とは


 商会の仕事も一段落したある日の放課後、ヒルデガルドは足早に学務窓口へと向かい掲示板に下げられた工房の使用状況の報せに目を走らせた。


(ああ…昼休みに申請しておくべきだった)


学園内には申請して使える設備が幾つかあり、魔導具に手を加えられる学生向けの工房室もその一つだ。

稀少で大型の器具は共用工房に置かれているがそこと分厚い扉を隔てて幾つもの小部屋、小さな工房がそれぞれ設備を整えられており、授業外での魔導具開発や改造が個人で出来るようになっている。

講義で使う教室よりも工房設備は劣るもののそれでも裕福な商会程度には整えられているし、使い勝手は良い。


ヒルデガルドも時折使用しているのだが、なんせ試したい魔導具が膨大であるため、普段であればもっと計画的に日程を組んで工房を数日前からあらかじめ押さえるのが常だ。

今回は魔導祭で使用する魔導具とは言え導図の構成は大体出来ているし、試行段階も時間は掛かるまいと甘く考え昨日思い立ったように予定を立てたのが良くなかったのだろう。


掲示板に示された各工房室の名称脇には「使用中」の文字がずらりと見事に並んでいた。


使用予定時間もほぼ滞在可能時間いっぱいまでが多く、これは飛び込みで使用出来ないなとヒルデガルドは息を吐き、速やかに記帳台で明日と明後日の工房使用申請書を埋めて申請を行った。


受け取った事務の女性が工房室の予約表を片手に、空いている時間や部屋について軽く口頭でヒルデガルドの意向を確認すると、その内容を改めて書面にしたため渡してくれる。

御礼と共にそれを受け取れば入れ違いで別の学生が窓口に何かを申請し始め、放課後が始まったばかりで閑散としていた掲示板の傍にはいつの間にか、ヒルデガルドと同じように工房室の使用状況を確認する学生で賑わっていた。


(良かったー、今日の講義が学務に近い場所で終わって…!)


ヒルデガルドは己の鈍足を正しく理解していた。

きっと普段だったら今頃、学務に到着している頃だっただろう。


ついでに、と薬草園の育成状況や図書館の新書入荷予定、本日の実技場補佐担当講師を確認する。


(珍しい…サーンス講師も補佐に付くのね今日)


過去に担任となったサーンス講師は、学園講師の中でも特に魔導具に明るい。

少なくとも、理論の走り書きや未完成である導図の骨組み程度の情報で、何が作りたいのかの方向性をすぐに気づくくらいには魔導具沼の住人だと、ヒルデガルドも思っている。


そんな知識人のサーンス講師は多忙だからか、実技場で魔導具による危険が起きないか見守り、時には稼働させた後の改善点などの相談を受ける補佐担当講師をしている姿を見た覚えがない。

皆無なのではないのだろうけれど、少なくともヒルデガルドは実技場で会った事は無かった。


ともすれば態々彼が足を運ぶのは、魔導祭までの日数を考えると何か面白い魔導具を使用する学生が実技場補佐として来てくれるように依頼したのではないだろうかと少女は推測した。

個別に頼まなくとも日替わりで、実技場使用時間内は補佐講師が必ず一名は滞在しているのだ。

にも関わらず、それとは別でサーンス講師の名前が記されている状況は匂う。


(ほーん…これはちょっと面白そうな気配がするわね)


偶然に感謝しつつヒルデガルドは一度教室に鞄を取りに戻り、実技場へと足を向けた。



学園の端に在する実技場は当日その入り口で名簿に名前と入退室時刻を記載するだけで使用できる。

備え付けのロッカーに鞄を預け、簡素な石造りの廊下を進む。


まだ放課後が始まってそう時間が経っていないからか人通りも多く、行き交う学生の中には制服のローブではなく訓練着を纏っている姿もちらほら見受けられた。

ただ誰もが腰から杖を下げるだけでなく、いくつかの魔導具を持ち歩いているのは講義棟とは雰囲気が違う。


(やっぱり障壁魔導具の試験しに来ている子が多いわ)


