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28:過呼吸まで起こしてた


 寮の自室に戻れば先に帰ってきていたリリが両手を広げて出迎え、満面の笑みで「さぁ聞こうじゃないか!」と声高に物申してきたし、ヒルデガルドもあれこれ愚痴りたかったので洗い浚いペロった。


最初はキャッキャ手を叩きながら、

「あの秀才が!別に普段が澄ましてる訳じゃないけどさっ!そんな事言うの想像出来ないー!」

とリリも囃し立ててくれていたのだ。最初は。


だが馬車前での件辺りから雲行きが怪しくなってきたのに気付いたのか、眉間の皺を深くしつつ時折独り言を漏らすのは思った通り早かった。


「やばくない?やば…」

「えっ逃げなよ…ヒルディ何してんの?」

「えー…知能っていうか理性?いや知能か…?」


冷静に振り返ってみても中々に馬鹿なやりとりしていたなとヒルデガルドも自身を鼻で笑い、リリが用意してくれていた紅茶を飲み干す。

つらつらと話し続けていたらか喉が渇いていたのだ。

流石商家の娘、準備が良い。

お茶請けのお菓子のセンスも良い。

流石リリ、気遣いが手厚い。


「かわいいって褒めてくれるのは嬉しいわよ、素直に」

「あーね」

「でもそれが語尾になる程、知能溶かされてもどうかと思う訳で」

「過剰だよねぇ…まぁ私も結構瞬間バカになる時あるから、気持ちは分かるんだけど」

「嘘でしょリリ?!アレに?!」

「人の彼氏になんて言い草!」


さっぱりとしたリリがあのセルゲイに可愛い、いやかっこいいなのか、分からないが。

そういう感情でいっぱいいっぱいになって語彙力低下する姿が全く想像出来なくて、お菓子を掴んだままでヒルデガルドは動きを止め驚愕の視線を注いだ。


相手はむず痒いのか、顔を赤らめてわざと変な顔をして誤魔化そうとしていた。


「リリかわい~!」

「ホラ!ヒルディもバカになってる!」

「かわいいしか言えない~!」

「知能指数下がってんぞ!」


投げ付けられたクッションを受け止めつつ笑い転げ、思わず目尻に零れた涙を拭った。


「はー、物には程度ってもんがあるわよね」

「そーそー」

「抱き締めさせても全然、ほんと、数十秒くらいしかダメだった」

「浮かれてんねぇ!」


立ち上がり保温ポットから新しい紅茶を注ぎ、リリの分も淹れようと振り返る。

ソファーに座ったままの親友は先程とは打って変わってどこか真剣な面持ちで卓上のお菓子を眺めていた。


「リリ?」

「あんまり私、モーリスと話した事無いから言えた口じゃないけどさぁ…」

「うん」


温かいマグを両手で抱えヒルデガルドは対面に座り直す。

リリの視線は、菓子から逸れて、テーブルの端を彷徨う。


「彼って感情の起伏少ない印象なんだよね」

「そこそこ笑うよ」

「微笑み~愛想笑い~ってやつじゃなくて?」

「とは私は思ってる」

「…だからさぁ、浮かれ方というか制し方、不慣れなんじゃない?」

「…」


言葉を選んでくれたのだろう。

それでもリリの一言が、重く、ずしりと、ヒルデガルドには圧し掛かった。


「ヒルディ、在学中に恋人作るつもりないんでしょ?」

「…まぁ、うん」

「制し方分かっているならさ、躱すのもそんなに気を回さなくていいような気がするけども。

浮かれ方がそれなら、落ちる時の知能もそれなりになりそうとか考えすぎかな」


ふと思い出す。

「勝たないで」と零したモーリスの、あの、水色の瞳に渦巻くものを。

激しい感情が、彼の中にも確かにあるのが解らされたのに、どこかで期待をしていた自分に震えた。


いつだって発破をかけて挑むのはヒルデガルドで。

それをモーリスは柳のようにゆるりと、受けずに流していてばかりで。


激しい炎は自分ばかりで、清流のようにしなやかな彼。

でも、そんな人の、荒立った何かを触れさせてくれるのなら、と。


構わなかった。


「…………いや、うん」

「…照れる要素無くない?何思い出してんの?匂い?胸板か?」

「違うから!そうじゃないから!!

