第30話 行かせてザマス!!
「とにかく、あなたはもう安全なので、帰りたい時に帰って大丈夫ですよ」
エリファーはそう言うと、人差し指をぴん、と立てた。まるで「はい、これで解決です」とでも言うように、少し得意げに胸を張る。そして小さく鼻を鳴らし、ふん、と息を吐いた。その仕草は年相応の少女らしく、どこか無邪気で、だが同時に“やり切った”という達成感がにじんでいる。
つい先ほどまで真剣な表情で呪いの説明をしていた人物とは思えないほど、ころころと表情が変わる。
「……本当に、ありがとうございます」
ベッドの上で体を起こしているレイン王子は、ゆっくりと頭を下げた。まだ体調は万全ではないのだろう。顔色は完全に戻りきっておらず、白さの中にほんのりと青が残っている。だが先ほどまでの異様な熱も、荒い呼吸も落ち着いており、その瞳にはしっかりとした光が宿っていた。
「いーんですよ」
エリファーは軽く手を振りながら答える。その声音は柔らかく、どこか包み込むような優しさがあった。
そしてふと、王子の顔をじっと見つめる。
その視線は――
まるで、赤子を見守る母親のようだった。
穏やかで、温かくて、少しだけ心配そうで。
(……なにこれ)
エリファーの内心は、しかし全く穏やかではなかった。
(この王子……なんか……なんかおかしくない?)
レイン王子は、困ったように眉を下げている。ほんのわずかに視線を逸らし、遠慮がちに言葉を選ぶその様子。
それがもう、
(キュイーンって音が聞こえるんだけど!?)
完全に脳内で効果音が鳴っていた。
(なにこの生き物……!?捨てられた子犬!?いや王子!!イケメン!!でも可愛い!!なんで!?どういうこと!?)
整った顔立ち。透き通るような肌。少し長めの黒髪が頬にかかり、赤い瞳が不安げに揺れる。
それだけでも十分すぎるほど整っているのに、
(萌え袖……!?)
ゆるく着せられた寝巻きの袖から、指先が少しだけ覗いている。
(は???????????)
エリファーの思考は完全に崩壊した。
(これダメなやつだわ。命狙われるタイプのやつ。可愛すぎて国が傾くやつだわ)
王子が少し眉を下げるたびに、心臓がぎゅっと締め付けられるような感覚が走る。
(あっ……無理……守らなきゃ……)
完全に母性が暴走していた。
「あの……すいません……酸素をください……」
「え?」
ぽつりと零れたエリファーの謎発言に、レイン王子はきょとんと目を瞬かせた。
明らかに様子がおかしい。
会話は成立しているはずなのに、どこか噛み合っていない。
その危険信号を敏感に察知したのが――ロイアントだった。
「……はい、そこまででございます」
すっと二人の間に入り、エリファーの肩を掴む。
「ちょっ、待ってロイアント今いいところ――」
「いいえ、全く良くありません」
にっこりと微笑みながら、そのままぐいっと部屋の外へと押し出した。
扉が閉まる。
「大丈夫ですか?」
ロイアントは静かに振り返り、レイン王子に声をかけた。その表情には心配の色が浮かんでいる。
「は、はい……」
レイン王子は少し戸惑いながらも頷いた。
「……あの人は、根はいい人なんですよ。少し……その、変わっているだけで」
ロイアントはどこか遠い目をしながらそう付け加える。
その言葉に、レイン王子はふっと小さく笑った。
「大丈夫です。……いい人なんだろうな、というのは僕にも分かります」
その微笑みは、まるで柔らかな光のようだった。
疲れの残る顔立ちの中で、その笑顔だけがやけに優しく、穏やかに浮かんでいる。
ロイアントは一瞬、言葉を失った。
(……なんだこの人)
思わずそう思ってしまうほど、その笑顔は綺麗だった。
(天使……?)
そんな考えが本気で頭をよぎる。
「それじゃあ、もうじきここを出ますね。ありがとうございました、執事さん」
レイン王子は丁寧に頭を下げる。
「お身体は、本当に大丈夫ですか?」
ロイアントはなおも心配そうに尋ねた。
その頃、部屋の外では――
「行かせてちょうだいよ!!」
「だーめーでーすぅぅ!!」
廊下に、騒がしい声が響いていた。
エリファーが前へ進もうとするのを、ルフィーネが必死に引き止めている。
ぐいぐいと引っ張り合いになり、ドレスの裾が危うく引き裂かれそうになっている。
「服がちぎれちゃう!!」
「ちぎれません!!それより落ち着いてください!!」
聖女とは思えない光景だった。
完全にただの暴走する少女である。
「くっ……こうなったら……!」
エリファーは一歩下がり、床に指を走らせた。
淡い光が浮かび上がる。
瞬間移動の魔法陣。
空間転移という高難易度魔法。発動できる者はこの国でもごくわずか。
――を、
「こんなことで使うなよ」
と、その場にいた全員が心の中で突っ込んだ。
ルフィーネが即座にエリファーの手を叩き、魔法陣はかき消される。
「だめです!!!!」
「ケチ!!!!」
残念な聖女である。
一方その頃、室内では――
「いえ、本当にお礼なんて……」
「いえいえ、それでは僕の気が済みません!」
ロイアントとレイン王子が、なぜか言い争っていた。
「お礼したいです!!」
「いりません!!」
互いに一歩も引かない。
だが内容は平和そのもの。
「というか……いつまでもここにいて大丈夫なんですか?」
ロイアントはふと疑問を口にした。
王子という立場上、長く姿を消していれば問題になるはずだ。
その問いに対し、レイン王子は少しだけ視線を落とした。
「……別に、大丈夫です」
ぽつりと呟く。
「僕がどこにいようと……あの人達は、興味ないから」
その声は、ひどく静かだった。
赤い瞳が、わずかに揺れる。
先ほどまで見せていた柔らかな光は消え、代わりに滲むのは――
深い、孤独。
かすかに潤んだ瞳が、何かを堪えるように伏せられる。
その表情は、王子ではなく――
ただの、ひとりの少年のものだった。
「酸素!酸素!酸素ボンベを!」
⚠︎︎この国に酸素ボンベなんてありません。
周りの人間はーー
酸素ボンベ?なんだそりゃとうとう聖女もおかしくなったな。
と思われてます。