魔導祭で出場者が身に着けられる魔導具は杖を除き、二つまでとされている。

もし武具を杖代わりに使用する場合、それが回路を有する魔導具であればそれも一つと数えられてしまうので、殆どの学生は杖での魔導合戦を選ぶしヒルデガルドもそうだ。


魔導具が二つしか持てない中で、どのような役割を持たせるのか創意工夫するのが腕の見せ所であるが、専ら一つは身を護る為の障壁魔導具を選択するため、実質持ち込める魔導具は一つだけ、とも言える。


主流は魔力の増強目的の魔導具だ。

次いで高威力の攻撃魔導具、所謂切り札となるものを所持する学生が多い。

偶に相手の魔導を阻害するような悪辣なものを持っている奴もいるが、対戦時には魔導具に頼らず杖で紋を描き放ったり、既に書き記した導図に魔力を打ち込み発動させる場合もあるので、相手を完封出来る訳ではない。


過去にヒルデガルドが面白かったのは、常に強風を相手に放つ魔導具だ。

どうやら攻撃として判定はされないようで障壁魔導具が作動されずに相手の動きだけを邪魔していた。


(まぁ背を向けて壁を張って一瞬でも凌げれば大したものでは無かったけど)


それこそ去年モーリスを指名対戦した相手である。

噂では、その先輩の想い人がモーリスに入れあげたようで八つ当たりも兼ねて指名したらしいが、ものの見事にすぐさま氷壁で暴風は防がれたし、何なら先輩を囲うように追加の壁を築かれ自爆していた。


(紋を描き作動させるに然程時間は掛からない魔導であっても、アイツちゃんと導図用意してるのよね)


簡単で時間が掛からない魔導紋であっても、描いている間は無防備になる。

その隙を考慮して備えているのが流石というか用意が良い。

何より障壁魔導具に頼り切らず身を護り、また攻撃舞台を整えるのにも回せる汎用性を見越して準備していたのかと考えては、それでこそ我が好敵手!と喝采を贈りたい気持ちにすらなる。


ヒルデガルドのように机上に食いつくばかりの学生が多い中で、モーリスのように戦場を見越して備えられる者は稀だ。


(…だからこそ、フォーレ先輩のあの手法も目立って評価されたんだろうなぁ)


ふと、自分が苦しめられた悪辣な輝きを思い起こしては眉を潜める。

本当に邪魔くさかった。

あの戦法、もしやモーリスが助言したのでは?と嫌な予感が過るが、頭を振って散らす。


(もし二の舞されても大丈夫、完封出来るわ)


対策を怠るようなヒルデガルドではない。

腹立たしい事はしっかりと記憶に怒りと共に刻み、こてんぱんにやり返せるようにすぐさま備える。

彼女はそういう性格だ。


廊下を進めばやがて分厚い何層もの扉に差し掛かる。

ガラガラと鎖が巻き取られる音と共に開けた視界の先では、広い剥き出しの地面のあちらこちらで土煙が上がり、障壁魔導具が弾けて強い輝きが放たれていた。


時折轟音を喜ぶように歓声が上がっては、威力を観察していた学生達がやたら真面目な顔を突き合わせて話している一角もあれば、吹き飛ばされたのか落下したのか蹲る学生に駆け寄る仲間たちも居た。


この乱雑な賑やかさを噛み締めるようにヒルデガルドは視線を巡らせ、ゆっくりとした足取りで端を巡る。


(一面型の障壁かぁ…お、発動早いし結構耐久値も高そう…波状攻撃には適しているけど多方向攻撃は凌げないのではないかしら…ああ、でも接近戦も見越しているのね、足捌きが見事だわ)


(あの子浮遊不得意なのかしら?ちょっと足すだけで随分回避も変わるだろうし、あの出力の障壁魔導具は長期戦に向かないでしょうに)


(わーー絵にかいたような常時展開型!あ、紋も併用した設置型を改造しているのか…速攻で落とそう)


(は?今あの一画見覚えのある光り方したんだけど…取り入れた子居るの?)


