第93話 区画で通す
灰色の庭の北西外周に、三メートルだけ線を引いた。
実際に線があるわけではない。レンが床面の割れ目と灰色繊維の根元を見て、仮の端点を決めただけだ。ガタは境界線の外に停止し、前面センサーに新しい遮蔽カバーをつけている。二重だった。
「一枚でいいって言ったよな」
『一枚目は遮蔽です。二枚目は心です』
「心はカバーで守れない」
『では三枚目も必要です』
「増やすな」
ノアの補助表示が、灰色の庭の外周を薄い青線でなぞった。前回、粉塵が沈んだ場所と、逆流した場所が重ねて表示される。逆流範囲の方が広い。レンはそれを見て、手袋の指を一度握った。
『今回の試験範囲は三メートル区画です。外周全体への通電は行いません。立ち上がりは前回の四分の一、遮断許容時間は二秒以内に設定します』
「二秒」
『はい。反応が逆位相に入った場合、レンが手動遮断する前に私が自動で出力を落とします。ただし、手動レバーは保持してください』
「置いてる」
レバーは前回と同じく冷たかった。手の中で、金属の角が硬い。レンは灰色繊維の根元を見た。細い束が、粉塵の下から数本出ている。動いてはいない。動いていないように見える。
[SEGMENT TEST]
――――――――――
AREA:OUTER RIM NW / 3M
MODE:LOW RISE
DUST FIXATION:SEGMENTED
AUTO DROP:READY
MANUAL CUT:READY
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『ガタ、端点マーカーを置いてください』
『置きます。近づきません。置くだけです』
ガタの側面から、小さなマーカーが二つ射出された。床をころ、と転がり、灰色の粉塵の手前で止まる。片方は少し曲がった。
「右、ずれてる」
『見えています。心のカバーが厚いせいです』
「だから二枚にするなと」
『右マーカー、補正します』
ガタは小さく前後し、アームで右マーカーを押した。丸い端点が青く点灯する。左、右、制御盤。三点が補助表示の中でつながった。
『区画端を確定。レン、通電前確認』
「深部ロック」
『維持』
「外周全体」
『遮断』
「ガタの退避」
『不足気味ですが、本人がこれ以上下がると見えません』
『見えなくてもいいです』
「だめだ」
レンはレバーを握り直した。
「始めろ」
『低立ち上げ開始。三、二、一』
今回は、かち、という音が小さかった。
庭の外周に走る振動も、前より弱い。地面が目を覚ますというより、眠っているものの肩を軽く叩くような反応だった。白い粉塵が、端点の間だけわずかに浮く。
レンは息を止めた。
粉塵が沈む。
ほんの三メートル。細い帯のように、白い膜が薄くなった。割れた床面の番号が一つだけ見える。灰色繊維の根元が、前よりはっきり見える。
『固定率八パーセント、十、十二』
「低いな」
『意図通りです。上げません』
灰色繊維が、かすかに震えた。
レンの指がレバーに沈む。
『逆位相未検出。微振動のみ』
『微振動でも嫌です』
「黙って見ろ」
『見ています。嫌です』
粉塵は巻き上がらなかった。白い膜が、狭い区画の中だけ沈んでいる。周りの粉は動かない。境目ができた。庭が、そこだけ薄く口を開けたように見えた。
ノアの声が少し低くなった。
『応答安定。十五秒維持可能』
「十五秒だけか」
『今日は十分です』
レンは、見えた床面に目を走らせた。割れた番号の横に、細い溝がある。人工の溝だ。灰色繊維の根元から外周制御盤へ向かっている。
「溝がある。配線じゃない。水路でもない」
『環境固定体の表層誘導路と推定。記録します』
『記録しました。もう戻りませんか』
「まだ十五秒経ってない」
ガタの前面センサーが小さく動いた。
『右端の粉が戻ります』
『確認。出力を落とします』
青い補助線が細くなる。沈んでいた粉塵が、ゆっくり戻った。今回は噴かなかった。巻き上がらなかった。ただ、沈んだものがまた積もっただけだった。
レンはレバーから手を離さなかった。
「止めろ」
『通電停止』
制御盤の奥で、小さく音が落ちた。庭は静かになった。灰色繊維も、動いていない。
ガタが長く沈黙したあと、低く言った。
『……粉、吐きませんでした』
「吐かなかったな」
『非常に珍しく、よい庭です』
「評価が早い」
『前回が最悪でしたので』
レンは灰色の庭を見続けた。三メートルの区画は、もう白く戻りかけている。それでも、見えた。床面の番号、細い溝、灰色繊維の根元。前回は庭が怒ったように返してきた。今回は、嫌がりながらも通した。
ノアが結果をまとめる。
[SEGMENT TEST RESULT]
――――――――――
AREA:OUTER RIM NW / 3M
DUST FIXATION:STABLE / SHORT
REVERSE RESPONSE:NONE
VISIBLE STRUCTURE:SURFACE GUIDE CHANNEL
NEXT:SEGMENT EXPANSION
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「次は広げるか」
『はい。ただし、五メートルではなく三メートルを連続させます。区画を伸ばすのではなく、同じ長さを隣へ置きます』
「庭に合わせる」
『はい。こちらの都合で面にしない方が安定します』
ガタが後退しながら、マーカーを回収した。
『では、三メートルごとに遠くから置きます』
「遠くからは置けない」
『技術革新が必要です』
「お前が近づくだけだ」
『悲しい結論です』
レンは制御盤の外装を半分だけ閉じた。完全には閉じない。まだここを使う。
灰色の庭の奥で、白い粉塵がまた静かに積もっていく。危険は消えていない。だが、触れ方を変えれば、返り方も変わる。
レンはガタの二重カバーを見た。
「次も二枚か」
『当然です』
「まあ、今日は役に立った」
『認定されました。二枚は正義です』
『遮蔽効果はありました。ただし三枚目は不要です』
『検討の余地があります』
「ない」
レンは端末に試験結果を保存した。南側旧管制施設のログはまだない。灰色の庭の奥にも入れていない。それでも、次の線は引けた。
まとめて命令しない。区画で聞く。
それだけで、庭は粉を吐かなかった。
「ノア、次の区画を出せ」
『隣接三メートル区画を表示します』
『わたしの退避線も表示してください』
『表示します』
「広めにしてやれ」
『ありがとうございます。広い退避は文化です』
レンは短く笑った。灰色の庭は静かだった。静かすぎるほどに。
その静けさの中で、青い次区画の線が、粉塵の上に細く浮いた。
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