閑話:嵐の中で男は
「24:彼は自ら知らず浮かれていた」のその後、帰宅したモーリス視点の小話。
「お帰りなさいませ、坊ちゃま」
「ああ、ただいま…」
(おや)
まだ陽のある時間。
普段であれば、学園から邸へ帰宅した優秀な子息は恭しく出迎えた執事にその日の夜までの予定や必要な言付けをすらすらと述べ、愛想と呼ぶ程ではないが、それなりに穏やかな態度で自室へと向かう。
それがどうした事だろうか、控えた侍従へ荷物を寄越したモーリスの視線は少し下がり気味で。
白磁の肌に濃い色の睫毛が生み出す陰りがその顔色を悪く見せるものだから、執事は学園の本日の予定を思い出しつつ、彼の体調を慮って声を掛けた。
「何か温かいお食事をご用意しましょうか?」
「え?いや、茶で構わないよ」
「畏まりました」
見慣れた廊下の先で待つ侍従がモーリスの私室への扉を開き、やっと彼が立ち止まったのは衣装室の一画。
薄日がレースのカーテン越しに差し込む室内はチカリ、チカリと窓辺で木々の揺れに合わせて煌めきが躍っていた。
それをぼんやりと眺めては、静かに、丁寧に、彼は何度も瞼を閉じては開く。
「セシル様より本日ご来訪伺いの先触れを頂いております」
「いいよ、今日は邸に居るから」
「ご用意しておきます」
ここのところ勤勉な跡継ぎは、侯爵家の執務手伝いよりもダンジョンへ向かう日の方が多かった。
長期休暇中は他領へと赴くなど精力的に活動して経験を積んでくれるのは、亡き嫡男を知る使用人として心強くもありその姿勢を好ましくも感じている。
だが彼はまだ学生の身分。
学業も家業も、そして王都貴族の務めもとほぼ休みなく動き回るばかりなのは、心配でもあった。
(人に言われずとも自主的に休む事が出来る程度に、自己管理もしっかり出来る御方ですが…)
執事は本日の出来事を報告しつつちらりと青年の兆しが垣間見えるもまだどこか幼げな横顔を盗み見ては、泰然と唯一揺れる目元を観察する。
邸に来た幼少の頃から、モーリスの瞳は凪いでいた。
諦念までとはいかなくとも年相応に似合わない程落ち着いた水色は、喪失に沈んでいた侯爵家に不思議とするりと馴染んで、静かに溶け込んでいった。
市井で暮らしていた彼に押し付けられた大人の都合に、文句の一つも零さず、悪態や反抗など欠片も見せず、まるですぐ眼前にあるのに波紋を起こさぬ、匂いだけの水鏡のような人。
与えた知識の分だけ賢くなり、刺激を与えた分だけその身体は戦いを覚えた。
特に魔導に関しては天賦の才を見せあっという間に家庭教師はもう教える事は無いと暇を申告する程。
きっとモーリスでなければ己で学び方を見いだせず、今ほどに魔導の才を伸ばす事は出来なかったと執事は思う。
それ程、それなりに自身で完結して、彼は安穏な「個」を保っていた。
癇癪も起こさず、感情の起伏も平穏しか見せないもので、手も掛からなかったからと言い訳をさせてもらうも結局養父母が彼のその性質に気付いたのは引き取ってから随分経っていたと思い返せば、成程幼少期とはどれほど人の成長に大事なのか分かるというもの。
十歳を越えてから幼馴染としてレミック侯爵家の子息セシルと共に遊ぶようになり、薄く、漸く、彼の中で「他人」以外の人間枠が生じたのだろうと、見守る側がやっと安堵の息を吐いたのは記憶に新しい。
可愛いからと幼少期のままドレスで茶会に赴く幼馴染を、ありのまま、セシルが望むまま丁寧に接する優しさはモーリスの美徳であるが、ラゲール邸にはないセシルの賑やかな性格も相俟って、中々先を見越した話が進められないのは今も猶邸の主人の悩みの種だ。
だが今年の長期休暇に入ってから、そのセシルがドレスではなくズボンを着て邸へ訪れる機会が増えた。
美しく整えていた金の巻き毛も惜しみなく切り落とし、目元や口元を更に愛くるしく盛り立てていた化粧も控えめになった。
歩き方も意識しているのかすぐに様になって、ズボン姿のセシルがラゲール邸の中を歩いていても「お嬢様」と声を掛ける人間はいない。
親しみある少年の心境に変化があったのは明らかで、その成長を見守る側としても微笑ましいし、どうか健やかであれと幸せを願うばかりだ。
