第五話 人類最高の頭脳
放送は終わった。人気のない公園でそれを眺めていた私は、数秒固まってしまっていたが、意識を現実に引き戻した。
「調べるにしても今日は無理ね‥まずはしっかり休みましょう。目が覚めての初日としては十分イベントが起きすぎだわ」
『了解しました。まずはしっかり休んで個体名ソニアの心身のリフレッシュが必要と判断します』
「ま、46億年も寝ていたので、心身は本来リフレッシュされすぎのはずなんだけど、驚きと感動と、謎の連続でさすがにびっくりしてるわ。まずは休める場所を『作り』に行きましょう」
『作るとは?』
「さすがにこんな放送をされた街に泊まるわけにはいかないでしょ。町から離れたところで休める場所を作るしかないわ」
『了解しました。ここから西北西50キロの地点に樹海があります。そこなら人が寄り付かないと判断します』
「了解。ペルソナ・アームズ起動!」
ペルソナ・アームズは光の粒子になって私の周囲に散会し光学迷彩を発動しながら移動用の乗り物変形する。
「これなら、50キロくらい5分もかからないわ」
『個体名ソニア、そのチェイサーはこの時代では過剰レベルですが?』
アークが疑問を投げかけてくる。
当たり前のことだ。今まで私はアルテア文明の痕跡をあまり出そうとは思っていなかった。でも今はそうは言ってられない
「相手がどのレベルまでなら観測可能か知るため、今回は全力でやるわ。光学迷彩も全開でおねがい」
『了解しました』
そう言って私の乗るチェイサーは音もたてずに高速で移動を開始した。
「この樹海ね…確かに人が入りたいと思えないくらい…秘境感あるわね」
『ここはこの国からは富士の樹海と言われているようです』
「富士の樹海…きっと、あの山の裾に広がってるからかしら?」
私は目の前に見える壮大で優雅な山を見ながらひとり呟いた。
『肯定します。あれは富士山と呼ばれ、この国で最も高い山です』
「すごいわね…」
私はアルテアの後に生まれたこの星のなもしろが新鮮だった。アルテアにも山はあったが、この富士山ほど美しい山はあっただろうか…
そんな感傷に浸りながらも
「じゃ、次はアストラル・ドミネイトね。周囲の物質を分解・再合成して不可視の家を作り出すわ。この家に関してはペルソナ・アームズの光学迷彩を必要としないようにしないと」
そう言って、私はアストラル・ドミネイトを発動させる。
発動されたナノマシンは周囲の物質を分解し、不可視の家を作り上げていく。そこに家はあるはずなのに、周囲の物体と溶け込んで全く見えない。
「やっぱり…想定以上に早すぎる…」
「アルテアで同じことをしたら…たぶんあと2時間はかかる…それがたったの15分でできてしまうなんて…」
『個体名ソニア。それに関しては説明がつきます』
「この地球がアルテアより元素に恵まれているってことでしょ?」
『概ねその認識で問題ありません』
『アルテアと比較して利用可能な元素の種類と存在比率が極めて豊富です』
『アストラル・ドミネイトは周囲の物質を再構成する技術です。利用可能資源が増加すれば、その効率は飛躍的に向上します』
『現在観測されている条件下では、アルテア環境と比較して最大数百倍以上の出力向上が見込まれます』
「数百倍って……」
私は思わず絶句した。
アルテアでは希少元素を補うため開発されたアストラル・ドミネイトも、この星で使えばもはや魔法の領域だ。
「必要以上にアストラル・ドミネイトは使わない方がよさそうね……」
『同意します』
「そうね…でもおかげで早く家もできたから、なるたけ今日は休みましょ」
そう言って私は不可視の家の中で「46億年眠り続けた後、寝れるのかな?という不安を抱えたまま」一晩だけの睡眠をとることにした。
◇
人間意外と眠れるものだ…自分でも呆然とその事実を受け止めながら、ぼうっとしていた。
「お腹すいたかも…」
よくよく考えれば、46億年食事もとらなかったのに、昨日は服でアークともめ、侵入がばれて…食事について考える余裕なんてなかった…
ぐう…
鳴り響くお腹の音に恥ずかしいやら何やら…私は天を仰いだ
『個体名ソニア。空腹は思考を妨げる最大の敵です。まずは食事をとることを推奨します』
「どうやって…お金がないのよ?」
『労働については、まずは簡単な日雇いのアルバイトを推奨します』
「アルバイトって…まだ地球には残ってるの?」
『肯定します。アルテアでは約1万年前になくなった業務体系ですが、まだ地球にはアルバイトという概念はあります。また職種によっては身分証や面接もありませんのでご安心ください』
「よし!まずはバイトでお金をもらって、地球のごはんを堪能しながら昨日の続きを話ししましょう!」
そう言って私は家を飛び出した。
昨日の街――西暦四三二五年、日本の「横浜」と呼ばれる湾岸都市に戻ってきた。
高層建築物の壁面はすべて微細な光電変換結晶で覆われ、海からの風を受け止める巨大な風力タービンが静かに回っている。
