死人の朝は早い
「律ー? もう朝だよー」
「あと、少しだけ...」
早朝、誰かの呼ぶ声にぼんやりとした意識の中僕は曖昧に返事をする。ちなみに今の僕にこれっぽっちも起きようなんて気はさらさらない。相手に黙っててもらう為に仕方なく返事をしているだけ。
「さっきもそれ聞いたんだけど」
睡魔に襲われ朦朧とする意識の中、声を無視しただその快楽に身を委ね再び目を瞑る。そこにあるのはちょっとした良心の呵責とそれを遥かに凌駕する幸福感。なんならその罪悪感もちょっとしたエッセンスみたいなものだ。
「あーもう...永遠に眠らせてあげようかな?」
「おはよう、詠巴」
しかし、どうやら今朝の朝食には調味料ではなく毒が混ぜられていたらしい。背筋まで凍るような言葉と声を聞いた僕は慌てて至福の時間から目を覚ます。
「うん、おはよう律」
すると、そこには当たり前のように僕の部屋へと入り込み我が物顔で部屋を占領する彼女の姿があるのだった。死んでなけりゃ通報できるのに。
*
「はぁ、結局あれは現実だったってことか」
朝起きて改めて彼女の全身をよく観察した後、僕はぽつりと呟く。
「なんだ、律昨日のこと夢だと思ってたんだ」
「正直なところ半々かな」
「...夢の方が良かった?」
彼女にしては珍しく少し歯切れを悪くしながら僕にそう問いかけてくる。その表情は差し込む朝の日差しでよく見えなかった。
「それも半々かな」
「こんな可愛い彼女が君の為に死んでまでも会いに来たんだから、そこは嘘でも夢じゃなくて良かったって言いなよ」
僕の答えに詠巴は納得がいかないと言わんばかりに頬を膨らませると、少し怒ったような仕草をする。
「備考、その可愛い彼女はとても嘘つきで性格が悪いです」
「更に備考、それは君もです」
僕が詠巴の言葉に重要な条件を付け足し笑うと、彼女もまた僕を指差してそう言い笑った。
「というか、今更気づいたけどまだ6時じゃないか」
「うん、そうだけど」
2人してひとしきり笑った後、時計を確認した僕がそう声を上げると彼女はさもありなんと言わんばかりに頷く。
「つまりさっきはまだ全然、焦って起きる時間じゃなかったってことだよね」
「知ってる律、死人の朝は早いんだよ。なにせ寝ないからね」
「知ってる、昨日聞いた」
要するに僕の至福の時間は彼女の暇つぶしの為に消費されたということか。
「君は今、少し腹が立っていることと思うけど、実はそれ解決する術がなんとこの世にあります。いや、あの世にはあります」
「それも昨日聞いた」
にしても人に朝起こされるなんていつ以来だろうか。彼女が最早人なのかは分からないないが。
*
「もー、悪かったって。だから、無視しないでよ」
「今から朝ごはん食べるんだよ。詠巴のことは僕以外には見えてないんだから、親とか人の見てる前で詠巴と話してたらどう思われるか考えて」
「嘘だよ。昨日の夜この家に律以外の人いなかったじゃん」
「いつ帰ってくるか分かんないから、警戒しないに越したことはないの」
「大丈夫、今の私は人から白い目線を向けられても気にならないから。なぜって? それは」
「みなまで言わなくて結構」
朝から死人ジョークに付き合う気力はないので僕は彼女との会話をそうぶつぎるとまだ何か呟いている彼女を無視し、階段を降りリビングへと向かっていく。
「...姉さん、帰ってたんだ」
「ようやく、ドラマの撮影が終わったからね。律こそ今日の朝は早いのね」
するとそこには雫音姉の姿があり、テレビ映るニュースを横目にマカロニサラダに熟したトマトに加えベーコンエッグトーストに味噌汁といった朝から色彩豊かな食事を取っていた。
「たまたまね。ところで、それなら母さんや尽吉父さんはどこ? まさか2人揃って寝てるわけじゃないよね?」
「2人なら車よ。今日の昼から映画の撮影で京都なの。前言わなかったっけ? 私の映画初主演のやつ」
2週間近くドラマの撮影で長野の方に行っていたというのに、それが終わったら今度は京都か。売れっ子女優というのも大変だ。
「知らない」
「そう、じゃあ...はいこれ」
僕の答えを聞いた雫音姉は席から立ち上がり鞄から一枚の紙を取り出すとそれを手渡して来た。
なるほど確かにキャストの欄に主演 琴吹 雫音と雫音姉の芸能名が堂々と書かれている。タイトルは『君にどれだけ嫌われていても』 か。まぁ、見たところよくある大衆向け恋愛映画といった感じだろうか。
「おめでとう」
「どうもありがとう」
それ以外別に他に特段話すこともないので僕と雫音姉との間に長い沈黙が訪れる。そして僕が自分の朝ごはんを取り出そうとした矢先だった。
『緊急速報です。警察によりますと八王子駅前ストーカー殺人の犯人と見られる人物の身柄がようやく確保された模様です。犯人は事件から今日まで1週間も行方をくらまし日本中を騒がせていましたが、ようやく事態は収束を———』
アナウンサーの少し興奮した声と共にそんなニュースが聞こえてきて、僕と雫音姉も思わず顔を見合わせる。
「捕まって良かったわね。というか、最近物騒な事件多すぎ」
丁度、話題が出来たと言わんばかりに雪音姉さんは僕に話を振る。
「確かにね。雫音姉さんも気をつけた方がいいんじゃない? 熱狂的なファンとかいるだろうし」
「律にとってはその方が嬉しいんでしょ」
雫音姉さんに合わせて疑問を振った僕だったが雫音姉さんは低いトーンでそんなことを呟く。