「敵情視察ですかー?デイビア嬢~」

「お願いだから帰ってくれませんかねぇ」


顔見知りの学生が笑いながら休憩がてらに、眺めていたヒルデガルドの傍へ来た。

彼等はあちらこちらを既に土で汚して若干草臥れた様子をしていた。


「見られて困る程度の策な訳じゃないでしょう?」

「買い被ってくれてるー」

「そのついでにちょっと手伝ってくれません?」

「あっデイビアさーん!いいところにー!」

「今日ツいてる!デイビアさん居る!!高火力!」


一人二人に話掛けられていると他の同級生もヒルデガルドに気付いたのか、妙な事を口走りながら駆け寄ってきた。


「待てよ!まずは俺らだからな?!」

「じゃあ次!次の交渉権は私達!」

「やるとも答えて無いのだけど…」


最初に話掛けて来た二人は、自分たちが試験していた攻撃用魔導具の結果をまとめた紙を見せながら、望んでいる結果は出ているものの効果的な戦術に幅を持たせたいとの相談だった。


「この私にただ働きさせようだなんて怖いもの知らずね」

「…この魔導具の情報でお許しは…?」


先程まで帰れとまで無礼な冗談を零していた少年が、恐る恐るヒルデガルドの顔を見る。

視線を受け、にやりと少女は強気の笑みを浮かべた。


「火力は希望通りならどの状況下で使用するのが理想なのか、そこに追い込む為の組み立てが甘い。

物は良いのが出来ているし…貴方も確か火属性は得意よね?火の第一章五節の紋はどれくらいの速さで描けるの?ちょっと描いてみなさいよ」

「ウス」


言われたまま少し離れ、誰も居ない方向へ杖を向けて空に紋を描く。

速度はそれなりだが歪みがあり魔力の通しを均等にしても効果にばらつきが出そうな出来だ。

それをそのまま指摘すると、彼は紋を霧散させながら苦笑いを零す。


「導図の方が良いですかね?」

「錯乱で使うだけだからそれほど操作性は重視しないから、寧ろムラがある方が良いかも」

「じゃあ描く速度の訓練だな」

「だな」


頷き合い顔を見合わせるヒルデガルドは更に言葉を重ねて見解を加えつつ、軽く動きながら同じ紋を自分の眼前よりも少し離れた空間にサッと描き出す。

彼女の豊かで長い髪がしなやかに踊る。


「速度もだけど、走りながらでも描けるようになっておきなさいな。

火の第一章五節は威力はないものの多弾攻撃だから、距離を詰められた時も使えるし」


更に二重、三重と待機状態の同じ紋を距離を離して描き、立ち尽くして考え込む二人を見た。


「成程、錯乱」

「一つ目防いでいる内にこんなにこさえられたら悪夢だ」

「勿論対峙する相手と離れていても使えるけど、貴方のその魔導具を危険視して近接戦に持ち込まれた時には障壁魔導具で凌ぐよりも現実的かなって思うのだけれど」


そう言いながらヒルデガルドは杖を一振りし全ての紋を消し去り、彼等に掌を出した。

それを見て、相談者はひくりと口角を震わせた。


「…見せろと?」

「対価よ」

「はぁー…デイビア嬢に丸裸にされた俺、お婿に行けない…」

「気張んなさい、魔導祭で活躍すればお嫁さんも見つかるわよ」


からりと笑いながら手渡された障壁魔導具の導図を開き、その場で読み解く。

彼は主力の攻撃魔導具に合わせて随分と障壁魔導具の出力は抑えたものを作っているようだ。

ヒルデガルドの好む、一撃必殺先行型なのだろう。


「成程ねぇ…ね、二撃目で必ず沈める気概はあって?」

「は?」


ヒルデガルドの言葉に彼は眼を丸くし、隣の少年も意味が分からないと怪訝な顔をする。


魔導師同士の打ち合いは魔力の関係もあって長期戦こそ不利になる。