空を飛び交う自律型物流ドローンと、地表の磁気浮上軌道を走る移動体が、最適化されたアルゴリズムのもとで整然と機能していた。
高度に自動化されつつも、過酷な気候変動の爪痕を克服した泥臭い生命力が、その調和した景観からは感じられた。
私たちは早速、日雇いの配達業へ応募した。
都市の空中搬送網がカバーしきれない地下構造区画や、電磁遮蔽された旧市街へ物品を届ける仕事だ。
支給された端末の誘導に従い、複雑に入り組んだ立体歩道を歩く。
ドローンでは進入できない狭い路地。
数百年前の建築様式が残る旧市街。
海上居住区。
地下居住区。
短い時間だったが、それだけで私はこの星の暮らしの断片を数多く見ることができた。
そして配達中、何度か耳にした名前があった。
「神代教授が言ってたろ」
「ダイソン球計画が始まれば景気も変わる」
「でもあの人、本当に人間か疑うレベルの天才だよな!」
そんな雑談だ。
人間を疑うレベルの天才…その言葉に妙な引っ掛かりを覚えていたが、初めてのバイトに忙殺されてしまっていた。
だが数時間後、その名前を私は再び耳にすることになる。
「いやー楽しかった! アルテアではできない体験だからね!」
『個体名ソニア。当初の目的である変異の調査を忘れていませんか?』
「わふれてないわよ」
私は収入で買った人工肉のハンバーガーを頬張りながら答えた。
「アークだって言ってたでしょ?空腹は最大の敵だって…もう大丈夫よ!」
『個体名ソニアのことが時々理解できなくなります』
「そんなこと言わずに、まずは昨日アークが解析したデータの続きから行きましょ」
その時だった。
街頭モニターから大きなニュース音が響く。
【昨夜発生した行政情報管理局不正侵入事件について、新たな見解が発表されました】
「ん?」
私は視線を向けた。
映像には一人の男性が映っている。
四十代後半。
無造作な黒髪。
疲労の色が濃いにもかかわらず、異様な知性を感じさせる眼差し。
テロップが表示される。
【国立中央科学大学 統合理論物理学研究所】
【教授 神代 蓮司】
「学者?」
『公開情報を検索します』
アークが即座に反応した。
だが私は先に違和感を覚えていた。
男の説明内容が異常だったからだ。
『今回の侵入は通常のハッキングではありません。不自然なほど痕跡がきれいに消されており、今回の気づけるに至りました』
『少なくとも現在公表されている情報だけを見るなら、実行者は我々より数世代先の情報理論を運用している可能性があります』
私はその発言に目を見張った。
「アーク、あの人の言ってることって」
『同意します』
即アークの声が響いた。
『通常の地球人が到達可能な推論ではありません』
「おかしい…」
昨夜の情報だけで。
ここまで正確な推論へ到達できる理由が存在しない。
私は即座にアークに語りかける。
「アーク。この人について情報は持っている」
『持っています。むしろ、昨日の続きの本命です』
「どういうこと?」
『神代蓮司』
『現在の地球におけるダイソン球建設計画の理論的基盤を構築した人物です』
私は目を見開いた。
「ダイソン球の?」
『はい』
『さらに理論構造を解析した結果――』
アークの声がわずかに重くなる。
『アルテア文明第三世代ダイソン球と高い類似性を確認』
私は数秒言葉を失った。
「嘘でしょ……」
第三世代。
その数字自体に驚いたわけではない。
アルテア文明の長い歴史から見れば、第三世代など遥か昔に通り過ぎた技術段階だ。
だが――
私はそこで思考を止めた。
「待って……おかしい」
『同意します』
アークが即座に応じる。
「今の地球は、まだ第一世代ダイソン球の建設を始めようとしている段階よね?」
『肯定します』
「なら、どうして第三世代相当の理論が先に存在しているの?」
私は思わず眉をひそめた。
第一世代を建設しようとしている文明。
その中心人物だけが数世代先の理論へ到達している。
そんな技術発展モデルは、少なくとも私の知るアルテア文明史には存在しない。
『文明段階と理論水準が一致していません』
『説明不能な飛躍が存在します』
「変異……」
私は小さく呟いた。
偶然とは思えない。
昨夜の件。
引いてはこの男。
無関係とは考えにくかった。
「どうにかして、この神代って人に会う方法はないかしら」
『非常に困難であると思われます。神代蓮司は現在、人類最高機密レベルの研究者です』
『一般人が接触できる可能性は限りなくゼロに近いと推定されます』
私は顔をしかめた。
「でしょうね」
人類最大の国家事業。
その中心人物だ。
会いたいから会える相手ではない。
私は街頭モニターを見つめた。
そして小さく息を吐く。
「さて……どうしたものか…」
目の前にヒントはある。でも、そのヒントをつかみ取るまでの距離が遠い…
神代蓮司…モニターに映るその目がこちらを見ているように感じる。
「方法は…あるはずよ…」
私はモニターを見ながらそうひとり呟くしかなかった。