兎に角その後の私の罪状を裁いて下さい裁判長!」

「ほ?まだ続きあるの詳しく物申せ!」


馬車から降りモーリスと別れた後、折角の休日だしと街に降りたらサティと偶然出くわしほぼ一日付き合わせた事、合間の彼の様子や視線について、あくまでも主観でだが感じた事を素直に話した。


結果、裁判長から下された判決は「有罪、サティ可哀そう」だった。

別に告白された訳でもないんだからまだ執行猶予はあると反論したものの、リリは力無く首を振ってみせた。



 翌朝、それほど遅くまで話し込んでいたつもりは無かったものの、見事に二人して寝坊した。

始業の鐘と同時に座席に滑り込むも息が整わないどころか、突っ伏して動けなくなるヒルデガルドを他所にリリは頬を赤くして荒い息のまま笑うくらいの余裕はあった。


「めっずらしーな、リリはともかくヒルディが遅刻寸前だなんて」

「聞くのも野暮よセル」

「おー?こりゃ昼飯は生徒会室かー?」


にやにやと笑いながら肩を揺らしてセルはさっと杖を取り出し、昼休憩に生徒会室を使う旨を会長へ手紙で送る。

それを横目にヒルデガルドがじとりとしたリリに向けるもどこ吹く風だ。


「こういうのはちゃんと男性の意見も聞くべきだと思うの」

「え?他の男も呼んだ方が良い?」

「やめて、ほんとやめてセル」


どうにかして騒ぎ立てるのを抑え、昼休憩は予定通り三人で生徒会室、更に念を押して控え室で買ってきた昼食を広げた。


「寝坊の原因は昨日のデートだろ?何、ヒルディ、モーリスと付き合うの?」

「付き合うも何も、告白以前の問題よ」

「何で?あんなに一昨日廊下ですきすきされてたのに」


ヒルデガルドは勿論、リリでさえ濁していたのにこの男はあっさりと言葉にする。

だが傍から見てもそう見えたのなら自意識過剰では無かったかと、どこか安堵する気持ちもあった。


「多分あれ自覚ないのよ」

「はぁー???????やば」

「やばね」

「やばやば」


サンドイッチを咀嚼しながら、雑にリリが相槌を打つ。

楽しそうだったセルの様子がすぐに心配気な面持ちになるのを見て、昨晩のリリとそっくりだなとヒルデガルドは苦笑する。


「クラスも別だし、あと私が競いたいのも魔導祭と卒業試験くらいだもの。

それ程接触もないと思うのだけれど…自覚前に避けられれば覚めるもんかな、どう?男代表?」

「んー…何、良いなって思ってる時にって事か?

