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第4話 地球での第一歩

 結局、服装問題はアーク案七割、私案三割という不本意な形で決着した。


「納得いかないわ……」


 私は街路のガラス張りのショーウィンドウに映る、自分の奇妙な姿を正面から睨みつけた。


 全体としては、この時代のこの地域における文化に適応した、ごく一般的な服装だ。だが、衣服の端々、シルエットの要所に私の「譲れないこだわり」が反映された結果、中途半端な機能性が残ってしまっている。


 街に馴染むための私服としては歪だし、戦闘服としてはあまりに頼りない。合理性も、意匠としての美しさも、どちらも中途半端に失われている気がしてならなかった。


『統計上、および確率論的観点から見て、これが現地社会に最も融和する最適解です』


 脳内でアークの淡々とした合成音声が響く。


「その統計を作った人たちに、一度目の前でいろいろと小一時間ばかり話を聞いてみたいわ」


『不可能です。該当する統計データは、この都市の人口動態とアパレル流通ネットワークから私が直接算出したものです。対話の対象となる単一の責任者は存在しません』


「分かってる……分かってるから真面目に返さないで……」


 私は深いため息をつき、お気に入りの機能性アウターの襟元を無駄に引っ張った。


『個体名ソニア。服装に関する美学的議論は、これ以上の現地社会への潜入成功率に寄与しません。速やかにリソースを切り替え、本来の調査を優先することを推奨します』


「それも、わかっている!」


 私は両手を軽く上げて、大袈裟に肩をすくめてみせた。


 この論争において、私とアークの間に妥協点など最初から見当たらなかったのだ。どちらかというと言い負かされる気がする――いや、現に言い負かされたからこそ、最終的に七割ものアークの意見が通ってしまったのだから。


 それに、確かに目的を忘れてはいけない。私たちの任務は、この星でこれから起こる「変異」の調査だ。


 アルテア恒星系の歴史において、文明が成熟した恒星文明後半になって初めて認知されたはずの「変異」という現象が、実はこの星のように、恒星文明のまさに初期、揺籃期においてすでに起き始めていたという。まだその事実が納得できたわけではない。だからこそ、システムによる観測の数値を鵜呑みにせず、自分の目で確かめなければならなかった。


 私はショーウィンドウから背を向け、本格的に街の歩道へと歩みを進めた。


 無数の人工の光が、網膜が眩むほどに夜の帳を照らし出している。


 遥か上空には、立体的に構築された複数階層の交通レーンが目視できた。そこを、完全に静音化された最新の飛行車両たちが、まるで尾を引く流星のように絶え間なく行き交っている。


 超高層ビルの壁面を躍る巨大な広告ホログラム。


 雲を割り、宇宙につづく一本の線を伸ばす軌道エレベーターの壮大な基部。


 そして、それらすべてを裏側から支えている都市全域の高度情報ネットワーク。


 そして何より、私の視線を惹きつけたのは、この時代の先進的な街を行き交う群衆だった。人々の表情は驚くほど豊かで、未来への希望に満ちている。


「いよいよ、来年からダイソン球の建築が始まるのか……」


「ニュース見たぜ。でも、あの規模だろ? 完成してまともに稼働するころには、俺らはもうヨボヨボの爺さんになってるよな」


 すれ違う若者たちが、顔を見合わせながら笑い合っている。街のいたるところから、来年から始動するであろう人類史上最大のビッグプロジェクトについての話題が、熱を帯びた声と共に溢れかえっていた。


「アルテア文明も、恒星文明の扉に初めて足を踏み込むときは、こんな感じの空気だったのかしら?」


 かつて私たちが通り過ぎて、そして失ってしまった時代。胸に湧き上がった小さなノスタルジーに、アークが即座に反応する。


『アルテア文明の該当期の記録から、心理的状況を推測・比較しますか? 直ぐにでも演算可能です』


「いらない。そういうのは『きっとそうだったのかなって、自分の頭で想像するのが醍醐味』なの」


『理解に苦しみます。個体名ソニアは、生前のカイゼル博士より「若いが私を凌ぐほど優秀な学者だ」と評価されていましたが、時折、極めて論理的ではない感情優先の言動をとられるのですね』