が、反して我らが子息はといえば特段変化が見受けられなかった。
(…と、思っていたのですが、私も耄碌しましたかね)
着替え終わり早々に執務室へと向かうかと思ったモーリスは、自室の窓辺の一人掛けに腰を下ろすと、相変わらず言葉も呼気の様子もさせず、静かに窓の外を眺めていた。
小さなテーブルに茶器を並べる音や使用人の衣擦れの音が、やたら大きく聞こえる程の静謐は物悲しさすらある。
「学園の試験、此度も首席とお伺いしました。おめでとうございます」
「…………ああ」
「坊ちゃまがお探しになっていた、試験の設問に関する書籍もご用意出来ましたよ」
「うん、ありがとう」
(おやおや)
学園の、それこそ彼の興味関心が高い魔導の雑談を振れば、香り高い茶に口をつけつつ自然と会話してくれるのが常なのだがその反応も芳しくない。
彼は未だ窓の外で、そよと風に揺れる木々の木漏れ日を見つめていて動かない。
声が聞こえなければ一枚の絵画かと見間違う程。
「気も漫ろ、とはこの事ですね」
ふ、と思わず執事が零し、モーリスと同じく窓の外を見つめる。
「落ち着いているようには見えない?」
やっとモーリスが動き茶器へ手を伸ばす様子に、執事が眼を細めた。
「人それぞれでしょう、心がざわめく時の様子は。
坊ちゃまの場合は微動さえ制し律するのですね」
「お前ならどうなる?」
「私の場合は親しい人に話す事で昇華しますね、まぁほぼほぼ制しますが」
「自制は大切だものな」
音もなく香り高い茶を飲み、やっと穏やかにモーリスの瞳が緩む。
柔らかな水色の瞳に生気が戻るのを見届けて執事は内心安堵と共に、高揚を覚えた。
怒りではないのだろう。
だとしたら、困惑か不安か。
見せた事の無い、彼の感情の発露を、揺れない水面に波紋が描かれているのを今この瞬間、見届ける事の叶う己の幸福に心が奮えた。
「自制とは、その形を己で把握しているからこそ出来るものと愚考しますよ」
微笑む執事を見上げるモーリスの表情は、幼いと称するに値した。
眉が寄せられている訳でも、瞳に涙が湛えられている訳でもない。
口元だけがやや、力無く薄く閉じられているのが感じられる程度の弱り具合。
だがそれが何とも愛おしくて、愛らしく思えた。
「驚いた…その通りだ」
「光栄です」
「自分で良く分かっていなかったらかなのか、そうか」
茶器を音もなく置き言葉を噛み締めるように彼はまた、そうか、と呟く。
そのまままた固まるかと思っていた彼は少しばかりの笑みを口元に刷いて執事を見上げた。
「ありがとう、少し視界が拓けたよ」
執務室で書類を手癖で片付けながらモーリスは一人思考を巡らす。
先程執事に進言された、自分で形を捉えらない感情や思考を整理するためだ。
(好敵手とは対等であるべきだからこそ、講師に進言したのだが)
試験結果が同率の際、何を基準に記しているのかと問えば「入試の成績」と答えられたに過ぎない。
そしてそれが果たして在学中の評価に使用するのは正しいのか、とモーリスは疑問視しただけだ。
名誉あるフロイディヒ魔導学園に入学し、その後の努力としての結果が在学中の定期試験であるのだ。
そうじゃなければあれ程努力している彼女が、他の学生が報われない。
モーリスはそんな気がして零した苦言ではあるものの、だからと別の基準を提示しなかったのもきっといけなかったのかもしれない。
(…いや、恐らく、彼女が不満だったのはそうじゃない)
そもそもヒルデガルドが学園のやり方、講師の判断方法に文句があれば前期で既に進言しているだろう。
思い起こすのは二学年が始まってすぐの頃。
講師室で三年の講義内容の補足を受けていた時に、訪れた彼女の歯痒そうな面持ちを思い出す。
(ああ…あの姿をすぐに、思い出せば良かった)
彼女は対等な状況下で競い合いたかったからこそあんな顔をしていたのだろう。
勿論それは彼女の勝手な都合であるものの、評価する側への訴えは、モーリスに周囲と同じ学生生活を送らせるべきというものだった。
モーリスが冬の間に受けた試験を、自分も受けさせろというものではなかった。
(下手をした)