だとしたら落ち着くもんかもしれねーけど、俺の主観だし、何より良いなって好意自覚してっし」

「良かったー私自重しなくて」

「うん、目ぇ合わせてニコッ!で即落ちしたから」

「分かるわー、普段のリリのイメージからの笑顔、すごい可愛いもの」

「彼女にしてあげるヒルディ」

「もう彼女だもん」

「デレデレすんなよ俺のリリは彼女だぞ」


賄賂として寄越されたフリッターを素直に受け取り、ヒルデガルドが夢中で咀嚼している合間に二人は目線でいちゃいちゃしていた。

楽しそうで幸せそうで何よりである。


「ってか向こうが無自覚だとしてどうなの?なんかあんの?」

「(私がグラつくのよ!)…勝負に手心加えられたら腹立つ」

「するのかー?今までのヒルディ見てればそんなんわか………おいあの名前順」

「えっ」


内心を控え告げた愚痴に、直ぐにセルは気付いたようだ。

リリは今になって気付いたと眼を見開き、目元を片手で抑えて項垂れる。


「そういうの望んで無いって判らなくなるくらいみたいで、ヤダ」


純粋に互いの能力を競い合い、高め合える距離感がヒルデガルドは欲しいのだ。

妙に気遣われて慮られるのは求めていない。


「ま、何となくだけど相手に言ったし、それは反省してくれてればなーって思うけれど」

「休日中に?」

「前」

「それであのすきすき?」

「反省とは…?」

「吃驚するわよね、私もよ」


恐らく、腕輪を受け取った嬉しさが反省を押し流したとヒルデガルドは見ているが。

その程度に流されてしまうほどのものだと思うと、此方としては余計腹立たしい。

休日は楽しく過ごせればと大人しくしていたが蓄積してゆくものは無い訳じゃないのだ。


私は覚えているぞ、モーリス・ラゲール。


「だから昨日も、私としては物凄く、最大限に気を遣って、『出直せ馬鹿』とは言ったけど」

「…今日モーリス来てた?」

「朝?しらね…ああ、サティはお前探してたけど」

「あ、部品ね」


ちゃんと言葉を違えず持ってきてくれているサティの誠実さが今は燦然と眩しく思う。

寧ろ有罪の身としては、わざわざ朝から探してくれていたのかと更に申し訳無さが募るところでもある。

そんな心情を察しているのか、隣のリリの視線がヒルデガルドに刺さる。


「リリ?」

「ん?いやね、私に身売りしてせっせとお金稼いで魔導具買うの!って言ってた癖に、良い入手先を見つけてしまったヒルディの薄情者って思っただけで」

「奴隷が解放された心地」

「もっと身を粉にしなさいよ!今日の放課後も待ってるんだから!皆が!」

「全力で頑張るってばー、先立つものが無いのは変わらないんだから」

「フン!寂しいっ!」

「構ってもらえてない俺が一番寂しい」


二人して添え物の葉っぱを慰めにセルゲイの手元にそっと置いた。


(あんなに胸がモヤついていたのに授業始まればパーッと忘れる私ってやっぱ最高だわ)


昼休憩もギリギリまで生徒会室で話していたからか、モーリスにもサティにも会う事は無かった。

そうして講義が始まれば、時間はあっという間に過ぎ去り放課後の緩い空気感が教室に満ちる。


ヒルデガルドも自分の筆記用やノートを片付けつつ、リリと商会に向かう流れを打ち合わせていた。


「デイビアさん」

「はい」


呼んでるよ、とクラスメイトに声を掛けられ出入口へ視線を向ければ、遠慮がちに紙袋を軽く掲げるサティの姿があった。

リリに一言添えてサティに駆け寄り、廊下へ出て出入口付近から離れ窓辺へ向かう。


「ありがとう、サティ」

「ううん、渡すタイミング逃さなくて良かった」


講義が終わって然程経っていないのに来てくれたのだろう。

彼は息を弾ませたまま笑った。


「預かっていたものは全部入ってると思うんだけど…」

「結構な数、甘えて預けてしまったからね。時間平気?中身確かめた方がサティも安心よね?」

「僕は大丈夫。

確かめてくれた方が助かるな…ごめん、鞄の中で崩れたのもあって、細かい部品結構出て」


そう話ながら彼も一緒に紙袋を覗き込み、わざわざ小分けにしてくれた小さな紙袋を取り出す。

確かに、購入した時から外れそうだった魔導具の部品が幾つかはずれてはいるが、十分修繕できるし何ならそもそも外すつもりだった部品すらあった。


「サティ、魔導祭の障壁魔導具の件だけど…」

「あ、モーリス」


二人で紙袋を覗き込んでいたからか、近づいてきていたのを気付かなかった。

相手も、サティの身体で遮られていて見えていなかったのか、ヒルデガルドの姿を見て眼を見開いていた。


「ちょっとだけ待っててくれるかな、すぐ行くよありがとう」

「ぁ、う…ん、………二人は、何、を?」


錆びたブリキのようにぎこちない動きでモーリスがサティとヒルデガルドを見比べる。

それぞれの手には小さな紙袋や、魔導具の部品が抱えられているのは見てわかるが、きっと彼が尋ねているのはそういう意味ではないのだろう。


「昨日一緒に買い物して…あ、偶然、街で会ったんだけど!