「うるさい……余計なお世話よ」


 私はそっぽを向いて、再び周囲の光景を見渡した。


 機能的に割り振られた都市計画。

 合理的でありながら美しい有機的な交通網。


 未知の宇宙空間へと進出しようとする、種としての熱意。


 どこを見ても、かつて私たちが遥か昔に通り過ぎた道に、酷いほどよく似ていた。


 ただ一つ、決定的に違うのは――その道を今、確かに生き生きとした足取りで歩いている人々が、私たちではない、という点だけだ。


 私はしばらくその光景を眺めた後、小さく呟いた。


「やっぱり、私たちは…未来で過去を体験してるのね」


 アークは数秒沈黙した。


『感情的表現です。しかし、個体名ソニアが現在の状況に強い既視感を抱いていることは理解しました』


「それで十分よ」


 私は少しだけ笑った。


 そして視線を遠くの軌道エレベーターへ向ける。

 空へ。

 宇宙へ。


 この星の人々もまた、そこを目指している。

 かつての私たちと同じように。


「でも、まずはこの星の大枠を知らないと何も始まらないわね」


『詳細な説明を要求します』


「この星の現在の国家構造、これまでの歴史、いくつかの文化圏、そして政治体制。変異の兆候を探る前に、まずはこの世界の全体像を正確に把握する必要があると思うの」


『そのアプローチは極めて論理的であり、完全に同意します。情報源の選定を開始します』


その夜。


 私は人気のなくなった路地の陰で、ペルソナ・アームズの光学迷彩を展開した。


 衣服の表面に量子膜が走り、光の屈折率が偽装される。夜の街の闇に溶け込むようにして、私は音もなく移動を開始した。


 目的地は、この街の中枢にある近隣行政施設。この時代の現地語で言うなら、「市役所」と呼ばれる施設に近い役割を持つ場所だった。


『対象施設の警備システムを確認。脆弱性を検知』


『外部監視網の死角を確認』


『発見される確率をゼロにする侵入経路の算出、完了しました』


「了解……。お昼にも言ったことだけど、光学迷彩の出力を上げすぎないで。それから、アクセスしたデータログの消去は、この時代の基準から見て『数世代は先の技術レベル』で綺麗にけすこと。いいわね?現時点でアルテア文明の痕跡を残しすぎたくないから」