ヒルデガルドはまっすぐな人だ。
人に評価される事を恐れず、己が満足しない限り止まらない。
相対的な評価よりも絶対的な評価を信じ、実力で周囲を納得させるのだと意気込むあの気概は気持ちい程だ。
ふ、と自然に口元が緩む。
一年の頃、モーリスの魔導を見ては質問や意見を交わし、真剣に考える横顔が記憶には朧げで。
何故もっとよく見ておかなかったのだろうかと回顧する。
未だ横顔で思い出すのは夏の気配が香る、談話室。
何故彼女が冒険者に構うのかを語りながら陰る頬に涙を伝わせるも、その悲しみも寂しさも、話をしているモーリスへ投げ掛け縋るものでは一切無かった。
あの涙が捧げられる先、親愛は亡き人へと。
やはり彼女はまっすぐに、一度も顔を伏せず語ってくれた。
「………」
王都の冒険者ギルドでも彼女の涙は見た。
だけど、全く違う涙の種類だったなと、モーリスは指を止め、知らず息を零す。
建物の薄影で怒り、諦念すら浮かべて涙するヒルデガルドを思い起こし、脳の奥が痺れた。
その痺れは止まっていた指先を震わせ、無意識に握りしめていたと気付く頃には掌に爪痕が残っていた。
(…人に、怒られるとはもっと悲しくなるものだと、考えていた)
じわりと広がる感覚は、甘さに似ている。
(だから、僕は彼女を怒らせるのを怖がらなかったのか?)
自身がとった軽率とも言える今日の出来事は、普段であれば彼女の考えをもっと懸念した筈だ。
一体何が自分を突き動かしたのだろうか。
その形が今だ見えず、気付けば積みあがった書類は既に終わっていた。
何もない机の上を指先が滑り、そのまま動かなくなる。
(僕は彼女が怒るとも、きっと考えていなかった)
最後の書類を書き上げ、呼び鈴を振り従僕を呼び出す。
指示を出し終え再び執務室に沈黙が満ちると、モーリスの背が重厚な椅子に沈む。
自然と目は閉じられ、深い息が零れた。
赤黒い視界の中チカリと何かが光るのを手探りすれば、意識は徒に何処かへと向かう。
「…」
人はこれほどまでに、刹那を印象的に、覚えることが出来るのかと、呆れに似た驚愕。
あの日から数日しか経っていないのに幾度なく瞼に描いた、ヒルデガルドの嬉しそうな表情。
普段は強気に煌めく青紫の瞳が、喜びに満ち溢れて、揺れて。
血色のいい頬の赤味は目元までも染め上げ、その血潮の温かさを思えば眩暈がした。
弧を描く唇の合間から覗く白い歯のなまめかしさにずくりと腹の中で何かが蠢いて、全身が脈を打つ心地に思わずあの瞬間、胸を押さえた。
「…はぁ」
今猶、思い起こす度に、胸の中心辺りがきゅうと甘く絞まり、堪らず口から吐息が零れる。
(あれがきっと、「可愛い」)
幾度となくセシルが華やかなドレスや小物などを前に零していた感情。
胸が高鳴り躍り、時にきゅっと締め上げられる苦しさすら甘受したくなる程の、悦び。
楽しそうな幼馴染の姿を微笑ましいと思うのも同じ可愛いと称するものだと理解していたのだが理解しきれていなかったのだろう。
成程確かにこの感覚は、癖になってしまうのも頷けるというもの。
「…」
忘れたくなくて、瞼から消えて欲しくなくて、何度も思い返し脳髄に覚えこませようとするのに。
如何に努力しても端から擦り切れるようで、そうじゃないんだと己の記憶に満足出来ない心地がある。
(だから、もう一度見れればと…僕は思ったのだろうか)
ふと過った考えが、静かにモーリスの瞼を持ち上げる。
もし傍に執事が控えていたのなら、ぼんやりと天井を捉えていた彼の瞳が、見る見るうちに困惑と絶望に染まるのに悲鳴を上げた事であろう。
(彼女は与えられるものを甘んじて受け入れるような人じゃないのに。
自らが得てこそ価値があると誇り高い人だと僕ですら分かるのに…ああ、下策どころの話じゃない)
堪らず瞼を強く閉じるも浮かぶのは、彼女が怒り、悲しみと諦観を瞳に滲ませた姿。
図書館や、王都ギルドで目にした時には抱かなかった叫び出したくなるような激情が再びモーリスを苛む。
堪らず頭を抱えぐしゃぐしゃと髪を指で掻き混ぜるも、怒った肩から力は抜けない。
(あんな顔をさせたかった訳じゃない、ヒルデガルド…!)
