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27:岐路を思えば


「…知能上がった?」


どれくらい抱き締められていただろうか。

ヒルデガルドが軽くモーリスの腕を叩き、解くよう促す。

胸元に響くくぐもった声も、身動ぎのくすぐったさも離れがたさを助長しているとは知らず、もごもごと動く腕の中の人をモーリスが一層力を込めれば細い背がしなり、柔らかい感触が肌を満たす。


「「!」」


それに息を呑み、思わず身体を離したのは恐らくお互いだった。

仰け反るヒルデガルドの瞳も、見下ろすモーリスの瞳も、驚愕に見開き羞恥の朱を刷いていた。


「ちのう」

「……知能は上がらなくてもちょっとは落ち着いたみたいね」


誤魔化す様に視線を下げ、軽く彼の腕を叩いて宥めつつヒルデガルドは対面の座席へと移った。

その白い手が、馬車の扉に掛かるのを呆然としながらモーリスは見つめていた。


「…うん、ありがとう」

「もっと感謝なさい、そもそも私への御礼で誘ったんでしょモーリス」

「そう…僕が嬉しかったくらいにキミが喜んでくれたらって、行先考えていたのに。

寮から出て来たキミがあまりにも可愛くて、嬉しくて、知能低下して、それでも帰りたくなくて」


ぽつり、ぽつりと零すモーリスの視線は未だに扉に掛かるヒルデガルドの指先。

だからか、語られているのは自分自身であるはずなのに、彼の言葉はどこか吐露される懺悔のようにヒルデガルドには聞こえていた。


「湧き上がったまま抱き締めたら落ち着いたのに…帰ろうって気持ちにはなれないね」

「いや帰りなさいよ」


その為に抱き締められたというのに、という言葉を飲み込む代わりにヒルデガルドは半目で相手を見る。

しかし相手は分かっているようには見えない、どこか陶酔したような緩い視線を返すばかりで、見つめ合う時間に比例してその口元までゆるゆると解けてゆく。


「かわいい」

「なんなのよもう!制服に着替えたら落ち着く訳?!」

「着替えてしまうの?そんなに可愛いのに…すごいかわいい、やっぱりかわいい」

(語彙が死んできている…)


褒められて悪い気はしないのだがここまで正気を失う術にでも罹ったように猫可愛がりされるといっそ恐怖すら感じる。

ヒルデガルドはいい加減にしろと気持ちも込めて、馬車の扉を押し開き歩道へ降りた。


振り返り見上げた男の表情の、えも言えぬ情けなさと言ったら。


(無いわぁ…)


腕輪の御礼にと誘ってくれたのは、まぁ良い。

ちゃんと何処に連れて行こうかとか考えてくれていたと聞いた時は、素直に嬉しかったし。

寮まで迎えに来てくれた時、不覚にも心が高鳴ったのも自覚している。

お世辞じゃなく、もうくどくて砂を吐きたくなる程だが、服装を褒めてくれたのもくすぐったかった。


可愛さ余って抱き締めたい、という希望も叶えてあげようかと尊大に思うくらいには自惚れた。

自分が予想以上に煽られたのは悔しいが、嫌でも無かった。

申告通りにした割に会話らしい会話も出来ない程、彼の知能は復活しなかったのは腹立たしくもあるが。


終始、学園生活では秀才と褒め称えられ、好敵手としてヒルデガルドも認める男の。

この、なんとも言えないポンコツな姿。


その片鱗はもしかしたら最初から見えていたのかもしれないなと、堪らず、ヒルデガルドは笑った。


「なんて顔してるのよ。

思うところがあるなら正して、出直しなさいモーリス」


恐らく正しく思うところがあるのだろう。

モーリスはぎゅっとその胸元を握り締め、扉を閉めるヒルデガルドに何も言い返さなかった。



 随分待たせてしまったであろう馭者に一声謝罪を述べた後に、ヒルデガルドは足早に乗り合い馬車の駅へ向かい、慣れた様子でその身を座席に滑らせた。


(あーあ!折角おしゃれし…いや、ご機嫌な格好してるんだし、そう、うん)


