第29話 自己肯定感低っっ!?
「で、聞きたいことが山ほどあるんですが」
エリファーは、部屋の中央で腕を組みながら仁王立ちしていた。つい先ほどまでの穏やかな看病の空気は消え失せ、代わりに張り詰めた緊張が部屋を満たしている。窓から差し込む柔らかな陽の光さえ、その空気に押されるようにどこか冷たく感じられた。
ベッドの上に座るレイン王子は、その視線を真正面から受け止めきれず、わずかに視線を逸らした。先ほどまでの苦しげな表情は落ち着いているものの、顔色はまだ白く、唇の色も薄い。指先は無意識にシーツを握りしめ、小さく震えていた。
「んー……なんて言ったらいいんだろう……」
言葉を探すように視線を彷徨わせるレイン。その仕草はどこかぎこちなく、普段人前で見せるであろう“完璧な王子”の姿とはかけ離れていた。
(そもそもこの子……ヴァロイアント家だよね……)
内心でそう考えた瞬間、胸の奥がわずかに重くなる。
(このことが知られたら……強制婚約……いや、それよりも……)
自分を助けてくれた相手に、これ以上迷惑をかけたくない。そんな思いが、言葉をさらに歪ませていく。
「け、喧嘩してて……負けて……あ!ちがうよ!金を取られたんだ!……あれ?あ!うん!」
言い終えた瞬間、自分でも何を言っているのか分からなくなったのか、レインは固まった。空気が一瞬、静止する。
エリファーは、その様子をじっと見つめていた。驚きよりも、むしろ呆れに近い感情が浮かぶ。
「嘘、下手くそ過ぎません?」
容赦のない一言が、静かに刺さる。
「うっ……」
レインは肩を落とし、あからさまにしょんぼりと項垂れた。先ほどまでの王族としての威厳は、どこにもない。
なんなのこの人と思いながらエリファーは内心で首を傾げる。
いつも遠くから見ていた第二王子は、完璧で、隙がなく、常に周囲を圧倒するような存在だった。だが目の前にいるこの男は違う。
呼吸のリズム。
歩き方。
背筋の伸ばし方。
声のトーン。
仕草。
心拍の揺れ。
そのすべてが、以前見た“第二王子”とは一致しない。
見た目は同じなのに――中身が、まるで別人のようだった。目はこれを第二王子だと告げているが直感がそれを否定している。
「貴方がどこの誰かなんて、聞きませんよ」
エリファーはあっさりと言った。
「……え?」
レインはぽかんとした表情で顔を上げる。予想外だったのだろう。その目には、ほんのわずかに安堵と困惑が混じっていた。
だが、エリファーの興味はそこではない。
問題は――あの裏道での出来事だ。
エリファーはすぐに察した。この第二王子が遠慮している理由がエリファーの家柄だということに。
「安心してください。私は当主に貴方のことを伝えませんよ。この“永久契約”でも」
その言葉に、レインの表情が一変した。
「!?君、本気なのかい!?僕なんかと契約なんて……!」
目を大きく見開き、信じられないものを見るような顔をする。
永久契約――それは破れば死よりも重い代償を伴う絶対の誓約。魂すら焼き尽くすとされる、極めて重い契約だ。
それを、迷いなく提示した。
エリファーはじっとレインを見つめる。その瞳は真っ直ぐで、一切の揺らぎがない。
「正直、私は貴方の家柄とか、どこの誰かとか……微塵も興味がないの」
柔らかく、だがはっきりとした声。
「たとえ貴方が市民でも貴族でも、関係ない。私はね、自分の目に届く範囲は全部守りたいの。欲張りなんです」
そう言って、ふっと笑う。その笑みはどこまでも無邪気で、打算の欠片もない。
レインは言葉を失った。
(……なんだ、この人)
胸の奥に、今まで感じたことのない感覚が広がる。
「そう……なんだ」
小さく呟くように返す。
「……なんか君、どこかで見たことあるかな?」
無意識に出た言葉だった。
「いえ、ありません」
即答だった。
一切の間もない、完全な否定。
エリファーは公の場では常にベールを纏っている。顔を知られているはずがない。
「そっか……」
レインは少しだけ残念そうに目を伏せた。
「……あ、僕なんかが話せることは少ないと思うけど、それでもいいなら」
「大丈夫です」
即答。
逃げ場はない。
レインは一度息を整え、ゆっくりと話し始めた。
「ちょっと前なんですけど……」
その声は淡々としていた。感情を抑え込むように、平坦に。
生まれつきの“持病”。
感情が高ぶると心拍数が異常に上がる。
血圧が下がり、倒れる。
「医者は……僕に“異常”とだけしか言ってくれなかったんだ」
どこか諦めたような声音だった。
(いや、そりゃそうでしょ)
エリファーは内心で即座にツッコむ。
(そんな状態で日常生活してるのがおかしいんだって)
だが同時に、裏道での光景が脳裏に蘇る。
あの異常な呼吸。
不規則な脈。
命の危機に直結する状態。
「だからあの時……いや、なんでもないよ。それより――」
レインは話を切り替えるように顔を上げた。
「僕なんかがこんなに良くしてもらうのは気が引けるから……何かお礼をしてもいい?」
その言葉を聞いた瞬間。
(うわ、この人……)
エリファーは確信した。
(自己肯定感、終わってる……!)
王族。
騎士団最年少団長。
容姿端麗。
人柄も評価されている。
――なのに。
「僕なんか」と、迷いなく言う。
一体何が彼をこんな風にしているのだろうか。
胸の奥に、別の違和感が芽生える。
そしてもう一つ。裏道で感じた、あの異質な魔力。
感情を引き金に発動する類。そして、心を削るもの。
「……あの」
エリファーは口を開いた。
「私、貴方の呪い解きました。だからもう、感情を制限しなくていいですよ」
空気が、止まった。
「……呪い?」
レインの目が揺れる。
「おそらく、貴方の“持病”って言われてたもの……誰かにかけられた呪いです」
静かに、しかしはっきりと告げる。
「感情を表に出させなくする……最悪の類のものです」
胸の奥が、嫌な感覚でざわつく。
(こんなの……人にかけていいものじゃない)
「……具体的に、いつからその症状が出てました?」
「えっと……15年前からです」
「15年前!?」
思わず声が上がる。
「それじゃ……物心つく前じゃないですか!?」
「……はい」
静かな肯定。
その一言が、重く落ちる。
(15年前……)
何かが、引っかかる。
点と点が、まだ繋がらない。
だが確実に――
「……あるわね、これ」
エリファーは、誰にも聞こえないほど小さく呟いた。