きっと、モーリスと対等であると示せば彼女はまた、あの可愛らしい表情を自分に向けてくれるんじゃないかと浅ましくも考えただけで、怒らせるつもりもましてや諦めて欲しかった訳じゃない。
本音を言えば競い合い続けたい訳じゃないとでも漏らしたら、きっともっと、あの真っ直ぐな瞳を自分に向けてもらえなくなるのだと気付いて、身勝手に怯えて、縋った。
口から零れた「勝たないで」にどれほどの感情が込められていたのか、モーリス自身が解っていない。
(謝らなければ…彼女が、考える『好敵手』を僕が思い違いで貶してしまった事を)
明日時間を貰えるだろうか。
もっと話をして、彼女の事を、考えている事を知らなければきっとまた同じ事を繰り返す。
こんなに自身が自分本位だとは思わなかった、とモーリスは歯痒さに苛み噛み締める。
ギチギチと指先で己の頭を痛め締め付けるものの、胸の息苦しさを全く紛らわせてくれやしない。
(ヒルデガルド、ヒルデガルド…!)
叫びたい彼女の名が堪らず、溢れ出す。
その度に、確かに心は痺れ震え同時に息苦しさが高まるのに、懲りずに何度も叫ぶ。
苦しくて苦しくて、申し訳なくて、堪らなくて、思考が纏まらないのに止まらないのだ。
堰を切ったように溢れてくる綯い交ぜの感情に暴れ出したくなる身体を押さえるので精いっぱいだった。
そうして、どれほどの時間が経っただろうか。
何時しか灯りの無い執務室はぼんやりとした陰影さえ失っていて、顔を上げたモーリスは呆然とした。
把握しかねる感情の形を知ろうと、整理していた筈なのにただただ嵐に舞う木の葉のように振り回されてばかりで一向に兆しが見えない。
人に話してどうにかなる執事の気が知れないとすら思ってしまうのも、仕方が無い事だろう。
長い、深い溜息を数度吐き切り、ゆっくりと立ち上がったかれは漸く執務室から出ると、すぐさま早足で近づく執事へ視線を寄越した。
「セシル様がいらっしゃっていますよ」
「…待たせてしまったか」
手櫛で崩れた髪を整え足早に応接間へとモーリスは向かった。
明るい応接間に一瞬目が眩むも、その気配を微塵も零さずにソファーに腰掛け本を開くセシルへ微笑みかけた。
「ごめん、随分待たせたね」
「んーん、お仕事お疲れ様っリースお兄さま!」
屈託なく満面の笑みを浮かべるセシルの頬を、短くなった柔らかい髪が滑り落ちる。
淑女のように長い髪も彼にはとても似合っていたし、今の長さも相変わらず彼の良さをより引き立たせていた。
対面に座したモーリスだが、セシルはわざわざ立ち上がり、その横へ座り直し嬉しそうに笑っては普段のようにほぼ距離を置かずに身体を付けた。
侯爵家の末っ子として可愛がられてきたからかセシルの仕草は歳の割に幼く、懐いた人物との距離感は特に近い。
それを本人も分かっているし、懐かれているモーリスも特に直そうとしないのだから、茶会や学園で噂になるのは尤もである。
しかしこのところセシルが性別に合わせた衣服を着るようになった。
周囲は、彼も学園に入学したし卒業後は流石に夜会などへ出席するのをしっかりと考え、慣らしているのかと予想していた。
「ここ数日セシルも忙しかったみたいだね」
お茶の用意が整うまでの間、ぽんぽんと頭を撫でながら他愛もない会話を紡ぐ。
水を向けられたセシルは小首を傾げながらも、はにかみを浮かべた。
「学園の反応の事?そうでもないよ!」
「騒がしくない?」
「賑やかさは増したけど、皆楽しそうだし…ああ、敵意は減ったかも?」
「それは良かったね。
でもまだ数日しか経ってないんだから気は抜いちゃ駄目だよ」
「ん!…ふふっ前よりもわたし、僕もっ、強くなったんだから!」
どうやら服装だけでなく一人称も変えようとする努力も続いているようで、何とも微笑ましいとモーリスも笑みを深めてセシルに頷いて見せた。
