第35話 来たぜアルファ帝国
――私は、貴方が“ひとり旅”なんて嘘をついたことを知っていますよ。
別邸の窓から遠ざかっていく小さな背中を見つめながら、ロイアントは静かに目を細めていた。
十五年。
産まれた時から、ずっと傍にいた。
だから分かる。
エリファーは抜けているところも多いし、落ち着きもない。思いつきで行動することもあるし、甘い物を見つければ話を聞かなくなるような人だ。
だがその反面、“本当に大切な部分”だけは決して見失わない。
誰よりも人を見ている。
視線、声色、呼吸、癖、沈黙。
まるで人の感情を肌で感じ取っているかのように、相手の異変に気づいてしまう。
だからこそ、ロイアントはとっくの昔に気づいていた。
あの少女が何かを隠していることを。
だが、止める気にはなれなかった。
きっと自分が反対しても、エリファーは行く。
それに――あの子は昔から、“自分で外へ行きたい”なんて我儘を言わなくなっていたから。
聖女として。
ヴァロイアント家の娘として。
ずっと周囲に気を遣いながら生きてきた。
だからこそ、たまには自分の意思で外へ飛び出してもいいと思った。
「行ってらっしゃい」
ロイアントが静かにそう告げると、エリファーはぱっと振り返った。
「行ってきまーす!!」
太陽みたいな明るい笑顔だった。
そのまま勢いよく別邸を飛び出していく姿を見送りながら、ロイアントは小さく苦笑する。
……本当に、危なっかしい人だ。
◇◇◇
そして現在。
「よし、着いた!」
アルファ帝国の国境付近で、エリファーは帽子を押さえながら息を吐いた。
本来なら馬車で向かうような距離だが、徒歩でも二時間ほど。普通の令嬢なら泣き言を言う距離だろう。
だがエリファーにとっては“ちょっとした散歩”みたいなものだった。
途中で川魚を素手で捕まえ、暇つぶしに石を削って簡易ナイフを作り、木の枝を投げて遊びながら進んできたせいで、むしろ体力が有り余っている。
元殺し屋時代、野宿など日常茶飯事だった。
雨の日も雪の日も、生き残るために眠らず移動したことだってある。
だからこの程度、何でもない。
「馬車で来なくて正解だったなぁ」
エリファーは満足そうに頬を緩めながら、目の前に広がるアルファ帝国の街並みを見つめた。
ウィル王国と並ぶ軍事国家。
だが、ウィル王国と大きく違う点がある。
それは――独裁国家であること。
にもかかわらず、市民達の顔に怯えは少ない。道行く人々は活気があり、商人達も大声で客引きをしている。
(変な国……)
エリファーがそう思った、その時だった。
「あれぇ? こんな所で何してんのさ」
後ろから、にやついた男達の声が響いた。
振り返れば、そこにはガラの悪い男達がぞろぞろ立っている。酒臭い。服は薄汚れ、武器も統一感がない。
バット、ナイフ、鉄パイプ。
見るからに賊だった。
「はぁ……来たばっかなのに」
エリファーは露骨に嫌そうな顔をした。
「ねぇ君かわいーねぇ。国民? それともあっちの国の人ぉ?」
“あっちの国”。
つまりウィル王国のことだろう。
エリファーは帽子のつばを指で押し上げ、男達をじっと観察する。
(武器は鈍器中心……刃物持ちが三人。足運びは素人。……よし)
その瞬間にはもう、戦闘の計算が終わっていた。
「ねぇ、聞いてんの?」
男が馴れ馴れしく肩へ触れようとした瞬間――
パシンッ。
エリファーはその手を容赦なく叩き落とした。
「ふーん。やるんだ」
エリファーの翡翠色の瞳が、すっと細くなる。
さっきまでの間延びした空気が、一瞬で消えた。
「知らないよ? 死んでも」
その声だけで、空気が変わる。
男達の頬が引き攣った。
本能的に理解したのだ。
――この少女は、ヤバい。
「い、行くぞお前ら!!」
男達が一斉に飛びかかる。
数分後――。
「ぎゃぁぁぁぁ!!」
「ひっ……!!」
地面には三十人近い賊が転がっていた。
ある者は白目を剥き、ある者は腹を抱え、最初に絡んできた男など痙攣しながらピクピク震えている。
そしてその中心で、エリファーは息一つ乱していなかった。
「いやぁ、弱すぎない?」
帽子を被ったまま首を傾げる姿は、見た目だけならただの可愛い少女だ。
だが実際は、賊三十人を片手で壊滅させた化け物である。
その時。
後ろから、ぱちぱちと拍手が聞こえた。
「えー、すごいですねぇ。その賊達、アルファ帝国でも有名な犯罪者なんですよ。なかなか捕まえられなくて困ってたんです」
軽い口調。
飄々とした声。
振り返ったエリファーは、目を細めた。
水色の髪。
整いすぎた顔立ち。
長い睫毛と、細身の体。
以前より少しラフな服装だが、その異様な存在感は変わらない。
「いや……見てたんならお前がやれよ」
エリファーは呆れた顔をする。
目の前の男――パーソンは、にこにこと笑った。
以前会った時より雰囲気が柔らかい。
あの時は変装していたのだろうか。
だが相変わらず顔が良い。腹立つくらいに。
「おい、パーソン君。私はお前に会いに来たんだぞ」
その瞬間、パーソンの口角がゆっくり上がった。
「じゃあ私からもお願いがあるんだ。一緒に来てね」
風が吹く。
アルファ帝国の旗が、大きく揺れた。
エリファーはじっとパーソンを見つめる。
(絶対に探ってやる)
軍人への魔力投与。
その目的。
そして、この国の裏側を。
「ようこそ我が国に。ウィル王国聖女ヴァロイアント・リリー・エリファーさん」