『承知しました。現在のこの星の観測技術では、今の提案内容で実施したとしても情報が消去されたという事実そのものを認識出きる確率は0.0001%以下です』


 アークの保証を聞きながら、私は無言で行政施設の壁面へ跳んだ。


 ペルソナ・アームズの身体能力補助を受けた肉体にとって、数メートル上の足場へ滑り込むことなど難しくない。


 窓のわずかな隙間をすり抜け、内部の暗い廊下へと侵入する。


 静まり返った館内で、誰一人として私たちの存在に気付く者はいない。


『基幹情報端末を発見』

『有線によるダイレクト回線接続、開始します』


 アークの量子コードが端末へと滑り込んでいくのを見ながら、私はその前で腕を組んだ。


「アーク。必要以上に、そこにあるすべての個別データにまでアクセスはしないでね」


『理由を要求します。情報の網羅性は、今後の予測精度を向上させます』


「一般の個人情報まで覗き見したところで、私の脳じゃ覚えきれないもの」


『その点に関する懸念は不要です。すべてのテキスト、画像、ログデータの記録と管理は、私の記憶容量で一括して担当可能です』


「そういう効率の問題じゃないの」


 私は思わず苦笑した。


「私たちはこの星のことを調べに来たのであって、今を生きている誰かのプライベートな日記を盗み見るために来たわけじゃないわ。そこは明確に区別しなさい」


 数秒の電子的な沈黙。


『……プライバシーという概念の尊重ですね。理解しました。対象を公的データおよび歴史・地理情報に限定します』


 十分後。


 私たちは行政施設を後にし、少し離れた街外れの静かな公園にいた。


 冷たい夜風が木々を揺らし、葉の擦れ合う音だけが響いている。当然、こんな時間に人気はない。


 私は緊張から解放された身体を、木製のベンチに腰掛けさせた。


『情報収集完了。網膜へのデータ転写を開始します』


 アークの合図とともに、私の視界へ大量のホログラフィック情報が直接投影された。


 まずは地図が広がる。


 歪な形状の大陸がいくつも浮かぶ、青い星だ。


 広大な海洋の輝きに、私は思わず小さく息をのんだ。


 次いで、流れる歴史のテキストを追う。


 何度も戦争と分断を繰り返し、自らの手で星の環境を破壊しかけながらも、それを乗り越えて恒星文明に踏み出した軌跡。


 そこには驚きと、どこか祝福したいような気持ちが同時に混じり合っていた。


 特に、今から約二千年前、生物多様性が崩壊しかけて「第6の大量絶滅期」とまで称された時代を、彼らが自らの知恵で乗り越えた歴史には強く心を動かされた。


 さらに現在の宇宙開発状況。


 世界初の軌道エレベーター建設に向けた、かつての敵対国同士による協力体制。


 どうやら宇宙への進出という共通の目標こそが、人々が「戦争」という歪な枠組みを超える最大のきっかけになったようだ。


 私は流れ込む情報を整理しながら、その星の呼称を口にした。


「太陽系第三惑星――地球」


 私の知るどの言語とも違う、聞き慣れない響き。

 それなのに、不思議とどこか懐かしさを覚える。


「西暦、4325年……」


 かつて存在したという一人の人物の誕生を起点に時間を数えるという考え方。


 アルテア文明には存在しなかった独特な歴史観に、私は新鮮さを覚えた。


そして何より。


 それらの数字はすべて、私が四十六億年という時間の眠りを越えた先に、今、確かに存在している現実だった。


「そして……私たちが今立っているここは、『日本』という名前の国なのね……」


 足元の大地に刻まれた、この不思議な文化を持つ国の名前を確認した私は、小さく息を吐いた。


『その呼称について、補足します』


 アークの声が、淡々と網膜のデータを書き換えていく。


『調査の結果、この星「地球」の呼称には、現地の言語において複数の系統が存在することが判明しました』


「複数? 星そのものの名前に、別の呼び方があるの?」


『はい。地域、時代、あるいは文化的背景によって異なります』


 次の瞬間、私は思考を止めた。


 網膜の端に、いくつかの別名が表示される。


 そして、その並びの中に――


『テラ』


 という文字があった。


「――え」


 喉の奥が震えた。


 テラ。


 そんなはずはない。


 それは、私たちがすべてを失った故郷の名前だ。


 アルテア恒星系において、かつて私たちが繁栄していた第四惑星の名前。


「……どうして、この星の人たちが。私たちと全く同じ呼称を……?」


 全ての人類が、地球をテラと呼んでいるわけではない。そんなことはわかっている。でも…

誰に向けるでもなく私の心は不思議な気持ちで覆われていく。


 四十六億年という時を隔てた偶然なのか。


 あるいは宇宙そのものに刻まれた何かの必然なのか。


 今の私には分からない。


 だが、その名を見た瞬間。


 胸の奥で眠っていた記憶が確かに揺れた。

 もうどこにも存在しない、私の故郷。


「本当に……私は今、アルテアを継いだ星にいるのね」


 静かな公園で、私は自分の声が小さく震えていることに気付いた。