確かに、夏休みの猛特訓でダンジョンに通い詰めたお陰か、セシルの使う魔導も身のこなしも随分良くなった。
小柄な身体を生かして素早く動けるし、彼の造る魔導具は軍用を基礎としているから耐久値も高い。
慣れない運動に疲弊しているにも関わらず邸に戻ってもせっせと書物を紐解き、魔導具に向かっていると彼の家族からモーリスも聞いている。
小鴨のように後ろについてばかりいた弟分がせっせと自立しようとしているのは、嬉しいようで寂しいものだ。
「身のこなし方が随分良くなったものねセシー」
「でしょ!泥団子だって今なら避けれるのっ!」
「前もわざと受けていたでしょ…でももうそういうのしなくていいのは、良かった」
「別に、投げられても平気だもん」
唇を尖らせながらも、彼は胸元に仕舞い込んだ魔導具を服の上から大切にそっと撫でた。
緩慢な、何気ない動作なのに、とても嬉しそうにその口元や眦が緩むのをモーリスは不思議と眺めていた。
セシルの自作していた魔導具の校則違反を見抜いたヒルデガルドが手を加えたものだと、以前聞いた。
その時彼は不服そうにモーリスに愚痴を零していたが、一緒に回路を見ながらどこを直されたのかを話している姿はどんどん嬉しそうになって。
見てよ!と差し出された時よりも、その胸元に戻す時の手つきは随分と丁寧だった。
「守られるのは嬉しいけど、それだけじゃ格好つかないからね!」
モーリスを見上げて笑うその顔は、華やかで、迷いなく、キラキラと輝いていた。
「…でも、やっぱり、心配されるのも嬉しい」
「そうだね」
「リースお兄さまにもデイビア先輩にも!」
いそいそとセシルが読んでいた本の下から箱を取り出し、モーリスの膝の上に乗せてみせた。
そのまま彼はモーリスに凭れ、開けてみてと細い指先で箱を叩いては顔を見上げて笑う。
モーリスが、促され箱を開けるまで少し間があったり、動きが緩慢になったのは、セシルの言葉が引っ掛かったからに他ならない。
(いつの間に、そんな、ヒルデガルドにセシルは心配してもらう、立場に…?)
いや、確かに障壁魔導具を手直ししてもらったのは事実だし、それが彼女に心配されていると受け取るのを些かこじ付けに思うもののモーリスも否定しないのだけれども。
夏休みに入る前までは、セシルが少女のようにヒルデガルドに向かって果敢に喰ってかかっていた姿ばかりが印象に残っているからか、まるで懐いた人を語るような表情で彼女の名を口にしたセシルに妙な心地、焦燥を抱く。
弟分の独り立ちが寂しいのだろうか。
いや、寂しいという心地は、こうもジリジリと焦るような心地なのだろうか。
記憶にある書物や、観察した上辺の情動との差異に戸惑うモーリスの指先を、セシルは気にせず急かすように膝を叩いては、まるで贈り物にはしゃぐ幼い頃のように頬を赤くして笑う。
その様子を横目に思わず苦笑を零しながら、バネの利いた蓋を開けた。
「………」
「ね、…凄いよね」
白い布地に沈んでいたのは一対の腕輪。
少し太めの地金に埋め込まれ、細い装飾を纏った幾つかの魔石が灯りを受けて複雑な色で輝く。
取り出せば、着脱用の鎖が音を立てて滑り、揺れた。
思わず灯りに翳し、装飾の美しさ、魔導具の完成度にモーリスの唇から溜息が零れる。
「この太めの方、リースお兄さまにあげるっ」
「え?でもこんな立派なの、悪いよ」
「だめだめ!ちゃんと受け取って!」
にこにこと笑いながら、セシルはもう片方、細めの腕輪を丁寧に持ち上げ、自分の腕につけてはほぅと感嘆の吐息を漏らす。
その様子を見ていたモーリスもまた、手の中にある腕輪へ視線を落とした。
「込められている魔導回路の属性、もしかして僕用になってる?」
「だよ!ここ数日掛けてギルドに入り浸って詳しく見てみたんだけどさ!