鞄から小さな鏡を取り出し、小走りで乱れた前髪を手櫛で直し終わる前に馬車が動き出した。

ガタリと大きく揺れる窓の外を眺めながら考えるのは、どうしてもあのポンコツ男の事だった。


(普段は穏やかの極みにあるのになぁ…。

一年のサティの時くらいしか、穏やか以外の感情が乗った声、聞いた事ないかもしれない)


硬い座面に打ち上げられ何度も跳ねる髪を手慰めで遊ぶ。

人の髪を結う機会も少なければ、自分の髪を纏めるのもそれ程ない彼女は、それはそれは満足する形に整えるまで時間が掛かったものだ。


(かといって別に負の感情でも無かったか、あの時は。

そこそこ悲しそうな顔は何度か見たけど…浮かれている時あんなポンコツ極めるとは思わなかった)


昨日の朝だって、きっと、恐らくポンコツっていたのだろう。

腕輪を嬉しかったと喜んでいたのは、懸命に用意した此方としても素直に悦ばしい事だ。

随分一方的な会話をされたのは確かだが今日に比べれば昨日の方がまだ、話は、していたような。


(いや、よく分からないわ…なんかもうはしゃぐ大型犬のように思えてきた)


モーリスに大型犬程の愛嬌はないのだが。

感情を留めることなく顔に出し、取り留めのない言葉を零すあの知能の低さが犬っぽさを感じさせた。


(リリが「躾」とか言ってた意味が良く分かったわ)


確かにあのポンコツっぷりのまま、学園で絡まれるのはヒルデガルドの望む形ではない。

せめて人間同士として対話をして欲しい。

内心で人間扱いしていないのはヒルデガルドの方なのだが、そう思わせるのはモーリスだ。


(…でも)


ふ、とヒルデガルドの口角が緩む。


それだけ、あの穏やかで凪のような人が、ポンコツになるくらい、自分が贈ったものを喜んだのかと思うと存外気分が良かった。


やがて速度を落とした馬車から降り、小銭を支払うと軽い挨拶を残して雑踏へと向かった。

学園が休日の今日は、世間的にも休日であるため通りは人で溢れ賑やかだ。


お忍びを装ったつもりだが隠しきれない気品を携えた淑女とその腕をとる紳士の服装は、先程のモーリスよりもしっかりとした生地で仕立てられたものだ。

女性ものの日傘を持ちそっと相手を慮って歩く姿は物語のようで、美しい。

後を歩く護衛達の少し気だるげな足取りも、街並みの穏やかな賑わいに溶け込み微笑ましい。


他にもヒルデガルドと同じ年端の少年少女が気楽な格好で手を繋ぎ、ショーウィンドウを覗き込んでは笑っている。

小さな子を片手に抱き上げ、逞しい腕で大きな荷物を軽々と持っている母親の、屈託ない笑顔を喝采するパン屋の声。

どこからともなく聞こえる吟遊詩人の奏でる旋律を、店舗のドアベルが悪戯に笑うようにあちこちで鳴り響く。


そんな中をヒルデガルドは鼻歌交じりで歩き、さてどこへ行こうかと心を躍らせた。


(書店も良いけど、荷物を増やしそうだし…あ、いい匂い焼き菓子食べようかな)


気の赴くまま焼き立てのちょっとした菓子を小窓から受け取り、行儀悪くも頬張りながら歩く。

店のおじさんは商売上手で、「お嬢ちゃんおしゃれして素敵な休日かい?いいね!」と少しばかりおまけもしてくれたから、増々ヒルデガルドの心は躍った。


出だしが悪いとは言わないが、予期せぬ予定変更でも楽しいものは楽しい。

ご機嫌のまま、お気に入りの文具店へ足を向け扉を開こうとした際、勝手にその取っ手が動いた。

咄嗟に身を引き後ろに下がると、相手も分かったのか、最初の勢いを消してそろりとその扉が押し開かれた。


「ぇ」


そこから顔を覗かせ、眼を見開いたのは見知った人だった。

みるみる間に彼は顔を赤くしてゆくのを、ヒルデガルドは不思議に思って思わず店舗の看板を見上げてしまった。


(別に、文具店に居たって恥じる事じゃない、わよね?)