 しばらくの間、ただ夜風に吹かれながら、私は乱れる呼吸を整えた。


 そうしてどうにか気持ちを落ち着かせると、私は再び文明を継ぐものとしての意識を取り戻す。


「さて……」


 私はわざと大きく伸びをしながら夜空を見上げた。


「感傷はここまで。変異についての情報を整理しましょう」


『同意します。感傷は観測精度に寄与しません』


「まず、私たちはこの広い星のどこから調べるべきかしら?」


『最初の変異の兆候は、高確率で現在地である日本において発生すると予測されます』


「どうしてそう断言できるの? 何か特異な数値でも検出された?」


『先程の行政情報管理局へのアクセスにおいて、公開されている著名人の中に――』


 アークが分析結果を提示しようとした、その瞬間だった。


 公園中央に設置されていた大型情報モニターが、不意に起動音を響かせた。


【緊急速報】

 赤い文字が画面いっぱいに表示される。


 私は思わず顔を上げた。


『ニュースの緊急臨時配信です。現地電波を傍受』


 映像が切り替わる。


 画面に映し出されたのは、数十分前まで私たちが潜入していた行政施設だった。


 周辺には複数の警備車両が集まり、赤色灯が夜の街を照らしている。


 施設周辺は封鎖され、武装警備員たちが次々と建物内へ入っていく。

 そして画面下部にテロップが流れた。


【今夜未明、行政情報管理局の中枢サーバーにおいて不正侵入の可能性が確認されました】


「――は?」


 私は思わず声を漏らした。

 一瞬、思考が止まる。

 脳内通信にも、珍しくアークの沈黙が流れていた。


【侵入者の身元、および侵入経路は現在も不明】

【当局は最高警戒態勢を発令し、現在調査中】

【国家重要データへの異常アクセス履歴を検知】


「ちょっと待って、アーク……」


 自分でも分かるほど声が硬くなる。


「ありえないわ。あなた、ちゃんとログは消したのよね?」


『……肯定します』


 短い返答だった。

 だが、その声にはいつもの断定的な響きがなかった。


『私が用いたデータログの消去は今の地球の文明レベルより数百年後の技術体系を使用しています』


「見つかること事態は極めて低い確率であったかもだけど、こんなに早く気付かれるのはさすがに不可能でしょ?」


『その認識に誤りはありません』


 アークは続ける。


『潜入時、ペルソナ・アームズによる光学迷彩は正常稼働』

『侵入経路の偽装、完了』

『監視記録の改竄、完了』

『アクセスログの消去、完了』

『物理的痕跡の除去、完了』


 数秒の沈黙。


 そして珍しく、アークの方から補足した。


『不測のエラーを想定し、全プロセスの再計算を反復して実行しましたが、結果は変わりません。事象の因果律に明らかな論理的破綻が生じています』


 私は無言でモニターを見つめた。

 画面では施設周辺の封鎖映像が繰り返し流されている。


「じゃあ……どうして?」


『不明です。提示可能な合理的推論が存在しません』


 その答えに、私はさらに寒気を覚えた。


 アークが「分からない」と言った。

 アルテア文明最高峰の量子AIが、事実上、演算結果の提示を放棄したのだ。


「どう考えても今、このタイミングで発覚するなんてあり得ない」


『肯定します』


「私たちの侵入を証明できる痕跡も残っていない」


『肯定します』


「なら、どうして警戒態勢が敷かれているの?」


『現時点では説明不能です』


 私はゆっくりとベンチから立ち上がった。

 夜風が木々を揺らす。

 さっきまで穏やかに見えていた街の光景が、どこか違って見えた。


 この星の文明はアルテアより二万七千年ほど遅れている。


 少なくとも、そのはずだった。


 なのに。


 私たちが完璧だと判断した潜入が、なぜか発覚している。


『個体名ソニア』


「なに?」


『変異調査の優先順位を引き上げることを提案します』


「……同感ね」


 私はモニターの映像から目を離せなかった。

 もしこれが単なる偶然ではないのなら。

 もし、この星に私たちの知らない何かが存在するのなら、それは変異と無関係ではない気がした。


【現在、侵入者の行方は不明】

【当局は周辺地域の監視体制を強化】


 赤いテロップが流れ続ける。

 私は知らず拳を握り締めていた。


 私たちが知らない何か。

 四十六億年の眠りから目覚めて初めて、私は確信した。


 この星は、私が想像していたより遥かに危険かもしれない。


 夜空の彼方には、完成間近の軌道エレベーターが静かにそびえている


 人類は今、太陽を手に入れようとしている。

 

 だがその足元で、すでに何かが始まっている。


 そんな予感だけが、妙に現実味を伴って胸の奥に残っていた。

ついにソニアの目覚めた星が明らかになりました。


彼女たちがこの地球で何を選択していくのか?

を一緒に見届けてください


良ければブクマやコメントいただけると嬉しいです

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