第176話「73週間後の世界」
2027年5月5日 木曜日。
ちょうど73週間。ムネモシュネを破壊してから511日。約1年5ヶ月。
凛はまだ生きていた。
東京は荒廃していた。建物の多くが崩れ始めている。窓ガラスは割れ、壁にひびが入っている。
道路は雑草に覆われていた。背の高い草が風に揺れている。アスファルトの割れ目から、小さな木さえ生えている。
蔦がビルを這い上がっていた。3階、4階まで届いている蔦もある。緑が増えた。でもまだビルはビルだ。道路は道路だ。都市の廃墟。植物に侵食されつつある、人間の痕跡。
凛は高層ビルの屋上にいた。まだ立っている数少ない建物の一つ。そこから東京を見下ろしていた。
灰色と緑。コンクリートと植物。人工物と自然が混ざり合っている。
かつての東京。今は誰もいない東京。
動物たちの声が聞こえる。鳥、猿、鹿、猪。彼らの世界。
人間はもういない。凛だけ。
マックスも半年前に死んだ。老衰だった。凛はマックスを公園に埋葬した。そしてまた一人になった。
完全に一人。地球上で最後の人間。
凛は自分の手を見た。痩せている。骨が浮いている。
食料が少なくなっている。缶詰もほとんど残っていない。あと数ヶ月でなくなるだろう。
その後はどうする? 狩り? 採集? できるのか、一人で。
でもやるしかない。生き続けなければならない。それが核の運命。
凛は空を見上げた。青い空。白い雲。鳥が飛んでいる。
美しい。恐ろしいほど美しい。
人類が消えた世界は、こんなにも美しい。
「みんな……」凛が呟いた。「見て……世界はこんなにきれい……」
頭の中で声が答えた。
「見てるよ凛……あなたの目を通して……」
「美しいね……」
「人間がいなくなると……地球はこんなに輝く……」
凛は涙を流した。「でも……寂しい……」
「分かってる……」声が優しく答えた。「でもあなたは一人じゃない……私たちがいる……」
「みんなは記憶……」凛が言った。「本当の人じゃない……」
沈黙。
そして美波の声。「ごめんね凛……それでも……私たちはここにいる……あなたと共に……」
凛は泣き続けた。風が吹いた。雲が流れた。時が過ぎた。
でも凛は一人だった。永遠に一人だった。