それがダンジョンや戦場であれば、長丁場を見越して彼のような戦い方は下策も下策であるのだが、その華やかで魔導師らしい思考をヒルデガルドは『魔導祭らしい』と尊んだ。


「派手に行くなら障壁魔導具に反射を組み込んでみては?一撃さえ返せればいい、使い捨てで」

「何それ楽しそう」

「そっか、別に一試合で持ち込める魔導具が二つってだけか」


返された魔導具に目もくれない彼等の脳内は今まさに目まぐるしく改訂案が駆け巡っている事だろう。

人が閃きと知的好奇心に興奮する様子を見るのは楽しい、とヒルデガルドも思わず笑顔になる。


「派手に砕ける仕様にするのも面白いわね」

「それなら反射出力に加えるのもありかもしれない」

「デイビア嬢、資料ある?」

「そこは自分たちで調べなさいよ、過剰よ」


軽く手を振り、さぁ散れとばかりに踵を返した背後で何やら文句を言っているが知った事か。

折角出来の良い一撃必殺な攻撃魔導具が作れたのだから、是非それを生かす方向で舞台を考えて欲しいと思ったのは確かだし、放つ隙を見出すための戦術を一つ提案しただけでなく、更に劇的な演出を楽しめるような提案もしてみたのだがら、ヒルデガルドの言う通り、手伝いとしては過剰だろう。


「お待たせ、さぁ貴女達は差し出すものがあって?」


悠然と嗤うヒルデガルドに、次の交渉を持ちかけようとしていた少女達の姿勢が伸びた。


結局後の相談者は誰しも堅実的に魔石で対価を支払うとし、ヒルデガルドに攻撃魔導の担当を依頼した。

最大火力を!と言われた時は流石のヒルデガルドも口角をひくつかせたが、相手が用意できる魔石の質を聞いて素直に断った。こんなところで手の内を見せる程彼女も馬鹿ではない。


代わりと言っては何だが、魔力的な攻撃に分類される火の魔導だけでなく、物理的な攻撃である土の魔導も用いて障壁魔導具の検証に付き合った。

因みに土の魔導で依頼者の障壁は秒で壊れた。

どうやら魔力攻撃に割合を傾けすぎているようだ。


「氷の魔導は想定していないの?

水なら魔力と物理の割合が同じだからこれで防げると思うけど、氷は純物理になるわよ」

「いや~…そんな、上位魔導をぽんぽん使うのなんてラゲール君くらいしかいないだろうし。

土の魔導も第六章以上を初手で使うようなのはデイビ…第三試合以降かなって」


そこそこまでしか望まない、といった様子にヒルデガルドは一気に気持ちが削がれた。


確かに、参加人数も多い第一試合は六人による複数戦で、一人倒せば勝利となるので、氷の魔導のように影響範囲が大きく魔力消費も多い大技を放つのは、見栄えはしてもやり過ぎであると称される行為だ。

第二試合からは一対一ではあるものの、実技の成績上位者は第三試合からしか出場しない。


「…まぁ、貴方が悔いを残さず、大きな怪我をしないのであれば良いんじゃない」

「そうそう!ありがとう助かったよー!御礼は明日持ってくね!」

「ええ」


柘榴色の髪を手で払いヒルデガルドは少し視線を落として実技場の端へ足を向けた。


(参加者の気概はそれぞれだもの)


親友のリリだって成績は良いのに、然程魔導祭に熱量はない。

彼女が得意な魔力操作を駆使すればかなり上位に食い込めるものの目立ちたくは無い様だ。


セルゲイだってヒルデガルドの猛攻に付き合わされているせいか実践経験は豊富で、どちらかといえば魔導祭よりも戦場向きな長期戦魔導師なのだが、「リリよりも上に残れば上々」と零していた程度。

折角回避特化の魔導具作りを手伝ったのに寂しいものだ。


(…?)