年頃の男子らしいものが取り扱われている訳でもないしと、小首を傾げてみせればやっとサティも自分の動きが止まっていたのに気付いたように慌てて扉を開き切り、中に入ろうとしていたヒルデガルドをまるでドアマンのように応対した。


「偶然ねサティ、何時からドアマンになったの?」

「び…っくりしたよデイビアさん…思わずドアマンになるくらいには。

ぶつからなかったかな?大丈夫だった?」

「アハハ!ドアありがとね、大丈夫よ」


店舗外に出ようとしていた筈のサティは律儀にも、ヒルデガルドと店舗の中に戻ってきた。


「買い出し?」

「そう、ペン先をね…デイビアさんは?」

「実はね…冷やかしよ」

「それは店の人に聞かせられないね…」


わざとらしく声を潜めれば、ノリ良くサティも声を潜め肩を竦めて見せた。

学園の中で話すよりも随分軽い調子で答えてくれるのだな、と思うのはヒルデガルドだけでなく相手もなのか、躊躇いを見せたのはほんの僅かですぐに口を開く。


「ね、これから魔導具の中古店に行こうと思ってるんだけれども…どう、かな」

「素敵ね、良いわよ。私、魔導具を見る目はそこそこ確かだから任せて」

「そう言ってくれると思ったの、分かってた?」


ぱっと頬を赤らめながら嬉しそうに笑い、肩を揺らすサティの様子に見ている此方も楽しくなる。

なんとなくね、とヒルデガルドも肩を揺らしながら入ったばかりの文房具店を出て雑踏を進む。


「…私服、初めて見た」

「私もサティの私服初めて見たわ。淡い色合いは貴方の雰囲気に似合うわね、素敵よ」

「ありがとう…ヒ…デイビア、さんも凄く似合ってる…髪型、結うのも、素敵だ」

「ありがと!でも慣れないから時間掛かっちゃうのよ」


苦笑しながら毛先を指先で揺らすのを、眩しそうに眼を細めて見つめるサティの穏やかな気配が心地よい。


「…魔導具の改造にも慣れているし、細かい作業も得意そうだけれど」

「道具を使うのはね、指先で見えない場所を感覚でってのがどうにも」

「僕は妹の髪を結うのは得意だけど魔導具の改造は別だよ」

「何よ、分かってた事じゃない」

「デイビアさんならって思って」

「高評価ありがとう」


他愛もない話をしている内に目的の店に着き、扉を開くサティのエスコートを受けてヒルデガルドも店内に入った。

壁一面所狭しと箱が並べられ、どこに何があるのか一見すると分からないこの雑多な感じ。

徐に表に出ている魔導具がこれまた雑に転がっているのがなんとも言えず、まるでおもちゃ箱の中に放り込まれた心地にヒルデガルドはなった。


「なにこれ!楽しい!」

「まだ何も見てないのに」


思わず壁に駆け寄るヒルデガルドを見て、サティがくすくすと喉を鳴らす。

少し大きな声を出してしまったが、幸い店内に他の客はおらず、しわくちゃな店主が微笑ましそうに頷いてくれただけで済んだ。


「デイビアさんが利用するのは大通りのところ?」

「そう、というかそこばかりでしょ学園生って」

「種類分けがしっかりしているものね…あと品質がそれなりだし」


中古の魔導具もピンキリだ。

完全に壊れたものでも、導図が分かる状況のものしかほぼ大店では取り扱いが無い。

もしくは完全に導図を抜いたものなどが置かれており、サティが連れてきてくれたこの店のように、一部が壊れているだけのもの、部品だけのものなどはあまり棚に扱われていない。