本当凄いの…これ属性変えても多分稼働するように組み換え出来るように、その基礎構図が別にあるんだと思うんだけどさ、属性によって効果的に稼働するように魔石の質や素材を考えられているんだなって分かるのが感動的で」
「え、ちょっとセシーのも見せて」
「いいよぉ!あっでもダンジョン用だからここで稼働させないでね!」
「やっぱり?そんな感じはしていたけど…これ魔石共鳴まで組んでるの?
わ、それで瓦解しない回路構造作ってるの?どうしよう今すぐ僕もギルド行って試したいんだけど…。
なんでセシー声掛けてくれなかったの?というかキミが組んだのこれ?」
「僕には無理だよ!」
矢継ぎ早に言葉を紡ぐモーリスをケラケラと笑いながらセシルはとろりと瞳を緩めた。
その仕草だけでセシルが誰を思い浮かべたのか。
まさかとは思いつつ、予見した答えを声にするのにモーリスは唾を飲み込まなければならなかった。
「すごいよね、ほんとうにすごい。
受け取ったその日すぐにギルド駆け込んで、導図見て…僕泣いちゃった。
あまりにも綺麗で、複雑で、でも…真っ直ぐなの、導図から伝わる意志っていうかな、そういうのが」
思い出した今も泣きそうな顔をしながら、静かに語り、吐露するセシルの言葉には熱があった。
「普段だったら同じのを作れないか、もっと改良出来ないかこうしたら面白いんじゃないか!って。
あれこれ考えるのになぁってぼんやり思いながらもね、ほんともう、…手ぇ出せないの笑っちゃった」
モーリスに差し出していた腕をゆっくりと引き寄せ、セシルが腕輪を撫でる。
その指先の動きは、胸元の魔導具をなぞる動きと同じだ。
「ね、リースお兄さまと一緒にダンジョンで戦う時、一番効果発揮するんだよこれ」
「…は」
「リースお兄さま?」
言葉を失くしたと思ったら、急に項垂れ固まるモーリスにセシルが声を掛ける。
持ち上がった彼の顔を眼にした瞬間、若葉色の大きな瞳は更に見開かれた。
「ありがとうセシル…ごめん、ギルドに行ってくる」
「ぁ、うん」
そう言い残してモーリスはすぐに立ち上がると着替えもせずにギルドへ向かい、わざわざ頼み込んで魔導具開発用のラボを開錠してもらうと誰も居ない薄暗い室内で月明かりを頼りに腕輪の導図を開いた。
どこか、見た覚えのある、記憶に引っ掛かる導図と紋だった。
あの時は後ろ姿ばかりに気を取られて、まともに導図も紋も背景と化していてゆっくり見ていなかった。
振り向かない背中、編んだ赤い柘榴色の髪がゆらゆらと動いて、遊んでいて。
時折跳ねた彼女の声が心地良くて、会わなかった時間が長かった訳でもないのに、やたらと身体に沁みた。
それでも足は踏み出せず、声を掛けるには喉は絞られていて、気が付けば建物の外に居た。
「…ヒルデガルド」
あの時呼べなかった名を紡ぐ唇は自然と銀の腕輪に寄せられていた。
静謐な月明かりの中、彼は形が保てなくなるのではないかというほど荒れ狂う激情に、ただ涙を流した。