ふと、近づく足音に顔を上げ視線を向ければ、随分久し振りに見る顔があった。


「ヒルデガルド」


呼び掛けた彼は、華すら恥じらうのではないかと思う程柔和に瞳を細め、可憐な笑みを浮かべた。

さらりと、仄かに赤らんだ頬を滑る黒檀の髪がその対比を深くして印象的で、思わずヒルデガルドも息を詰める。


相手が足を止めた距離は廊下で休日の誘いをもらった時よりも遠く、だが談話室よりは近い。


「…もう具合は良いの、モーリス」

「うん、ありがとう…お見舞いも嬉しかったよ」

「手土産も持たずに行ったから不躾だと思ったけれど、そう言ってくれると助かるわ」


寧ろ侯爵家を出る際に焼き菓子や紅茶など、ヒルデガルドがお土産を貰ってしまった。

その御礼も改めて告げれば彼は緩く首を振って遠慮がちに口を開く。


「あれくらいしか用意出来ないくて…何か欲しいものはない?」

「そういう気遣いは私じゃなくて、身近で心配していた家の人やセシルにしなさいよ」


呆れたように答えるヒルデガルドに、相手は困ったような、でもどこか嬉しそうに肩を揺らす。


「そうだね、随分心配させてしまったようだし」


今度こそ頷いて、しみじみと呟くモーリスの様子は衝立が無くとも落ち着いている。


(制服だからかしら?あれから…一週間、程?顔を見なかったから?)


