第27話 呪い
ベッドに横たえた直後だった。
先ほどまで苦しそうに乱れていた男の呼吸が、ほんのわずかだが落ち着いた気がした。胸の上下が先ほどよりもゆっくりになり、顔に浮かんでいた苦悶の色も少しだけ薄れている。
エリファーはその様子をじっと見つめ、胸の奥で小さく息を吐いた。
(……よかった)
ほんの少しだが、確実に顔色が戻ってきている。完全に安心できる状態ではないが、少なくとも今すぐ命が危ないという様子ではない。
だが――それでも異常だった。
額にはびっしりと汗が浮かび、呼吸のリズムはまだ不自然だ。時折、指先がぴくりと痙攣する。
エリファーはゆっくりと立ち上がり、部屋の中央へ向き直った。
「皆の者、集まりなさい」
普段のぼんやりした声ではない。
よく通る、はっきりとした声だった。屋敷の廊下にまで響くほどの強さがある。
その声に反応し、廊下の向こうからぱたぱたと足音が集まってくる。メイド達が次々と部屋へ入ってきた。
エリファーの表情を見た瞬間、皆の顔つきが変わる。
普段はどこか気の抜けた様子の主人が、今は真剣そのものの顔をしているからだ。
緑の瞳は鋭く、思考を巡らせているのがはっきり分かる。
「この方は今、体調がとても悪いです」
エリファーはベッドの男をちらりと見ながら言った。
「これは――呪いの一種かと思われるわ」
その言葉に、部屋の空気が一瞬で張り詰めた。
メイド達の表情が強張る。
呪い。
その言葉が意味するものは重い。
だがエリファーは動揺した様子を見せず、すぐに指示を出し始めた。
「貴方は白いブラウスを用意して」
一人のメイドを指さす。
「貴方はこの方の汗を拭きなさい。体温も確認して」
さらに別のメイドに視線を向ける。
「そしてロイアント」
呼ばれた専属執事が一歩前に出る。
「貴方は私と一緒に、この方の呪いの解析を行います」
ロイアントは真剣な顔で頷いた。
「それ以外の方は、主に一番広い大部屋の掃除をお願いします。ベッドも整えておいて。シーツは全部新品に交換して」
矢継ぎ早に指示が飛ぶ。
その様子を見て、メイド達は思わず顔を見合わせた。
普段のエリファーは、どちらかと言えばぼーっとしていることが多い。考え事をしていたり、のんびりした口調で話したり。
だが今は違う。
声には迷いがなく、判断も早い。
これほど焦っているエリファーを見るのは珍しかった。
メイド達は互いに頷き合い、それぞれの役割へ散っていく。
廊下には慌ただしい足音が響き始めた。
数分後。
「聖女様、準備できました」
ロイアントが声をかける。
机の上には簡易的な魔法具が並び、解析の準備が整っていた。
「ありがとう」
エリファーは小さく微笑み、すぐにベッドの横へ戻る。
男――ウィル王国第2王子の手を静かに取り、魔力を流し込んだ。
呪いの痕跡を探る。
魔力は体内をゆっくりと巡り、異物を探すように広がっていく。
そのときだった。
「なるほどねー」
ぽつりとエリファーが呟いた。
だが次の瞬間――
バチッ!!
鋭い電気のような衝撃が走った。
「っ……!」
エリファーの手に、強い痛みが走る。
弾かれるように魔力が逆流し、腕を伝ってビリビリとした痺れが広がった。
思わず手を引く。
右手を見ると、指先が細かく痙攣していた。
ロイアントが驚いた顔をする。
「聖女様!」
だがエリファーは手を軽く振って痺れを逃がしながら、むしろ面白そうに目を細めた。
「バリアが張られてる」
呟く声は、少しだけ冷たかった。
「つまり……これは解除してほしくないってことね」
呪いの外側に、さらに防御の魔法が張られている。
普通の呪いではあり得ない構造だ。
まるで――
“この男にずっと苦しんでいてほしい”
そう言っているかのような仕組みだった。
エリファーの口元がわずかに歪む。
「やってくれるじゃない」
それからの一時間。
エリファーは何度も何度もバリアに魔力をぶつけ続けた。
防御魔法はかなり強固だった。
普通の魔術師なら諦めるレベルだ。
だがエリファーはやめない。
何度も、何度も、魔力を叩きつける。
部屋の空気が張り詰め、ロイアントは固唾を呑んでその様子を見守っていた。
そして――
パリン。
ガラスが割れるような音が、静かに響いた。
バリアが砕けた。
「……やっとね」
エリファーは額の汗をぬぐいながら呟く。
改めて呪いの解析を行う。
魔力を流し込み、構造を読み取る。
そして確信した。
「やっぱり」
これは――呪いの一種だ。
しかも見覚えがある。
最近、似たようなことがあった。
レイ・サルベロット殺害未遂事件。
自分が潜入する前、レイ・サルベロットの暗殺に使われた呪いと、とてもよく似ている。
その事実に、エリファーの胸の奥で嫌な予感が芽生える。
(……まさか)
悪い考えが頭をよぎった。
だがすぐに首を振る。
王子の治療をしながら、余計なことを考えるのは不敬だ。
今やるべきことは一つ。
この呪いを解除すること。
エリファーは静かに目を閉じ、魔力を集中させた。
「――解除」
強く魔力を流し込む。
その瞬間。
パリンッ。
今度こそ、はっきりとした破壊音が響いた。
呪いが砕け散る。
空気が一瞬だけ震え、そして静寂が戻った。
呪いの解除は成功した。
エリファーはゆっくりと息を吐く。
(聞かなきゃいけない)
あんな裏道に、なぜ倒れていたのか。
なぜ、こんな呪いに蝕まれていたのか。
答えを聞かなければならない。
それから二時間後。
静かな客室のベッドの上で――
ウィル王国第2王子、レイン王子がゆっくりと目を覚ました。