「なーんてね。映画のセリフの練習。ところで私の心配なんかより律は自分の心配をした方がいいんじゃない?」
雫音姉は完璧な笑顔を浮かべると、先ほどとは打って変わって明るいトーンでそんなことを尋ねてくる。
「僕にストーカーが? 雫音姉さん疲れてるんじゃ...」
「いや、律じゃなくて律にとって大切な子の話よ。彼女ちゃんいるじゃん。前、写真で見たけどあの子ちょー可愛いよね」
「あー」
雫音姉さんはなんの悪気のない様子でそんなことを話すが、僕としては何と言っていいのか分からない。
「ね、いつか家に連れて来てよ。話してみたいし」
「機会があったらね」
僕が出した結論は知らぬが仏だ。雫音姉さんは事情を知らないのだから、わざわざ盛り上がっている雫音姉さんに痛みを与える必要はない。本気では言ってないだろうし。
「雫音まだか〜?」
「あっ、パパだ。今行くー。もうこんな時間だ。私いかなきゃ、じゃあね律。あと、これ長野のお土産! じゃ!」
そう言い残すと机の上になにやらの小箱を載せ足早に出て行った。箱のパッケージには可愛らしいうさぎの絵と共に「信州りんごなうさぎ」と書かれている。
1つ食べてみると少し甘く優しい味が口に広がった。ふむ、普通に美味しいまんじゅうといったところだ。うざぎの形をしているのは特に女性へのお土産なら高ポイントになり得るだろう。残念ながら僕はそんな奥ゆかしい感性はしていないわけだが。
「律にお姉さんなんていたんだ...聞いてないんだけど?」
「言ってないからね」
1人お土産リポートをしていると詠巴が横から口を出す。その声には確実に不満がこもっていた。まずいな、このモードに入った時の詠巴は厄介だ。
「それにあの人有名人だよね? お茶のCMとかで見たことあるよ」
「高校生にもなって家族の話なんてしない。それが普通」
「でも、それが普通の存在じゃないなら話をするのが普通。ましてや律は会話デッキが沢山あるタイプじゃないんだから、こんな強カードを使ってなかったのはなにか理由があるとしか思えない」
なるほど。さらっと僕のトークスキルが低評価を受けたのはさて置き、彼女らしい中々に筋の通った発言。ここから先は言葉を慎重に選んだ方が良さそうだ。時間を見て僕はこっそり後ろポケットにあるスマホに手をかけた。
「万に一つでも学校の連中に僕とあの人の関係性が漏れる——」
そこまで言いかけたところで詠巴の表情筋がぴくりとも動いていないのを確認した僕は言葉を止め白旗を振るように両手を万歳する。
「僕と雫音姉さんが血の繋がった家族ではないからです、はい」
「よろしい。となると、律は私という存在がいながら異性の女性と同居していたということになるね。これは浮気かな?」
「まぁ、その理論でいくと僕と雫音姉さんが家族になったのは僕が小3の時だから詠巴の方が浮気相手になるね」
「私の方が2番手だったなんて...そんな」
詠巴は床に手をつきショックを受けたような素振りを見せる。
「私が律ごときの2番手なんて...」
そこかよ。
「と、そんなわけで正直女性目線あんまりされて嬉しい話ではないでしょ、律ごときの彼女さん? 別に気にしないって人もいるだろうけど、詠巴がどっちなのかは微妙だったから」
「とりあえず理解はしたよ。別に面白みはなかったけど。となると、律のお姉さんがパパって呼んでたことから想像するにお父さんが律のお姉さんと血が繋がっている方の家族ね」
「そのとおり」
「...?」
そこまで言った所で彼女はピタリと言葉を止めて黙り込む。そして、目を閉じると何かを反芻しているようだ。
「ところで、こっちからも一つ質問いいかな?」
「えっ? うん、いいよ」
今の彼女にとって僕の問いかけは意識外だったようでビクリと肩を震わせる。
「詠巴は夜中もずっと起きてたんでしょ。なら、知ってたんだじゃない? 雫音姉さんが帰っていること。なんで黙ってたの」
「あのね、律私は暇じゃないの」
「いや、暇でしょ」
暇つぶしの為に人に死んで欲しいなんてのたまった人間が何を言っているんだろう。
「そうじゃなくて、律の寝顔をずっと見てるなんて退屈な行為を私がするわけないってこと。夜中は用事があったから外に行って朝になって律の部屋に直で帰ってきたから知らなかった。それだけ」
「ちなみに知ってたら?」
「面白いリアクションが見れそうだから全力で帰ってきた人はいなかったアピールをしてたと思う」
うむ、それでこそ子椎葉 詠巴だ。
「あっ!というかさっきのことだけどやっぱり違和感がある」
そこで彼女はふと何かを思いついたように声を上げる。
「違和感?」
「だって———」
ビーーーーーッッッ!!!!
詠巴の言葉の途中で大きな音が部屋にけたたましく鳴り響いた。
「うるさっ、何の音?」
「ごめん、僕のスマホ。二度寝で遅刻することが多かったから出発時間ギリギリにアラームをかけてるんだ。すっかり失念してた」
「なるほど、つまりそれが鳴ったということは」
「もう出ないと遅刻するね」
「私はこのまま話続けても構わない。ノープロブレム、遅刻だって立派な青春」
そう言うと思ったよ。当然僕はまくし立てる
「人との会話も勉強」
彼女の言葉を遠慮なく無視する
「死人に優しくしよう週間が開催中。今ならポイント2倍!」
と身支度を整え家を出る
「あなたは今、本当の幸せを感じられていますか?」
のだった。
まあ、そんなアラームはなく1秒に設定したタイマーを僕の手で鳴らしたことはついては少し罪悪感はあるけれど