彼が穏かなのは以前からだが、その質が、少し違うのは対面するヒルデガルドだけじゃなく、少し離れた場所に居た他の学生も感じたのだろう。

周囲の騒音が凪ぎ、視線が二人に、というかモーリスに集まっているのが分かる。


「それにしても珍しいね、ヒルデガルドと実技場で会えるの」

「夏の長期休暇前はそこそこ顔出していたわよ?どちらかと言えば貴方の方が珍しいんじゃない?」

「確かに、春、以来かもしれない」


つ、とモーリスが視線を一方に向けた。

その先を追えば、一人の学生がサーンス講師と何やら話し込んでいる。


「サティの付き添い?」

「うん、相談されていた障壁魔導具の件でね」


生憎距離もあれば、サティも此方に背を向けているのでどんな魔導具に仕上がっているのか分からない。

それでもサーンス講師は何度も頷いたり、アドバイスをしているのか時折その指先が光り、虚空に導図が浮かぶ。


「あんまり見ないであげて」

「え?」


モーリスが苦笑交じりで掛けた言葉にヒルデガルドの視線が彼へ戻る。

視線が交わった瞬間、見下ろす水色の瞳がとろりと緩んだ。


「……サティ、魔導祭に向けて頑張っているんだ。キミならすぐに解読しちゃいそうだから」

「その言葉、そっくりそのまま返すわ」

「僕はヒルデガルド程、多くの魔導具は見てきていないよ」

「解読できないとは答えないのが貴方らしい」


肩を竦め、交わっていた視線をどうにか外して別の方向に逸らす。

少し早い鼓動を落ち着かせようとヒルデガルドは意識して深い呼吸を繰り返した。


「まぁ周りにあった魔導具が特殊なものが多かったのは確かかな」

「流石ラゲール侯爵家サマね」

「自分が侯爵家の人間で良かったと、これほど思った事もないよ…ヒルデガルド」


声を潜めて名を呼び、小さく手招きして更に二人は壁際に寄った。

彼が周囲の視線を遮るように身体を寄せ、懐から一つの美しい装飾が施された魔導具を取り出す。


魔導伝導率の高い金属特融の赤味を帯びた黄金に縁どられ、真ん中に据えられたのは彼の髪色に似た、深くも柔らかな漆黒の光を放つヒルデガルドの拳ほどの大きい魔石だ。

軽くモーリスがそれを傾けると、金色の導図の一部が見えた。


「…ちょ…こ、れ…」


愕然としながらも唇から零れ落ちるのは陶酔めいた吐息。

見るのはいけないと、脳裏の何処かで警鐘が打ち響くのに、ヒルデガルドはその瞳を見開き視線を外せないでいた。

どうにか、その導図をもっとみたい、魔導具の隅々まで見たいという衝動のままに、己の指先が動かないよう両指先を絡ませ握るのが精一杯だった。


「流石だね、ヒルデガルド」

「…っなん、なんて品物を…不用心にも、ほ、程があるわよ!」


感情のままに大きくなりそうな声を理性で押し込み、囁きを尖らせる。

身体を傾け耳を寄せた男は、くすぐったそうに肩を竦めて笑うばかりで反省の色は皆無だ。


寧ろ、血の気すら失う程強く握り締めていたヒルデガルドの指先にそっと手を伸ばし、解かせ、己の掌に乗せた魔導具へ導こうとすらしてみせる。

嫌だ、駄目だと頭を小さく振るものの、モーリスにされるがままで抗う力など微塵も込められない指先は自分の身体ではないようだ。


「触れていいんだよ?」


モーリスの掌の中で煌めく魔導具から視線を外せないでいるヒルデガルドに囁く声は甘く、低く。

まるで敬虔な使徒を誘惑する悪魔のようだ。


「ば…!っのね、これは!そんな!」

「ちゃんと父の許可は取ってる」

「なんでそんなもん取って来てるのよ…!!」


やっと理性が衝動防衛に勝機を見出し、ヒルデガルドの指先がきゅっと丸められた。

そうなれば自然と、誘っていたモーリスの硬い手を掴む形となった。

途端、彼が手を引く力が消える。


「許可を取ればっ持ち出して良いとか!そういう以前の問題よ…!

 秘匿されるべき導図でしょう血族指定の魔導具なんてっ!馬鹿じゃないの!?バカなのね?!!」


言い連ねる内にどんどんヒルデガルドの指先に力が入る。

丁度そこに握り甲斐がある手があるのだから、猶更ぎゅうぎゅうと震えるほど強く握った。

戦慄きを湛えた青紫の瞳をキッと男に向ければ、彼は息を呑み、あえかな吐息を零す。


「仕舞いなさい!早く!この馬鹿っ!」


どうにか懐に戻させようとヒルデガルドは僅かに身を引き、手の力を緩めたが今度はぐっとモーリスに握り返され、魔導具に向けられていた視線を再び男へと向けた。

さり、と彼の親指が手の甲を撫でる感触に背筋が震える。


「…嬉しく、無かった?」


そう漏らす彼の唇も、声も、どこか渇いていた。

ただ見つめてくるその水色の瞳だけは、溺れんばかりに濡れて、ヒルデガルドを映していた。


「ヒルデガルドなら興味を持ってくれると思ったんだけど」

「ぐ…!腹立つくらい、興味あるけど、そうじゃないでしょ?!

 流石に侯爵家由来の魔導具…しかも秘匿魔導図なんて畏れ多くて見れないわよ…!」

「でも中々眼を離さないね」

「だっから!早く仕舞いなさいっよっ!」


空いた片手でぐいぐいとモーリスの腕を押し返し、妙な空気も縮められた距離も保とうとする。

彼はそれすらも楽しいと言わんばかりに喉を鳴らしながらそっと魔導具を懐に仕舞うも、握った手は離さなかった。


ましてや、ヒルデガルドを見つめたまま片膝をつこうとするものだから、堪らず彼女は即座に杖を抜き出しその片膝が土に着く間際に魔力を打ち出した。

膝を押し返されたモーリスは、ハッとした表情で反応して身体を起こした。


そういうところは流石というか、寧ろ陶酔した表情で何をしようとしていたのを聞くのは嫌で、ただヒルデガルドは批難の眼を向けて繋がれたままの手を振り解き、杖先で彼の心中を押し返す。