それでデイビアさんが買い過ぎた魔導具を僕が一部預かってて…モーリス?」


サティの言葉にモーリスの表情から感情が抜け落ちる。

先程まで、どうにか張り付けていた薄い笑みすらも無くなった彼に、サティが困惑している意識を逸らそうとヒルデガルドが咄嗟に口を開いた。


「やっぱり買い過ぎたって思ってたのね!」

「だってどう考えても鞄、小さいのに」

「木箱持って歩くよりマシでしょ!悪かったわね見境無くて!預かってくれててありがと!!」

「あ、確認…」

「大丈夫!!」


紙袋をサティの手元からひったくるように奪い、考え無しに魔導具を押し込んだ。

蓋として折り返す間も惜しんで急いで踵を返す。

人のまばらになった教室へ駈け込めば、リリが眼を丸くして口を開いて固まっていた。


「ひ、ヒルディ、やだどうしたの?」

「やっばい踏み抜いたかも」


「ヒルデガルド」


背中を撫でるような声音に悲鳴を上げそうになった。

数拍の後、そろりと振り返り見上げれば、無表情のモーリスが佇んでいた。

リリの驚愕はどうやら駆け込んで来た親友ではなく、この幽鬼のような様相をした男にだったのだろう。


「…なに、モーリス」

「…………」


静謐な間はすぐに決壊した。

ぽろり、ぽろりと珠のような涙がモーリスの水色の瞳から幾つも零れ落ちる。


飛びあがる程驚いたのはヒルデガルドだけじゃない。

いい歳をした、もう身体は青年と呼んべるような男が、人前で泣くなど外聞が悪すぎる。


阿吽の呼吸でリリがヒルデガルドの背を押し、行けと顎で示す。

モーリスの腕を掴み、ヒルデガルドは息をするのも忘れて教室を飛び出した。

鈍足の駆け足で向かうのは屋上へ続く階段だ。

屋上に出る扉は施錠されているが、人の気配が無いすぐに使える近場はここくらいしかない。


されるがまま導かれるまま、モーリスは階段に座らされ、流石に目元を両手で隠して項垂れていた。

ヒルデガルドは階下を覗き込み醜聞のざわめきは無いかと耳を澄ますが、どうやら幻として処理されたようだ。


(…そりゃあ、あのモーリス・ラゲールが人前で泣くなんて、私だって思わないわよ…)


はぁ、と安堵と気疲れから思わず零れた溜息に、ガタリと大きな物音が背後からした。

振り返ればまだぽろぽろと綺麗に涙を落とす男が青白い顔でヒルデガルドを見上げていた。


まるで怯えた幼子のように戦慄き震える薄い唇は、何を告げるのだろうか。

ヒルデガルドはモーリスのように、そう、ポンコツ相手にくれてやろうと思う程人が出来てはいない。


だから心地良い言葉も、穏やかな空気感を演出することもせず、ただただ無言で彼の眼を見つめ、彼の言葉を待った。


急かすこともせず時間は無限のような錯覚を覚える程。

遠い人の気配は、もうすっかりと感知できない程に無くなり、見上げて涙する男の浅い呼気と時折階下の窓が風で震える音だけがした。


「――……ルド…、ヒ……ド」

「なに」


「ヒルデガルド…」

「…はい」


「……ル、デ………っ」

「はいはい」


こんなにも静かな空間ですら聞き漏らしそうな程、か細く、掠れた低音なのに。


「――っ、……ド、ヒルデガルド…」


叫んでいるように見えてしまうのは何故なのだろう。


藻掻くように伸ばされた指先を、鏡面のようにヒルデガルドは指先で押し返した。

思いの外弱い力のモーリスの指先は硬かったし、大きさも全然違う。


縋り広げられ、遠慮なく掴もうとする彼の掌からそっと小さな手は逃げ去る。


「くるし、い」


モーリスの涙はまだ止まらない。

こんなに鳴き続けてこの男、萎びて枯れてしまうのでないのだろうか。


最初は血色の無かった顔だが今は違う。

目元を真っ赤に染め眉もぐしゃぐしゃにして、何なら鼻水も出ている。


届かなかった彼の右手は胸元に戻り、血管が浮き上がる程強く、震えて、胸を握り締めていた。


「ヒル、デ…ドっ、くるし…!」

「私が居ると苦しい?帰っていい?」

「っ…、ぁ…!」


何度も頭を振っては、眩暈でもするのかぐらりと上体を折り曲げ、蹲る。

自分よりも上背のある男なのに、なんとちっぽけな姿なのだろう。


見下ろしながら、絆されてしまいそうな自分を落ち着けようと深い呼吸を繰り返す。


未だに彼はくぐもった声でヒルデガルドの名前を叫び丸めた背を震わせる。

握り締めて青白い左拳が揺れる度、彼の手首で鎖が擦れる音がした。

淡い光の中で鈍く輝く魔石がまるで火の粉のようにちらちらとヒルデガルドの眼に刺さる。


無責任に、「その感情は恋よ」と教えるのは簡単だろう。

でもそれをヒルデガルドはしたくなかった。


きっと彼の以前話してくれた生い立ちは、ヒルデガルドが思うよりももっと複雑なのかもしれない。

心を平らにして、人とぶつかり合わない穏やかささえあれば生きてゆけると信じてしまう程に。


そうやって繕うのが彼の生き方なのであれば、激情を知らぬその身はさぞ焼き焦がれ苦しいだろう。


(『―― 私はヒルデガルド・デイビア、南の火輪』、我ながらその通りだわ)


なんて、下らない事を考えてしまう程に時は間をおいてモーリスがやけに静かになった。

まさか死んだとか無いわよね、と思いそっと顔を近づけ確かめる。



「ちょっとアンタ何失神してんのよ!馬鹿じゃないの!??だ、誰かーーー!!リリー!!!」



鈍足で講師室に転がり込み凄い事情を聞かれたが、語るヒルデガルド自身正直さっぱりだった。



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