「僕はまだ、こう…しっかりと何がって考えながら弄る訳じゃないから。

この店の中眺めて、ここ直したら動くかな、とか考えながら手に取るのが楽しくて」

「そうね、それ絶対面白そう!ねっホラこれとか一年次の内容で出来る奴よ!」

「デイビアさんには簡単すぎるでしょ」

「ワッ!待って待って軍用まで入ってる?!噓でしょ?!」

「嘘じゃないぞぉー当たりもあるぞ嬢ちゃん」

「ええー!!探すぅ!」


思わず店主の声掛けに全力で答えたヒルデガルドを、隣のサティまで声を出して笑った。


その後はもう脳内物質をドバドバ出しながらの宝探しだ。

少し大通りから外れた店だからか、来客はほぼなく、店の隅を借りて幾つもの箱をがしゃがしゃと音を立てて漁り、これはどこを繋げばいい、こっちはさっきの部品を組み合わせてこう使えるように直してみても面白いかもしれない、と一人、偶に店主を巻き込んではしゃぐヒルデガルドを、サティが終始にこにこと見守っていた。


「アッ!!ごめん、サティの探し物!どれ?!何!」

「ふっ、はははは!いいよ、大丈夫、適当に見るから…楽しい?」

「楽しい~~~~~~!!」

「ホレ嬢ちゃん、おまけ」

「やったー!ありがとうございます!!」


結局夕方の鐘が鳴るまで、昼食も忘れて没頭してしまったヒルデガルドだが、掘り出し物をあちこちから探し出し両腕に抱えて心はいっぱいいっぱいであった。

金欠で中々集められない魔導祭用の魔導具素材もいくつか格安で揃えることが出来たのは行幸だった。


小さな鞄では入り切らなかった素材をサティの鞄に詰め、慌てて乗り合い馬車乗り場までの道のりを二人で早足で歩く。

道中、流石にお腹が減ったと零すサティへ申し訳程度の軽食だが奢るも、結局匂いに堪え切れず乗り合い馬車を待つ短い時間、ベンチに腰掛けて二人して食べる事にした。


もそもそと咀嚼していたものを何とか飲み込み、ヒルデガルドは隣のサティを見上げた。


「ごめんね、結局こんな時間まで付き合わせちゃって」

「気にしないで大丈夫だよ?一人で時間潰すよりずっと…ずっと、楽しかったし」

「そう言ってもらえると嬉しいわ。

夏休みにも実感したのだけれど、やっぱり誰かと一緒に魔導具改造するの楽しくて時間忘れちゃうのよね」

「長期休暇中?何か作ったの?」

「うん、ちょっとねー」

「魔導祭用のかな…デイビアさんが作るの興味あるけど怖い気もする」

「魔導祭に持ち込める程度だからそんな構える程のものじゃないわよ」


軽く手を振って見せるものの、サティは苦笑を浮かべて食べかけの食事を頬張る。

一口が思ったよりも大きくてみるみる内に消えてゆくのを見て、慌ててヒルデガルドも口に入れた。


「ゆっくり食べててよ、まだちょっと時間あるし…飲み物買ってくる」

「っありがと」


照れくさそうに微笑み頷いて売店に掛けてゆく背を暫く見送り、先程よりもゆっくりとした速度でヒルデガルドは咀嚼した。


目の前に居るのはサティなのに、ふとした瞬間に。

「モーリスと今日、こうだったら良かったのにな」と考えている自分が凄く嫌で、サティに失礼で堪らなかった。



飲み物を呑み終え、サティに持ってもらっていた部品を受け取ろうとしたら、彼はもういっぱいいっぱいのヒルデガルドの鞄を指さして言った。


「もう流石にそれ以上は鞄が壊れてしまうよ。学園で渡すよ、休み明けにすぐ持ってゆくから」

「いや、でもそれは悪いわ。まだ手に抱えて持てるし」

「手が塞がってるのは馬車と言え危ないから…僕の我儘だけど控えて欲しい、ね?」

「…ありがとう、サティ」

「ん、また学園でね………デイビアさん」


じゃあねと軽く手を振り見送る彼が、やはり、「ヒルデガルド」と呼ばないのも、わざわざ寮まで送らない気遣いも、きっと朝の出来事が無ければ純粋にむず痒く思えたのに。

今はただただ、申し訳無かった。



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