「はぁ…今日一で肝が冷えたわ」

「驚きより喜んで欲しかったんだけど」

「ああそうなの…はいはい、嬉しかった、嬉しかったですー」


ヒルデガルドの雑な態度を咎めるでもなく彼は所在なさげに肩を落とした。

休みを経て平静さを取り戻したと思ったが、どうもまだポンコツさが抑えられていない。


ちょっと考えれば侯爵家の家宝を持ち出して部外者に見せるなど論外だと分かるだろうに。

見舞いの御礼だか喜ばせたかったのかにしても、過分な行いだ。

家長も家長だ。持ち出しの許可を出すとは如何なる了見なのだろう、危機意識は無いのか。


(それともモーリスに言いくるめられたのかしら…何にせよ高位貴族がこれって、国の未来が心配だわ)


一人そんな事を考えては零れる溜息に、増々モーリスは視線を下げ雰囲気を萎びさせる。

ここの最近で随分豊かになった彼の仕草を笑って褒める立場でもなし、とヒルデガルドは己の長い髪を手で払い背筋を伸ばした。


「不慣れな気遣いするくらいなら好敵手としてしゃんとなさい」

「…出直せっていうのは、好敵手として?」


返された言葉に、ヒルデガルドは唇を動かすも言葉は出ず、静かに閉ざした。

じっと水色の瞳が自分を見つめるのを肌で感じながら、視線は合わせず相手の首元を見据え、否定も肯定もせず押し黙るしか出来なかった。


(だって、あの時は好敵手じゃなくて、ただのモーリス・ラゲールに向けた言葉だもの)


それくらい聡い彼なら分かっているだろうに。

制服を着て、学園で、魔導祭に向け学生らが賑わう実技場の片隅で、そんな事を言わないで欲しい。

ヒルデガルドは学生として学びを優先したいのに、まるでその意を剥ぐ様な視線に身動ぎすら出来ない。


「ん、確認しただけだから…そんな顔をしないで」


ふと視線を緩めてモーリスが苦笑を零す。

急に霧散した空気に、ほっとして顔を上げればよく知る好敵手が佇んでいた。

水色の瞳は少し寂し気に見えたが、見慣れた凪いだ色合いをしている。


「ところで今までの戦績を振り返ると、キミは一度も僕に勝てていないのだけれど」

「だ、からこそ超えるべき壁であって好敵手なんでしょう?!」

「休みの間に読んだ本では違うみたいだったけど?」

「物語は物語でしょう?!何なら今此処で私闘しても良いのよ?!」

「やだよ、準備無しにキミと戦うなんて」


肩を竦めて心底嫌そうに言われているのに、何だか実力を認められているようでヒルデガルドは嬉しくなった。

緩みそうになる口元を指先で隠しながら視線をわざとらしく彷徨わせる。


「ヒルデガルドは違うの?そんな簡単に勝てる程度に僕を見做してるの?」

「自損を顧みなければいけるかなって」

「やめて、本当やめて…それ私闘どころか決闘だよ」

「心が躍るわね」


思わず視線をモーリスに向ければ、彼は一瞬目を見開くもすぐに視線を外した。


「…魔導祭がこんなに緊張するのは初めてだ」

「まー!なんて不遜な台詞、先輩方に失礼だわ」

「礼を失している訳ではないよ…ただ……ねぇ、ヒルデガルド」


水色の瞳が、真っ直ぐにヒルデガルドへ注がれる。

真摯な面差しの中に緊張を孕んだそれは、周囲の音を遠ざけた。


「最後まで…卒業試験まで、僕が勝ち続けたら……卒業プロム、キミの隣に立たせてくれないか」



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